キリスト教のブランド力
ネットフリックス「すべては神のために-裏切られた信仰」を視聴して気づいたことがあった。
聡明で美しい女子大生達がメシアを自称する「性獣」に騙され何故餌食になったのかを考察すると、キリスト教や聖書に対する幻想が影響しているのだ。
上智、立教、青山学院、ICU、同志社、関西学院、南山これらミッション系大学に対するイメージはどうだろう。
私立の中でもそこそこ偏差値が高いし、 お坊ちゃんお嬢ちゃんが通う学校というイメージがある。
ミッション系に通ってるだけで、ハイソな家庭出身という先入観を持ってしまう。
韓国でも、延世、梨花女子、西江などミッション系は名門であり難関だからブランド力が高い。
クリスチャンでないにも関わらず、結婚式は教会チャペルで挙げることに抵抗がなく、クリスマスを盛大に祝う日本人にとって
キリスト教は信仰対象というよりファッション感覚で受けいられている。
また聖書もほとんどの日本人は読まないが、何か善い事書いてあるんだろうなという漠然としたイメージがあると思う。
このようなキリスト教に対する幻想は、欧米の圧倒的な経済力、科学、文化コンテンツ量を背景に蓄積されたブランド力だ。
原理研究会と「摂理」は全く同じ布教手法
1980年代左翼運動が衰退すると同時に、日本のキャンパスで勢力を拡大させたのが原理研究会だ。
一方韓国でも「摂理」-キリスト教福音宣教会 はSKY <ソウル、高麗、延世の三大名門大学>を中心に爆発的に
学生メンバーを増やしていった。
福音宣教会の教祖 鄭 明析は旧統一教会からスピンアウトして教義と布教方法をまねたのだ。
これら組織はサークルを装い、リクレーションやスポーツ、音楽イベント等で学生を集め、学生同士の楽しい交流を通じて勧誘するものだった。
何を隠そう、私も大学に入学して二週間後、原理研究会にアンケートをとられ、ソフトボール大会に誘われてついていったら、
そのまま逝ってしまいました。
宗教活動なんて全然するつもりなかったんだけど。
その勧誘アンケートに「真理はあると思いますか?」と「聖書に関心がありますか?」という項目があった。
それらに少しでも反応すると「脈あり」と判断されしつこい勧誘が始まる。
最初は警戒するんだけど、「まあ聖書やキリスト教を勉強するのも教養になっていいかな」と考えて、つい脇が甘くなってしまう。
こうして意識が高く、生真面目な学生ほどキリスト教系カルトに食い物にされる。
もし「法華経を勉強して一緒に南無妙法蓮華経を唱えませんか」とか「般若心経を写経しましょう」と誘われても学生時代の私だったらピクリとも動かない。
しかし、綺麗な女子学生お姉さんから「聖書を一緒に学びませんか?」と誘われたら、期待してついていく男子は多いだろう。
(因みに私の周りの原研女子はブス レアタイプ多かった)
このように、キリスト教や聖書に免疫がない人間はやすやすとその教団独自の聖書解釈や教義に取り込まれていくのである。
だからこそ、聖書やキリスト教の成り立ちから勉強してそれらに対する一種の幻想を振り払わないかぎり、
第二第三の旧統一やキリスト教福音宣教会のようなカルト宗教が発生する可能性がある。