マインドコントロール理論のうさん臭さ
私は、「マインドコントロールされた」とか「教団教祖に騙された」と主張する元信者を信用しないし、軽蔑する。
(例 ブログ村で狂ったようにブログをあげてるナツミカンや青春を返せ裁判の原告元信者等)
また「マインドコントロール理論」でカルトを説明する反カルト業界の人々に対しては彼らこそカルトが何かわかってないやつと侮蔑する。
とりわけ、統一教会信者の拉致監禁による強制脱会を実行してきた牧師やそれを支持していた
某福音派信者に「マインドコントロール理論」でカルトを説明する輩が多いのだが、
彼らこそカルト性の高い危険で独善性の高い人種だと断じる。
米本さんが常々主張する「アンチカルトのカルト性」である。
なぜ私は彼らを軽蔑し信用しないかというと、マインドコントロール理論というのは「他責思考」「被害妄想思考」だからだ。
因みに、反ワク陰謀論信者もこのマインドコントロール理論を援用して任意でワクチンを接種してる人に対して
「闇の政府やマスコミにマインドコントロールされて有害ワクチンを接種させられている『目覚めていな人間』」 とみなしている。
なぜそういう発想になるかというと、 「マインドコントロールされている目覚めていないおバカな大衆」
(反ワク内海聡医師によるとグーミン)
に対して自分達は「マインドコントロールされていない目覚めた選民」という自尊感情が満たせるからだ。
皮肉なことに、マインドコントロール理論を使う人間はカルト信者と同じく選民意識に浸れるようになるのだ。
「彼らはマインドコントロールされてるんだ」とか「騙されているんだ」とカルト信者やワクチン接種者をまるで操り人形のようなかわい
そうな主体性のない人間と見下すことによって優越意識をくすぐられるため、マインドコントロール理論を疑いもなく受け入れる。
米本さんが「火の粉ブログ」でさんざん述べてきたことなので今更詳しく書かないが、
マインドコントロールに対する疑義は以下の言葉に尽きる。
から引用
大田俊寛(宗教学者)
「オウム問題とは、「教団が無垢な一般人をマインド・コントロールして入信させた」「教祖である麻原彰晃が信者たちをマインド・コントロールしてテロを遂行させた」という単純な構図で分析され得るようなものではまったくなく、管見の限りでは、マインド・コントロール論を用いてオウムという現象を一貫して説明し得たような著作や論文も存在しない。」
「マインド・コントロール自体は良くも悪くもない、カルトがその技術を「悪用」していることが問題だ、と主張されるが、もしそうなら、カルト問題にあえてマインド・コントロール論を持ち出す意義自体が消滅する。」
「社会心理学が指摘したように、近代の社会システムにおいて人間は、受動的・依存的になりやすい。とはいえ、「人間が集団の力や場の力に支配され、あたかもロボットのように精神を完全にコントロールされてしまう」というのは、明らかに現実離れした極論。 本来われわれが目標とすべきは、近代の人間が受動的・依存的になりやすいという事実を認めた上で、
そこから脱却する方途を見出すことであったはず。そのためには、周囲からいかなる影響を受けようとも、
最終的には自ら考え、自ら決断し、自ら責任を取らなければならないという、主体性の原理の重要性を強調し続けなければならないし、同時に、健全な主体性を発揮するために必要とされる幅広い知識を身に付ける努力を怠ってはならないだろう。」
ー----------------------引用終わり
(ナツミカンはしっかり読めよ、ボケ、お前の不幸自慢は飽きた。
他責思考の人間は統一に行かなくてもウジウジと自己憐憫で承認欲求を満たしていただろう)
このように、マインドコントロールでカルト信者の入信過程を説明することに対して私は徹底的に批判する。
前振りは、このくらいで逆説的(パラドックス)に私の「マインドコントロール」体験を書いてみよう。
飲む打つ買うの三拍子
昭和世代の私は、「飲む打つ買うは男の甲斐性」という当時の男親世代に「マインドコントロール」されて育った。
高校二年生の夏にタバコを覚え、たまに父の晩酌に付き合い。高校の同級生と花札で遊んでいた。
高校を卒業するや麻雀パイも買い揃え、大学一年の夏休みにはバイトした
金でトルコに出撃して童貞を捨てるぞと意気込んでいた。
(当時ソープはトルコと呼ばれていた)
大学の二次試験が終わって帰りの新幹線でラークを吸いながら
、「入学したら、徹夜マージャンしてがんがん合コンに行くぞ。飲む打つ買うの三拍子そろった
万能選手を目指すぞー」と決意したのを今でも覚えている。
(当時は電車の中でもタバコが吸えた、でも18歳の私の喫煙は違法行為でした。
でもなぜか高校卒業したら堂々とタバコがすえると謎の確信があった)
「マインドコントロール」からの脱出
それがだ、入学後の四月の終わりには原研のアンケートに引っかかって、6月にはめでたく7日修練会に出てしまったじゃないか、畜生。
さんざん抵抗したんだが、霊の親の情にほだされて、夏休みには新人研修会に「強制連行」されました。
夏休みには自動車学校に行く予定(ついでにトルコでお風呂も入りたいので)がありますので新人研には出れません、
早く解放してくださいとさんざんお願いしたんですが彼らもよく分かったもんで
、夏休みに「堕落」してしまうのを防ぐため脱出が難しい山奥の修練所で私を「マインドコントロール」しようとしたのです。
しかし、私もただ泣き寝入りするようなお人よしではありません。
新人研には、茶本繁正の「原理運動の研究」
萩原遼の 「淫教のメシア文鮮明伝」などを持ち込み班長や講師にさんざん悪態をつき、原理講論や聖書、
文鮮明に対する疑念を述べ、他の班員に原理用語でいう「悪の繁殖」を仕掛けたのです。
そうするとgoutは修練会の劣等生どころか超カイン的危険人物として班長,進行にマークされ、
個別に隔離されて他の班員と交流できなくなった。
そうこうしてるうち、とうとう、私は修練会が残り一週間というところで、脱出を試みます。 「パピヨン」かよ。
見事修練会から脱出に成功して実家で紫煙をくゆらせながら、大学にもどったらどうやって原研と縁切ろうかなと計画していたのです。
ところが、霊の親やホームの先輩方も諦めません。下宿は夏休み前に払っていたので、結局ホームで共同生活しているうちに
人間関係の絆が強まり、教義には反発していたのだが、原研の先輩方の人柄に感化され「真人間」になるように
「マインドコントロール」されていったのです。
あんなに、合コンやトルコに行きたかったのに、あんなにタバコを吸っていたのに、「ロン!チー!」とか叫びたかったのに、
ビールを飲みながら馬券を買いたかったのにそういう感情がなくなっていったのです。
きっとあれは「マインドコントロール」されたからに違いありません。すげー「マインドコントロール」ありがたや。
おかげで、18歳からタバコを一本も吸っていません。酒は離教してから一年に数度飲むけど、ほろ酔いで満足。
博打もやらない。暗号資産取引所や東京証券取引所という「鉄火場」で時々株やコインはたしなむけど。
これは仮定の話だけど、自堕落な私の性格からいって、原研に出会わなかったら、タバコをやめず、酒と女と博打に現を抜かし
まともな健康状態や家庭を持っていなかったと想像する。
今は
プロテインやサプリメントを 飲む
囲碁 、バッティングセンターの球 を 打つ
本 を 買う
の三拍子をそろえ、同年代より10歳以上アンチエイジングに成功したと自負してる。
それもこれも、原研の「マインドコントロール」のおかげだ。
とりわけ喫煙習慣から脱出のきっかけができたことは感謝に尽きない。
懐かしいCMでしょう。
私は禁煙パイポでなく「マインドコントロールされて」タバコをやめました。
ところで、ブログを書いてると無性に濃いブラックコーヒーが飲みたくなってきました。
きっとこれはコーヒ業界が「マインドコントロール」して私を「マインドコントロールされている」
自覚がないままコーヒを飲ませようとしてるんだろうと思います。
きっとそうだ、悪辣なコーヒ業界はマイコン(陰謀)して儲けてるぜ!
(いや違うって単なる軽いカフェイン依存症だって)