殺し文句は「主の花嫁」「神様から選ばれた女性」

 

 

 キリスト教福音宣教会 教祖 鄭 明析から性被害に遭った女性信者は一万名近くいるという。

千人斬りは聞いたことがあるが万人斬りとは。 叫び

 目を付けられた美人信者は必ずと言っていいほど、鄭の毒牙にかかった。

 鄭は 旧世界基督教統一神霊協会の教祖 文鮮明をさらにパワーアップしたようなスーパー淫乱教祖なのだが、その手口と口説き文句は文鮮明が梨花女子大事件等で使ったのもである。

  

  まず、鄭と交わったことがある古株女性信者が新人女性信者に「再臨のメシア」が面接したいと伝える。

  その時「これは滅多にない特別なことで、貴女は神様から愛されてるからメシア(鄭)からよばれたのよ」と新人の承認欲求をみたす。

 承認欲求を満たされ感激した新人女性が密室で鄭と会うと「貴女は主の花嫁になる使命がある、イエス様は生前結婚できず、孤独であった、神様と再臨のメシアを愛することはイエス様を愛し慰めることになる」みたいな誘導で、鄭との性交がイエスに対する愛と信仰の証に転換されて説得される。

 

 このように、一度イエスに感情移入してしまった女性信者は疑うこともなく、単なるスケベジジイ(自称イエスの再臨)に性奉仕してしまうから洗脳は恐ろしい。

 

 物語(ナラティブ)の怖さ

 

 ドラマや小説に没入した時、主人公に感情移入する時がある。主人公が悲嘆にくれれば同じく悲嘆し、主人公が喜べば同様に喜ぶ。宗教も一種の「物語」である。「物語」の主人公である教祖に感情移入してしまうと洗脳が完了する。

 (自己同一化)

 

 洗脳とは「物語」の世界にどっぷり入って抜けられない心理状態のことだ。一度その世界に入ってしまうと理性や理屈は通用しない。

 信仰者になるほど、「物語」に深く没入し虚構世界の住人になってしまう。

 

 福音宣教会の鄭は海外逃亡の果て結局逮捕され、性犯罪の実刑をうけ韓国の刑務所に入れられる。

 しかし、信者はこれを「罪なき再臨のメシアの贖い」としてクリスチャンが信じる「イエスの贖い」と同じ解釈をするのだ。

  また、鄭が出所するとき電子アンクレットがつけられたが、このアンクレットを信者は「十字架」と解釈するから驚きだ。

(韓国では強姦罪を犯した性犯罪者は出所後もGPS付の足枷ーアンクレットがつけられる)

 

 

 

        

 

  

  非信者にとっては難易度ウルトラCクラスのアクロバティックな解釈だが、信者は鄭明析の逮捕収監を「国家による迫害」とか「受難」「サタンからの攻撃」とすり替える。

  

  旧統一の場合もそうだった。文鮮明が囚人になっても「国家による不当な迫害」と悪いのは世間や国家になり

「罪なきメシアが人類の罪を贖ってる」みたいな美談にすり替えていた。

 何故そうなるかというと、原理講義「イエス路程」と「主の路程」を重ね合わせお涙頂戴物語で感情がハックされるからだ。

  

 こうした自称再臨主がしかける罠から抜けるためには「聖書」やイエスを客観的にとらえることが必要である。