2008年12月、JCB HALLにてAKB48のライブが開催された。

正確には東京ドームシティMEETS PORT JCB HALLにて「年忘れ感謝祭 シャッフルするぜ、AKB!SKEもよろしくね」が開催された。

その後、同会場にてAKB48グループ全公演「見逃した君たちへ」「見逃した君たちへ2」が開催された。

 

僕青「12月のKanadevia Hall」と聞いて、否が応でもAKB48のストーリーと重ねてしまう。

AKB48の2008年といえば、発足3年目。2年後のミリオンセラーへ続く、AKB史の中で最もドラマッチックな時期ではなかろうか。

 

・セットリストベスト100@渋谷AX: ファン投票による直接参加型の体験価値が、後の総選挙で一気に爆発

・AKB1じ59ふん!スタート: 前年末紅白歌合戦出場に加え、認知獲得にブーストがかかる

・レコード会社移籍空白期間: むしろ次のシングルリリースに期待感が高まる

・AKB48夏祭り@日比谷野音: 最初で最後の日比谷野音でのフルサイズライブ、動員3,000人規模をクリア

・SKE48発足: グループアイドルプロジェクトの横展開、後の46グループへの踏襲とシナジー効果創出

・オリジナルメンバー大量卒業: 3年経過による自然調整と結束感強化

・まさか、このコンサートの音源は流出しないよね?@NHKホール: 渋谷AXに続き、聖地代々木第一体育館への期待感

 

250人程度の専用劇場公演の一部はプラチナチケット化し、ライブ動員は1,000人〜2,000人規模から、一気に3,000人規模レベルへ。
そして3周年、JCB HALLでのライブ。あの頃のAKBとそのファンたちと体験した、蓄積されていくエネルギーが忘れられない。

 

AKB48はJCB HALLでのライブの後、オリジナルメンバー卒業と総選挙が行われた4年目の試練を乗り越え、ミリオンセラーを達成した5年目の飛躍へとつながった。

 

このストーリーを、どうしても僕青と重ね合わせられずににいられない。

僕青の3年間はその後の2次曲線的な成長のためのエネルギーの蓄積として捉えたい。

 

「12月のKanadevia Hall」は、それまで年内活動とあわせて、2027年以降に何か大きな事が起きる前兆と思いたい。

ファン歴、ただが1年3ヶ月の私ではあるが、「目撃者」として今まで以上に僕青を熟視していかなければならない。

 

ではでは。

 

 

 

先日、メンバー2名の卒業が発表された。

 

僕青3年周年という節目を境に、動きがあるとは思っていたが、

やや強めの出来事となった。

 

今までも含め、卒業(+休業)するメンバーに対する評価は除くとして、

純粋に「数」というところで少し考えてみた。

 

昨年の2周年。

卒業(+休業)は3名で、23名から20名へ。

これは、組織からすると当たり前の現象で、想定内の調整に値する。

むしろ2年間、誰一人脱退しなかったことが、僕青の仲の良さが伺えると同時に、

良くも悪くも居心地が良かったのであろう。

 

そして3周年。

「3」という社会に埋め込まれている数字を目にする。

3年保育、小学校低学年、高学年、中学3年、高校3年、、といった具合に、

人は何度も人生を考える。

 

卒業発表した2名もそうであろう。

思い描いていたような3年間ではなかったかもしれないが、

卒業はポジティブな未来が見つかった証拠だと思う。

 

来年からは僕青は17名。(工藤唯愛が復帰の場合)

今まで僕青は我々ファン達に青空を見せてくれた。

これからは我々ファン達が、僕青に本当の青空を見せてあげる番だ。

 

そして12月のKanadevia Hallのライブ。かつてのJCBホールだ。

このライブは古参のAKBファンにとっては激アツで、

もしかしたら、これを境に何かが変わるのではないかという予感がしてならない。

 

その思いは、次回エントリーしよう。

 

ではでは。

 

 

2025年6月。

奇しくも冠番組「坂道の向こうには青空が広がっていた。」

いわゆる「坂青」の終了を知ったことで、

このグールプはどんなものなのか少し確かめたくなった。

 

その名はデビュー当時から知ってはいたが、

時に日向坂46に深く惹き込まれた時期と重なり、

ポジティブにもネガティブにも受け止めることはなかったが、

デビューほどなくこの冠番組が授けられることに、

AKB48ブレイク前を知るやや古参陣としては、

かなりの嫉妬感を抱いたのは確かであった。

 

「AKB1じ59ふん!」を初回放送から後継番組を含めた最終回まで

全て視聴した私にとっては、僕青は大変恵まれた環境であり、

いわゆる「テレビの文法」を活かした垂直立ち上げを狙ったものと思えた。

 

一番印象的であったのは、センターの子の表情が堅く、

自信の無さそうに受け止めてしまったことであった。

楽曲も衣装もメンバーも時代と逆行、いや後退させたと感じた。

 

個人的意見ではあるが、日向坂48が大人数アイドルグループの完成形だとすると、

僕青は夕やけニャンニャンそれ以前のスター誕生時代のアイドルグループだと、、、

 

「坂青」の終了は、約2年間も思うほどブレイクしていないのか?という

理由を探す動機にもなり、さらには某不動産系企業の交通広告で

コンテンポラリーアイドルにはない顔立ちの子が気になり、

ネット上で調べ始めることになった。

 

そう、この時点では八木仁愛と早崎すずきの2名だけが

顔と名前が一致し、僕青を観るための基軸となった。

 

そして、直ぐにTickTok Liveが始まり、いつの間にか金曜夜が

楽しみになっていた、、、

 

こうして「僕が見たかった青空」の世界に足を踏み入れたが、

これはグループのファンになっただけではなく、

自身がかつて見上げていた「昭和の青空」はあったのかどうかを

確かめ、内省することにもなったのである。

もしかしたら、見えなかった青空、見たくなかった青空もあるかもしれない。

 

ではでは。

 

 

 

既に年末、河田陽菜の卒業から早くも1ヶ月半が過ぎようとしている。

 

卒業後の動向は把握出来てはいないが、今朝最後のブログがUPされた。

 

河田陽菜のいない日向坂46に触れるよりも、過去の映像を目にする方が、より卒業した事実を実感する。

 

これ以上新しいコンテンツが増えることは無く、過去を擦り続けるうちに意識は過去に巻き戻され、現実に戻りづらくなる。

 

この繰り返しがやがて完全に過去のものとして記憶の奥深くへ定着していく。

 

セレモニー当日も含め東京公演、代々木の3日間は晴天。

 

秋が深まる遠くの青空の下、柔らかい木漏れ日のように、河田陽菜が見え隠れしながら日向坂46の全てを見守るかのようだ。

 

他のメンバーのサプライズ登場も少しはあるかと思いきや、そんなことは全く無く、河田陽菜に完全フォーカスされた完璧なステージであった。

 

数々の卒コンを観てきたが、これほど主役に集中出来たのは初めてかもしれない。

 

JOYFUL LOVE

 

君がしあわせならば、そう僕もしあわせな気がする。

 

今後河田陽菜は表舞台に出て来ないかも知れない。

 

日向坂46の中で輝きが、僕らが求める河田陽菜の真の輝きであったならば、それを受け入れる準備は出来ている。

 

ファンは皆そうであろう。

 

河田陽菜に微笑みがある限り、何だって許せてしまうのだから。

 

河田陽菜、

日向坂46へ誘ってくれてありがとう。

 

 

 

 


 

 

あと数時間後に迫った、現役最後のステージ。

 

38年の時を経て「聖地」で行われる。

 

まるで彼女とグループを体現するかのような晴天。

 

間違いなく私自身にとっても転機を促す日となるに違いない。

 

ライブを楽しむ、彼女を送り出すことに注力。

 

本当の感情は後で気づくもの。

 

後日エントリーしよう。

 

ではでは。

 

年齢、ライフスタイル上、メディア接触時間に限りはあるが、その少ない接触時間がどれほど濃度の高いものになったことか。

 

楽しさ、可愛さ、美しさ、カッコよさ、切なさ、コミカルさ、初々しさ、、、日向坂は、50年近くの間に培われた自身の琴線を全て網羅していると感じている。

 

遡ること、1980年代のオールナイターズ、おニャン子クラブから、飛んで2000~2010年代のAKB。これでアイドルは最後になると信じていたのだが。。。その全てをこの日向坂だけで追体験しているようだ。

 

メンバーの卒業や新陳代謝に関しては、かなり耐性は備えていると思うのだが、来る河田陽菜の卒後は、日向坂そのものへの受け入れ方に変化を与えるかもしれない。

 

日向坂ファンになってからの2年間、無意識ながら河田陽菜を中心に観ていたような気がする。

 

日向坂創世記からのメンバー、最新の5期生まで、その全てが日向坂らしさを備えていることは言うまでもないが、河田陽菜に限っては、日向坂でなければならない、かつ日向坂だからこそ輝けるメンバーと思う。今後の活躍を期待し応援するのが然るべきファンの責務のはずだが、日向坂以外での活動が全く想像できないのである。

 

振り返ると、過去にもそのようなメンバーは必ず存在していた。おニャン子クラブにおいては立見理歌(我が推しメン)や永田ルリ子、白石麻子。AKBにおいては佐藤由加里(我が推しメン)。グループの看板を外した彼女達がどうしても想像できなかった。彼女たちが在籍していた、その時代のそのグループを応援できたことが、自身も含めて誰かの心の中に色褪せることなく存在し続けることは確かだ。

 

次は河田陽菜の卒業に関して、今の感情を残そうと思う。

 

ではでは。

 

 

 

 

 

 

AKBは今年で20周年ということで、いくつかのプロジェクトが組まれている。

自身が参加するかどうかは未定だが、それはそれで注視していきたい。

 

注視するという所以は、2023年の7月より後発ながら「おひさま」になった。

きっかけは幾つかあったものの、最終トリガーになったのは、YouTubeから流れきたファン作成による全曲メドレーだ。

自動再生で聞き流しをしていた途中、この曲は誰の曲なのか?というところであった。

在宅&オフサイトワークの副産物として、一気に惹き込まれたようだ。

 

思い返せばAKBの成熟と停滞、収縮が如実になり始めた頃、ひらがなけやきの発足の認識までは追えていた。

やがて日向坂46への改名、紅白出場までも視聴してはいたが、眩いアイドルの姿に少し目を背けていた。

自身の年齢のせいかもしれないが、乃木坂、欅坂は観ていても少しながら恥じらいは緩衝されるのは何故だろうか?

もしかしたら、楽曲のタイトルにバイアスがあったのかもしれない。

「キュン」「キツネ」「ドレミソラシド」、、、このタイトルだけを見ると、初老の足音が聞こえてくる年齢にとっては、喜んで聞き入ってはいけない世界のように思えていた。

タイトルもアーティスト名一切知らずに、楽曲だけ耳にするYouTubeの聞き流しは、純粋に歌詞を咀嚼するのに最適だったのかもしれない。

秋元康先生が紡ぎ出す一片の歌詞が、自身の感情を揺さぶるには充分であった。

およそ40年間にわたって積み重なってきた、無意識に反応するという装置が出来上がっていたのだろう。

 

日向坂に関して、具体的にどこが好きかとか、感覚的なところも多いのだが、これからブログに残しておこうと思う。

 

ではでは。

 

 

柏木由紀がこの春AKBを卒業した。

 

2008年夏、日比谷野音で揃い踏みした

チームA,K,Bのオリジナルメンバーは、

全てAKBから姿を消した。

 

メンバーの卒業や離籍がある度に、

ターニングポイントだと感じていたものの、

日比谷野音を観覧した私個人としては、

柏木由紀の卒業が最も強いものとなった。

柏木由紀はあの夏の高揚感のワンピースとして、

あの頃のAKBを辛うじて繋ぎ止めていた、

存在であったのかもしれない。

 

だが、それ以外にも要因はある。

記事タイトル通り、ここ数年坂道を見上げ始めている。

意図的に意識から遠ざけていたが、

長年に亘り獲得し続けたグループアイドルへの非耐性が

また露呈されてしまった。

 

グループアイドルだからといって、何でも良い訳でも無く、

かと言って奇跡的な遭遇でもなく、

AKBの喪失感を補填するものでもない。

それは戦略的なストーリーに成り立っていて、

必然だったのかもしれない。

 

次回以降は日向坂46の内容がメインになるが、

感謝とリスペクトを表すために、

ブログタイトルは変更しない予定ではある。

 

ではでは。

 

 

以前の投稿から、2年以上も経過した。

 

この間、グループ内では続々とメンバーの卒業や辞退、および発表が行われた。

 

コロナ禍は間違いなく負のインパクトを残しているが、AKBグループのビジネスモデルに対する本当の過渡期が来たことも否めない。

 

芸能界においてステップUPするための一時的なショーケースでもあれば、AKBが好きで所属したいという純粋な動機で活動してるメンバーもいる。

 

その中で、メンバー各自の人生をどう歩むかを熟慮した結果なので、中途半端な古参ファンの私は、肯定的に受け止めるしかないし、また心からそう信じている。

 

私なりに勝手ながら、AKBのいままでをフェーズ分けしてみた。

 

◯創成期: 2005年冬(発足)〜2008年秋(初期メン5名同時卒業)

・私より遥か前の最古参ファンにはリスペクトしかない。

・この時代を目撃できたことは、我ながら誇らしいと思っている。

・「知らない・興味ない」から「知る・理解」へのパラダイムシフトは、最高のエキサイティングである。

 

◯成長期: 〜2010年秋(組閣完了)

・皮肉にも新体制とも言えるべきドラマチックな展開が、勢いを加速させる。

・横展開やサプライズのトライ&エラーが多発し、変化を睨みながら成長していく。

 

◯成熟期: 〜2017年冬(渡辺麻友卒業)

・AKBとしての完成形とも言える「チームA、K、B」の3チーム体制の最後発となるチームBの中核のロス。

・AKBをアイドルとたらしめたメンバーの卒業は大変痛手、かつ本人も活動の限界を見越していたのであろう。

 

◯衰退期: 〜2024年春(柏木由紀卒業)

・グループアイドルとして競合が群雄割拠の中、悲しいことにアイドルという職業の特性上、新鮮なものに軍配が上がる。

・コアなファンでは無い層からも、心配されるアイドルとしてシーラカンス化したメンバーの卒業は、

現場でAKBのそのものを体現、かつ生き字引なくなることを意味する。

 

◯変革期: 2024年初夏以降(向井地美音、総監督譲位)

・総監督を立候補の上、就任した向井地美音。

・変革を求めるも、やや志半ば感もある中、グループ存続を第一目標として、長期的な戦略を立案実行を期待したい。

 

敢えて変革期を加えさせていただいたのは、グループ存続を期待をしているからである。

 

振り返ってみるとモーニング娘。は、2007年の紅白にてAKBの与えたインパクト以降、アイドル界の盟主を一度は失いはしたものの、今でもアイドルとしてその名前だけに限らず、独自のポジションを確立している。

 

私も50代半ばに突入する。

残された時間はそんなには無いのではあるが、日々触れるメディアでAKBの情報が触れ続けることができるのであれば、私はAKBのファンであったことを誇らしく、かつ肯定的な思いを抱いて生きてゆくことができる。

 

その最大の理由は次回の投稿で示そうと思う。

 

ではでは。

 

 

 

 

効率を考えると、至極当たり前のことかもしれないが、オリジナルの会員組織が消滅となると、些か寂しい。劇場のアイデンティティでもある『二本柱』という文字を、モバイル会員の名称へ引き継げたりはしないものだろうか?

 

2011年に発足となってはいるが、『二本柱の会』の源流は以前からあり、会員システム上のアップデートが行われたのが2011年ということで、会員番号の引き継ぎも行われた。

 

私が入会したのは2008年の秋で、初期メン5名が卒業するNHKホールのコンサートを先行予約するためだった。秋葉原の劇場で当時の支配人であった戸賀崎氏自らが受付していた。

 

この頃からAKB熱が一気にUPしたので、『二本柱の会』に対する思いは非常に深い。その後も先行予約によって、いくつかのAKBの歴史を目撃してきたが、ここ数年は会員の権利保持だけのために継続しており、抽選も当たらず、それでも些少ながらもAKBへの投資しているんだ、、、という自己満足に陥っていたのも事実だった。

 

今回の閉会予告に関して、私の様に思う方はかなり多いかと思う。あと1年少々、中古参のファンたちはどのような選択をするのか、今までのファン活動を振り返りながら、未来を見据える良い機会になるかと思う。

 

ではでは。