苦しい時に、

 

悲しい時に、

 

辛い時に、

 

虚しさに呑み込まれそうになる時に、

 

思いがけず傷ついてしまった時に、

 

足掻き、

 

 

情けなくても、

 

だらしなくても、

 

ぐずぐずで、ぐだぐだで、

 

カッコ悪い自分であっても、

 

そんなありのままの自分を安心して開いて、

 

そのままに迎え入れられる人や居場所を

 

あなたは持っているでしょうか・・・

 

 

いくつになっても、

 

どんな立場にあったとしても、

 

人は人である、という原点

 

人間という根に繋がって

 

そこに寛げる関係を持つ人は

 

本当の意味で強い。

 

私は自分の弱さを自覚しているからこそ、

 

声なき声に耳を傾け、

 

「もう一人の私」の居場所になりたい、と願う。

 

 

またね新月満月

 

 

 

 

15日に受診した際、

 

松葉杖の必要も再診の必要もない、

 

日常生活に戻ってよい、と告げられて、

 

歩行や日常生活行為がスムーズにいかない状態から、

 

やっと解放された、と安心したのも束の間、

 

その4日後に痛み始めている。

 

 

この事態をどう受け止めるか―

 

目下のところ、痛みが取れるまで安静にすること。

 

それと同時に、凹む気持ちと

 

一刻も早く、

 

この状態から脱しなければ・・・という焦りを止めること。

 

これは私の弱点で

 

あくまでも自分の力で、事態をコントロールしようとするから

 

生じる負の感情。

 

これは、委ねることや、感謝する心を遠ざけ、

 

それでもこうして今、生かされている、とは思えなくする。

 

 

「生きる私」から「生かされている私」への転換が

 

呼びかけられているのだと思う。

 

「生かされている私」に立脚したとき、

 

人は逞しく、優しく、本当の自立を果たせるのだろう。

 

頭から、胸まで30㎝、

 

頭の理解から胸落ちする、境地とするまでの旅は、

 

遥かだ。

 

 

またね新月満月

 

 

 

 

 

 

 

 

焦りというのは、「先」ばかリを見て、

 

自分が追い付かないことから生まれてくる感情。

 

こんな時には、現実の自分を苛みがちだが、

 

見当違いだということを今、学んでいる。

 

現実の自分に根をはってはじめて、

 

願いは自分を支えるのだ、とつくづく思う。

 

私は今、

 

いつでもどこからでも生き直す実験をしているのだと、

 

頭を切り替える。

 

 

またね新月満月