息子は、初孫。
先天性の病気を持って産まれた。
妊娠5ヶ月の頃から、何となく分かり、判明したのは、妊娠8ヶ月頃。
私は、覚悟していたので、育てる自信が不思議とあった。
生後2日目から、総合病院に紹介状を持参し、大学病院と、総合病院の小児科が、かかり医となった。
週に4日は、病院通いだった。
幸いな事に息子は、とても可愛いがられ、環境に恵まれた。
夜泣きも殆どなく、よく飲み、よく育った。
半年を過ぎた頃、娘を授かる。
正直、想定外だったが、息子に、プレゼントしたい。と思った。
順番通り自然な流れで、自分達は先に逝く。息子を残してしまう。
歩行出来るか、分からない息子に兄妹を残してあげたい。
一歳四ヶ月、手術をした。
術後は、順調で、直ぐに入院生活に飽きてしまうくらいに元気。
一歳半で、歩行が出来るようになった。
成長は、遅いが、息子なりに、少しづつ成長を見せてくれた。
その頃、娘を出産した。
逆子が最後まで治らず、へその緒が首に巻き付いているとの事。
頭が平均よりも小さく、体重もニキロ無い。
総合病院に紹介状を持参し、移る。
実は、息子の時よりも不安だった。
頭に何かあるのだろうか。
帝王切開で出産した。
実際、出産してみると、娘は、顔が、小さめで2700グラムの健康な子だった。
正直、安堵した。
息子は、娘が、産まれても、話題の中心で、皆に囲まれ可愛いがられた。
とても、マイペースでおっとりとした性格で、優しい。
息子が三歳、娘が、一歳半。
息子の幼稚園の見学などをしていた。
結局、私は、近所で働く事にして保育園に二人共入所した。
四季を感じてほしく
お花見、海、キャンプ、お祭り、紅葉を見にゴンドラを使っての軽い登山。スキー、スノーボード。
毎年、恒例の行事となる。
保育園の運動会や親子遠足、クリスマス会、発表会など、見たり、参加するのがとても、楽しみで、成長を見れ貴重な時間となった。
総合病院にて、病名が、何度も変わったが、私の中で、納得いかず、お願いをし、徹底的に調べて頂いた。息子と、娘の将来も考えての事だ。
娘も一緒に検査した。
東京女子医科大学の先生が、いらして、病名が、やっと判明。その症状は、私の中で、ピタリと一致する症状で、とても珍しい病気と分かった。
娘は、今迄もこれからも、影響ない事も分かった。
更に、息子は、毎日の成長ホルモン注射をする事となった。
私達はやっと先の見通しが少し見えた。
色々と、解かり前に進み出した五歳。
丁度、妹が同じ背丈になってきた頃だったか。
私達は、息子が、一歳の頃から、主人の家で同居をしていた。7人家族。
私は、主人の家が憧れだったのかもしれない。両親揃っていて、普通な感じがして、いつか、自分も普通になれるんじゃないかと。
環境に恵まれ、子供達は、可愛いがられ、一緒に育てて頂き、沢山の事を吸収し、育まれた。
義母と息子が、朝、ゴミを一緒に捨てに連れて行った。よくある日常だ。
少し帰りが遅いが、いつもの事なので、下の子と一緒に私は居た気がする。
大きな声と、物音がし、息子が義母に抱えられ頭から沢山の血をだし泣いていた。
義父が、バタバタと動きながら、
「これは、事故だからな!」
と、何度も何度も言っていた。
私は、全く動けなく、息子の姿がショックで只々、茫然としていた。
義父と、義母は、息子を連れて病院に行った。息子は、何枚も、タオルを変え何枚も巻きながら連れて行かれた。
我にかえり、自分も一緒に行きたかった。と強く思った。
私は、その日の記憶が何故か、あまり無い。
只、主人に電話し、怪我した事を伝えると、温厚な主人に怒鳴られた事を覚えてる。
「お前、一緒に居て何やってたんだ!」
義母が一緒だった事が分かると黙った。