まりまりが2人いた⁉ | 響きとからだのハーモニー 小島真理子

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松本発☆タオライアーGraceとまりまりの暮らし。日本みつばちとソウルサウンドライアー(ヒーリングライアー)、GLAボディケア&呼吸法、自然菜園、健康と美しさを守る食べ物
 

先月91歳になった母は

ときどき記憶がとぎれます。

 

娘の名前がでてこなくて

「おねえさん」

といわれたときは、さすがにびっくり、というかとうとうきましたね、という感想。

 

気を取り直して、

わたしの顔を覚えていたことと

「おばさん」

と言われなかったことで気を取り直した。

 

記憶がなくなることは悪いことばかりではない。

今まで苦労したことや、悲しかった出来事は忘れて、

今日を過ごすことに気持ちが向くから、若き日に苦労を重ねた母の

愚痴を聞くことからは解放された。

 

今この瞬間を生きることに、一生懸命。

長生きしてくれて、そんな姿を見せてくれる親というのは

有り難いものだ。

 

ある日のこと、母が買った大量のはちみつを、瓶に小分けにするのを手伝ったことがある。

父は出かけていて、母と2人で流れ作業になった。

仕事柄、はちみつは扱いなれているから、手際よく終えて自宅へ帰った。

翌日、父が私にたずねた。

 

「昨日は、お手伝いの人をもう一人連れてきたそうだね。

とても仕事が早くて、慣れていたとびっくりしていたよ。

お友達をつれてきたのかね?」

 

「?」

 

よく話をきいてみると、母の話では、わたしともう一人の人が来ていて

作業を手伝っていった、というのだ。

はちみつをびんに上手に移していて

「お菓子は食べないのでいらない」

とその人は言っていたそうだ。

 

「それわたし。」

 

と父に言った。

お菓子はいらないよ、といったのだから間違いない。

ということはわたしが2人いたことになる。

 

母は、別の人が一緒に来たと思っていたのだろうか。

それとも、自分の娘と、仕事をしている娘の両方が2人に見えたのか。

もしかしたらわたしはそのとき2人になっていたのか・・?

 

別に、どうでもよいのだけれど、

見方によってはそれもありかもしれない。

一人が二人に見えるって・・

 

というわけで、長生きしながら

母は、新しい視点を授けてくれることもあり

またまたありがたいのです。