結婚し、子供達との日々を過ごす中で、記憶が曖昧な中、時に自分自身とリンクする。

自分自身の子供時代。
妹の立場の自分。
自分が子供の頃の親の反応。

幼少期、
割と転々としていたらしい。

1才の時に手術をし、その後、父と母は離婚。
母に引き取られ、私と兄は養護施設に預けられた。

小学校に兄が上がる歳に私達は母に引き取られ、母の実家のある土地に引っ越すこととなる。

その際、母は、父に土地を離れる事を告げ、再び一緒になったらしい。
が、上手く折り合いを付けれづに父は、単身赴任という形になり、施設があった場所に戻る。

父は、一年に一度帰って来るかどうか。
テレビが一番見易い、いつも兄が占領している場所は、帰省した父の定位置と変わる。

普段、誰にも空けづに当たり前に使っている兄が、自ら父に特等席をあけていた。

父が帰って来ると、父だけ1品2品多い食卓だった様に思う。
母も、兄も日常とは異なる特別な日となる父の帰省は、緊張感で何とも複雑な期間であった。

父は、基本的に口数は多くなく、休みは朝からお酒を飲んでいた。
飲み始めると、饒舌には程遠いが、多少仕事の話しをしたりする。
あまり食べる人ではなく、痩せていたと思う。

父は
地震、カミナリ、火事、親父的な象徴だった。

兄が何か問題あると、
「お父さんに電話するよ。」
母の口癖だった。大体の事はこれで片付く。

実際の父には、あまり怒られた記憶はない。
優しかった。
ご飯の炊き方や、掃除等教えてくれたのは父だった。

父が勉強していた私に、ポトフを作ってくれた。
林檎を包丁使いで、色んな形にして見せ、中でも船が出来た時を記憶する。

元は、コックだと母から聞かされた気がするが、実際は分からない。
母は、父より自分は料理が下手だと卑下しながら言っていたように思う。

学校や、友達から父の職を聞かれたら、
会社員
と言うよう母に言われ、理由も聞かず、その様にしていた事をつい先日思い出した。

父の3回忌が迫り、遠方の為、父方の両親のお墓参りに行ったからか。

私は幼いながらも、俗に言う会社員ではないと分かっていながら、母の言伝てを守った。

友達や、友達の家族など、何故か聞かれる機会は思いの外多く感じた。

やはり、クラス変え等友達も新しく加わるからか。

話題が出たときの気まづさや、言いづらさ故に、多く感じていたのか。


父は、全く知らない人でも、何も聞かずに雇い、すむ場所や、食事まで全て見る様な人だった。

が、お金を持ち逃げされたりするが、父はその人を悪く言ったり、探したりせず、自分がした事を後悔する様子もなかった。

故に、そんな事は度々あった。

父はお金が足りないと仕送りが少なくなったりする。

いかに父は、だらしがなくルーズな人なのかを母はいつも私に説明し、自分は、騙されて、結婚した。出会わなければ違ったのに。話し嘆いた。

子供なんか欲しくなかった。
あなた達さえ居なければ私の人生はもっと違った。若くて分からなかったと、度々泣いていた。

あなた達は、別に引き取らなくても本当は良いのに、そんな人が多い中、自分は引き取ったんだ。

母は、正直で喜怒哀楽を隠すことなく自分の全てを私にぶつけてくる。それは突然くるため、私は冷静に対処できるよう、日頃から気をつけていた。

誰かと、電話しながら泣いていたり、楽しそうに、手作りのお弁当を作っていたり。

たまに、私だけ一緒に何処かに連れて行かれると地位がある様な男の人が一緒だった。間違っても物事を情で決めない。父とは、正反対の人ばかりだった。

母と出かける事も割と多く、母は歳より若く見られる為か、外では、お母さん。と呼んではいけなった。
施設を出てその単語を使いこなすのに、私は時間がかかった。ようやく言いなれた頃、外では呼べなくなった。


兄が、色々と問題行動が出てきて、私に兄の子育ての悩みを話す母。

私は、欲しい文房具も、おもちゃも、雑誌も無く、アイドルにも全く興味が無かった。

学校では、普通に友達の中で過ごし、光GENJIの誰が好きかで盛り上がっていた。内海君。一番周りがたまたま無いと言った名前を言った。さらっと言えるまでに上達した嘘。


頭の中は母の事でいっぱいだった。
ちょっと何かあると、冷静ではいられない母は、何か壊れやすく恐かった。


母は、好きな人と婚約までしたが相手の両親に反対され破談になり、私達を引き取り地元に戻ったそうだ。

が、父が一緒にやり直す提案をし、再婚したが、母は、その人が忘れられづ父との生活が無理だった言った。

情に流される父と、情に流される事を最も嫌いとする母。


そして、決って母は、言う。
あんたはお父さんに、そっくり。と。

私は、そんな両親を、特にいつも一緒の母は、とても大事な存在だった。
自分の出来る限りの事をしたいと思っていた。引き取って貰い、申し訳なく、いつでも戻っていいと考えていた。少しでも一緒に過ごせただけで充分有難い。

母の好きな人生を歩んで欲しい、足手まといになりたくない。

心からの私の願いだった。母が大切だった。感謝していた。


今思えば、それが私にとって、楽な道だから強く戻りたいと考えていたのかもしれないし分からない。


子供達にお父さんを大好きでいれる様にする。

子供達に言えない仕事はしない。

子供達の前で泣かない。

子供達の前で喧嘩する夫婦にはならない。

子供達に嘘をつかせる様な事を大人がしない。


これは、私が子供達と接する上で、最も強く思い、拘ってきた事だった。


私は母とは別の生き物。似ていないと思っていた。良くも悪くも母とは違う。強く思っていた。

思い起こしたのは先日だが、記憶が無くても影響を受けているのかもしれない。

だとしたら、子供達に対して少なからず影がちらついていたかもしれない。

この事だけは、出来てきたと自負していたが、果たして本当なのか。
 
今になり、自信が霞む。


現在
息子 22歳 
娘 21歳   私。主人。42歳