いわゆる優しくて、手のかからない、何でも出来る良い子。
娘の幼少期から小学生時代。
息子のオムツ外し。自転車の練習。娘は、次の機会でも、まだ年齢的に良いが、一応、準備する。
何故か、娘が先に出来てしまう。
学年は、二学年の差があるが、実際は、一歳半しか離れていない年子だ。
名前で、呼びあっていたが、そろそろ、兄の事を
「お兄ちゃん」
呼び方の提案をしたのは、娘が、一年生の時。
強く拒否を示したのは、息子だった。
「呼ばれたくない。名前が良い。」
息子の劣等感がみえた。
強制ではないので、お互い好む呼び方でも良いか。
只、呼ばれる事で兄としての自覚と、妹としての立ち位置、年の差を二人が認識出来る一つの手段で。
二人は、今現在でも、名前で、呼びあっている。
娘は、運動神経が良く見えた。
長距離では学年で、トップ。
陸上記録会では、何故か三年間短距離を希望して出場した。先生の説得にも応じず、短距離にこだわった。
陸上記録会では、毎年、とくには、頑張っている様にはみえなかった。
私は、少し変わってると思う程度だった。
息子が、中学生になり、兄妹が、別々になった。
娘は、自ら始めた、習い事を辞めたいと言いだした。確かにピアノとバスケの両立は、手を痛めたりと、難しい。
私達にとっては、安くはなかったピアノ。
一緒に発表会の曲を、私も覚えて練習した。どんな曲なのか、大変さや楽しさを共有したかった。
ほらな。とお父さん。
最後の小学六年生。
バスケのチームは、強く、選手だった娘は、試合、練習、遠征、大会と忙しく、土日もない。私も、送迎や応援に忙しく、各試合の案内等を作成し、保護者に渡す係をしていた。
公文も二人共通っていたが、娘は辞めた。
別にやりたい事が出来れば、いつ辞めても良い。発表会にての、取り組みや当日の緊張感の中での演奏。
公文で身についたクラスで一番の計算の速さ。勉強が出来る様になって欲しいというよりも、何か、得意なものを見つけてほしかった。
音読発表会や、漢字検定。結果ではなく取り組んだ事。
途中で辞める事も、最初から想定内。
長距離マラソン大会。五年生で、二位。
私は、今迄の長距離の大会での、張り詰めて裂けそうな感覚で片時も目を離さないでいた時と比べ、とても楽な気持ちで、談笑さえして見ていた。
順位等や速さ、歴代何位とかよりも、参加する事。
完走や足を止めずに頑張る事。
例え、周りから歩いている様に見えようが、自分が止めずに出来たら、自信に繋がったり、意味のある事になるのでは。
私の求める意義は、結果ではなかった。今、役に立つ事でも無く、いつか、その事を思い出す事が、出来る事だった。
「ごめんね。二位で。」
娘が、私の顔を見るなり謝ってきた。
私は、とても驚いたのを今でも、強く覚えてる。
娘は、順位に拘っていた。
「何で?頑張ったし、二位。凄いよ。」
娘は、六年生で、一位だった。
市の陸上選抜入りにも、全く興味を示さなかった。
数回、学校からスパイクを渡され練習に参加したが、行きたがらなく辞退。
選抜の子達は、あらゆる小学校から来ていて、勝気で、積極的な子が多い。
娘は、闘争心が欠けていた。
何故、陸上記録会では、長距離に出ないのか。
「自分が短距離にいけば、二位と三位の子が長距離で出れる。」
二位の子は、毎日長距離の大会に向け、夕方走っていた。三位の子は、バスケでも一緒の普段から、仲の良い子。
娘は、争ってまで陸上記録会に興味が、無かった。
私が、知り得ない学校生活の部分の中で、兄妹で、お互いの事を見たり、知りたくない、聞きたく無い事を知る事もあっただろう。
娘は、兄の名誉の為に、家の代表の如く走っていた。
足が早い訳でも、運動神経が秀でているのでもなく、気持ちで、走っていた。
誰も、思い付きもしなかった。
兄が中学に入ると、娘は、朝、なかなか学校に行きたがらなくなる時期があった。
学校が嫌だというよりも、行く意味が無くなってしまったのかもしれない。
自分が食べたい物でも兄が欲しいといえばあげ、誕生日のロウソクを兄が吹き消しても、許し、誕生日に食べたい物を兄の好きなものを言う娘。
次第に、兄と好きなものを自分が好きでも、嫌いになり、兄が好きじゃないものを好きになった。
息子は、真っ直ぐで、純粋。自分が一番で、思った事を思った通り話す。
兄妹喧嘩は、少なかった。
大概、娘が一歩、二歩譲っていた。
ある時、
「誰かになれるとしたら、誰になりたい?」
そんなTVを皆で見ていて、それぞれに聞いた。
「妹になりたい。」
「兄になりたい。」
私は、もっと軽い返答だと思っていたが、胸ぐらを掴まれた気持ちになった。
息子は、おおかた想像はつくが、娘の発言に驚かされた。
息子の心のケアや、サポート、あらゆる事に向けての準備を、怠らない様注意深く、気をつけていた。息子の事は、目に見え、割と一つ一つ準備しやすいのかもしれない。周りも心配して気遣って下さる。想定しやすい。
が、同じくして、娘の心のケアや支えも、目に見えない分、息子以上に必要だったのだ。
兄妹別にしたら、お互い、楽なのではないかと考えた。
私立のバスケの強豪中。
娘は、熱望した。
中学から、進路を決めなくても良いのではないか。地域の、学校生活が大事では。
どうしても、行きたいなら、高校から行けば良い。
何より、自宅に訪問された際の、監督の言葉が気に入らないと。他の中学の事を引き合いに出すところだろう。
お父さんの意見には、説得力があり、監督の印象についても、同感だった。
娘は、県内から集まって来た子達に入ってやっていけるか不安が強く、また、現在のチームの先輩で、中学から入っている子が割と多く居て、監督の評判も聞こえてくる。
当時の、現監督の娘さんも、その私立の高等部。
止められた。去年から県外からスカウトされ、着任されたらしい。
今の監督に薦められなかった事も大きく、また、お父さんの言葉に同感し、娘には、諦めて貰うべく、話した。
娘は、うすうす分かっていたのか、一つ返事で頷く。
後にも先にも、反対して諦めて貰った事はない。
中学生になり、息子と一年間一緒。
やはり、バスケ部に入部希望出したが、三年生の試合に、体験入部中の娘が出て、何点もとってしまった。
そのぐらい、経験者は、少く、けして強いチームではなかった。
仲の良かった子は、中学から転校してしまった。
娘は、また、目立った。
中学生というと時期。ホルモンバランスが崩れていて、大人な部分と子供の部分が、アンバランスで、時に、人を傷付け、自分を守るだけで精一杯のとき。
娘は、何故か人気があった。
目立つ年上の男子達に特に受けが良かった様だ。
娘とバスケが、小学校から一緒だった一つ上の子に呼ばれ、私に伝わってきた。
娘が人気のある男子の告白を断り、反感を受けていると。
よくある話だ。
息子が、高校生になり、娘は中学二年。
娘は、学校に行かなくなった。
バスケも辞めてしまった。