私の足は、競技に耐えるまでの回復は望めませんでした。

今振り返っても、あの頃の落胆といえばとてつもなくて…思い出すと泣けてしまいます。
でも私のいいところは、今も昔も、ポジティブで前向き、発想の転換が早く、忍耐強くて努力を惜しまないこと。
ある種のハングリー何だと思います。

進路を変更しなければならない状況で私が選んだのは看護への道です。
しかし、当時は不況真っ直中で、看護学校の倍率は凄まじかった。しかし、わたしはあえて目指したのは看護大学でした。

20年前、全国にまだ数校しかなかった看護大学。
ももりん、やっぱりただでは転びません。
センター試験に標準を合わせ、勝負に出ます。
塾通いに加えて、県庁所在地のある市まで高速バスを使い片道4時間。土日は予備校に通いました。
一日、10時間机に向かいました。
それほどしなければ、私が当時の難関看護大学に受かるなど、夢のまた夢だったんですよね。
もっと頭がよければ医者になりたかったですね。私の同級生の友達数人は、医師として活躍しています。かっこいい😄
そんな友達が自慢だったりします。

脱線しましたね、すみません。

で、結果ですが、飛行機の距離の大学に合格します。
努力は実ったのですが、残念ながら行くことはできませんでした。
家庭の事情としておきますが、これをきっかけに両親は離婚するんです。
私には妹がいて、夢を叶えるために進学を希望していたので泣く泣く諦めました。譲ったんだすよね。
長女って、不思議と自己犠牲的なところがあります。
ま、こんな話おもしろくないので、このへんでやめましょう。

そんなこともあって私はバイトでためたお金を握りしめて家出したんです。
そのお話はまた次回のします。