らくになんてなれなくてもいい | でこぼこな私をおもしろがってみる

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子供のときにSJSという難病にかかり、後遺症で視覚障害があります。
どんな自分もまるっと受け止めながら、おもしろがりながら笑って生きたい。そう願いながら綴っています 。

こんにちは。



まりこです。





少しまえに


こんな記事を書きました。



母の行きつけの


服屋の店長さんが


昨年末に亡くなったこと。



親子共々


仲良くさせてもらっていた方です。



亡くなって3ヶ月が過ぎました。



店長の奥様が


お客さんにあてたお手紙のなかには


まだまだ悲しみのなかにいることが


書かれていました。



店員さんたちも


まだまだ実感が湧かない日々だと。



店長が亡くなってから


母はちょこちょこお店に行っていたようで


店員さんたちが


私のことを心配してくれていると聴きました。



数年前


店長が突然倒れて


生死をさまよったとき


退院して元気になった姿を見て


私が泣き崩れたのを見ていたから。



「まりちゃん大丈夫やった?」


そう訊いてくれていたそう。



亡くなったと聴いたとき


信じられなかったけど


意外なほど冷静な自分がいました。



だけど


仕事の帰りとか


電車のなかとか


ふとしたときに思い出して泣く


ということが続いています。





前回の記事で


今月発売された


コブクロのベストアルバムのことを書いたけど


店長が好きと言っていた


「風」という曲を聴くと


やっぱり涙が出ます。



2017年


私が店長を


コブクロのライブに連れていったとき


帰りの車のなかで


コブクロのアルバムを流してくれたんです。



そのときに


「風」の歌詞の意味を


私と語り合ってくれました。



相手が好きなことを


同じように大切に思う方でした。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



店長が亡くなってから


母といつも話すんです。



「店長が仕掛けた


ドッキリやったらいいのにね」


って。



「こんなドッキリ


普通なら許せないけど


今回だけは許してあげるから


早くネタバラシしてよ」


って。



ほんとに亡くなったとは


正直まだ思えません。



お店に行けば


普通にいるんじゃないかと思ってしまう。




早く現実を受け止められるようになりたい。



そう思っていました。



この悲しみを超えて


早くらくになりたいとも。



それに


いつまでも悲しむことを


亡くなった本人は望まない。



そんなこともよく聴くから。



でも。



受け止められなくてもいい


らくになんてなれなくてもいい。



いまはそう思っています。



もちろん


自然にそうなることはいいけど


無理に受け止める必要も


らくになる必要もないと思っています。



悲しいままでもいいんだなって。



受け止められないままでもいいんだなって。



亡くなったことを受け止めるんじゃなくて


受け止められない気持ち


受け止めたくない気持ちを


受け止めればいいんだなって。



自分の素直な気持ちを


そっとそのままにしておいてあげよう


そう思っています。



おわり