登坂車線。slower traffic

登坂車線。slower traffic

若葉マークのブログです。日常の事・好きなものの事、ゆっくり書いていきます。

Amebaでブログを始めよう!

今夜「十津川警部シリーズ」の追悼放送を観ていました。

たまにドラマを観るのはもはや趣味の1つ。俳優さんという職業の仕事を観るのが、職人さんの手仕事やホテルマンの洗練されたサーブを観るように好きなのです。

なので、幅広い層の好きな俳優さんがいます(^_^)
渡瀬恒彦さんはとにかくお声が素敵でした。伊東四郎さんも好きだなあ。実家にいた頃は、今日は山田太一さんのドラマがあるよ~!とか、母贔屓の枝雀師匠が出るよとか、二人でああだこうだとにわか評論家になって楽しんだものでした。

ドラマ、落語、ラジオ、音楽、コーヒー、映画。
母が好きで、私も好きになったもの達。

枝雀師匠も、渡瀬恒彦さんも、ディヴィッド・ボウイも、石田長生いっしゃんも、柳ジョージさんも…
早いなあ…と感じるお年で逝ってしまわれました。
一族真宗のためか、先に旅立った人達はあまり遠い感じはしません。何しろ凡夫の魂が迷わぬよう、阿弥陀さまが向こうから探しに来られるような宗派ゆえ、あちらへの長旅も無いようです。

彼岸でコーヒーを味わって一息つきながら、向こうの皆さんとお喋りしていそう。だって母は私と違い、カフェで隣席に俳優さんがいたら「拝見してます」と挨拶に行くような人でしたから。師匠に高座でもドラマでも楽しませて貰いました!って言いに行ってるな、きっと。

私がこちらでの、等しく与えられた重労働を終えて向こうへ渡り着いたら、よく頑張りました、と頭を撫でてくれるでしょう。

そういうと、野球熱だけは、私は10代いっぱいで卒業しました。彼女の虎キチは受け継がずに(^_^;)

子供の頃の方が、夜を怖れていなかった気がします。

夜の暗さが孤独の実感と結び付くとき、闇が鉛のように重くなるのでしょうか。

未知の途上では、孤独も闇も過程に過ぎず、歩を進める先には、新たな出会いや眩しい空がありました。

年と共に、体験すらしていない世界の9割すら、どこか同じ道の風景に思えてきます(錯覚ですが)。

一体どこまで、いつまで歩けばいいのか…。

人生のゴールは全ての人に同じ。夜の長い冬の道を徐々に弱りながら休息が許されず歩かねばならないとしたら。

早くゴールに着きたいと願わずにいられない。

その時、ふっと全てが軽くなり、光に融けるなら素晴らしいゴールなのにな…と夜の街を眺めながら思いました。
森閑というに相応しいのが、杜の緑の中でしょう。

奈良の杜はふかく、木の実が落ちる音、水玉のこぼれる気配、生き物逹の微かなさざめき、そして楠や杉の冷涼な香りと、一礼して立ち入れば忽ち包み込まれる心地がします。

何度か登拝させて頂き、配偶者がことのほか愛着を感じているらしき大神(おおみわ)さま。

去年、母の病平癒をご祈祷して頂いた事が、遠い昔のようです。

今年もご祈祷頂き、何かとてもスゥッとしたような、身体の内を水が流れていったような、今までに無い感じを覚えました。

お山の元、祈りを持ち寄るたくさんの人々。私もその一人。
この半年、何か空っぽになったような、それなのに重い心身を引き摺るように日々を過ごしてきました。

明日があり、人生は未知だけれども続くのだ。
希望とまでは言えずとも、木々の声に励まされたような、新年の1日でした。