遡る

引っ越し先も決まり、準備を進めた。

各種手続きや、家具、家電等の生活必需品。
ある程度目処もたち、入居予定日を決めた。

バタバタと動いていた時、再び、主人の借金が発覚。

前回の時に、一社だけ隠していたとの事。
1つにまとめた時の借金額にまた到達していた。


引っ越し予定日を控えた矢先の事だった。

中止した方が良いのでは。
過ったのは一瞬だった。

予定通り引っ越しをする事にした。


もうしない。さすがに懲りた。
前回、一社残しながら言っていた言葉だったのだ。

疑いもしていなかった。

子供達が小学校入るまでには、仕事や、お金の使い方等自制心を持ち、見通しが付く生活が出来るように目指したいと望んでいた。

勿論、主人にも伝えていた。

出張先で、突然仕事を辞めたと連絡があった時は子供達を乗せ車で向かう。

主人は、タバコ代、飲み物等として、三万円。
お昼は、お弁当と水筒を持参。

お小遣いが三万円。

その他かかるガソリン代、服等欲しい物や、お酒、突然の出費や、出張の時は別途となる。

一度にお小遣いと生活費を渡すと使ってしまい、日々の生活費を重複し、渡す事になる。

お小遣いは渡し、生活費は日々渡す。ガソリン代も別にしてみる。

だが、主人は一回にまとまめて欲しいとの事。

ある時、支払いや、生活状況を知る機会と考え、無くなっても良い覚悟で、生活の管理を主人に託してみたりもした。

主人は、任せろと、喜んで受けた。
支払いをせず、3日で、使ってしまった。

今のうちに経験して貰いたく、結果はどちらでも良いようにしていた。
考える機会を設ける事は、同居しているから挑戦出来る事で、独立してからでは、難しい。


同居を解消し独立すべく動いていたが、同居生活に私は、結局甘えていた。

何かあっても、屋根があり雨風しのげ、食事もでき、お風呂に入り、子供達との時間がある。

尚更、独立しなければ。

引っ越しをした。

しかし、主人は既に借金は、元金だけを返すため他で借りる自転車操業に陥っていた。

主人は、引っ越しして2ヶ月後にかなり離れた自動車工場に出稼ぎに行くと言い、決めた。

一応、二重生活は入ってくるお金の分、出るお金も増えると言った。
何よりも、家族でご飯食べたりする事は、子供達の今後の大切な経験だと考えていた。
借金返済が滞っても私の中で優先したい事だった。

主人は、一度言ったら聞かない達なので、子供達が幼いうちに、一度遠距離になってみても良いのかもしれない。
続かないだろうと、想定していた。


只、サラ金10社くらいの支払いを代わりに私が回る事になった。


そういう事に疎い私だが、子供達を連れて仕事帰りに回る事はしたくなかったのを強く覚えている。


サラ金の支払い日は、各社、日付が違い、回ってみると、何日かおきに支払い日で行かなければならなく、支払いに追われる日々だった。


主人の家には言っていなかったので、その度に実家に子供達を預けた。
帰宅してバタバタと、ご飯や、お風呂やらで、9時には、子供達を寝かしつける慌ただしい日々。


どうしても、サラ金のATMのボックスに慣れず、子供達に嘘をついているような負い目が沸いてきて、一刻も早く離れたかった。そんな支払いに追われる日々を、主人はよくやっていたなと思った。

一度に生活費も含めて欲しい。主人は、パチンコで増やそうとしていたのだろう。


やはり、二重生活はお金がかかる。
主人からは、振り込みの依頼がくる。

お金は、本当になかった。

でも、好きな時に掃除や洗濯ができ、子供達と休みの日は保育園を休ませ、一緒に過ごせた。

日中の、自分達の声や、足音、ドアの明け閉め、トイレの流す音など気にする必要が無くなった。

5年間一度も入れなかった湯槽にも子供達と入れた。
1週間に1回実家に帰ってしていたトイレも、出来る。

お金はないが、とても暮らしやすく自由に楽しく生活が出来るありがたさを痛感した。

上下の階のドンとした音がなると、義父母が怒っているんじゃないかと、癖でヒヤッとする。3~4人分のご飯の量がなかなか掴めず作り過ぎてしまう。

慣れるのに、5年はかかった。


お正月。
主人が半年ぶりに帰ってきた。
久しぶりにみる主人は、何だか別人のように小さく見えた。


空港に子供達を連れ迎えに行く。
子供達に主人が乗っている飛行機を一緒に見て待った。子供達は、飛行機に乗って帰ってきた主人を誇らしげにはしゃぎながら迎えた。
                     半年間、借金は元金を返すのがやっとで、二重生活で、出稼ぎ先でもパチンコをしていた為、生活費が足りなくなる。
当初出稼ぎに行き一気に返済したいと言う希望は難しい。


車の工場は、長期休みで地元に帰宅すると戻らない人が多いらしいと主人が話した。


主人は、そのまま戻らず、半年間の出稼ぎとなった。


出稼ぎは、この一度となった。


無職になったが、すぐに建設業に戻ったと思う。

子供達も私も嬉しかった。

主人は、今までお給料が手渡し。
会社は違えど、それは今でも変わらない。   

お給料日の日に、お給料持ったまま3日位帰って来ず、心配する子供達の問いに、


お仕事で出張だよ。
皆の為にこうしている今でも、頑張って働いてくれているなんて凄いね。


と、ごまかした。
私から、特に連絡する事もなく私も、やるべき日々の事に追われていた。

その内、お金がなくなると帰って来て謝る。

同居中、帰って来ない日はなかった。
親に心配かけたくなかったんだろう。

電気が止められ、まずいと思い、明るい夕方の内に急いでお風呂に子供達を入れ、実家で用立てて貰う。

子供達には、何とか取り繕えた。心配や、不安にだけはさせたくない。


私のお財布や、通帳からお金がなくなる。

主人は、何かある度にパチンコ辞める。
もう、懲りた。

などを繰り返す。
私も、その度に、そのままを受けとる。

主人もどうにかしたくて、必死なのだろう。
                     お正月の子供達のお年玉がなくなった。

  
私達は、お互いやりたいことや、目指して進んでいる方向が違ってきているのではないか。だとするならば、お互いがお互いを、負担に思い、足枷となる。

道が違うならば、それぞれに歩む方が良い。


二度めの、本気で離婚を切り出した頃。

浮気の時から三年たった。


息子 6才
娘  5才  主人、私25才