第4章
1 人はその妻エバを知った。彼女はみごもり、カインを産んで言った、「わたしは主によって、ひとりの人を得た」。
2 彼女はまた、その弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。
3 日がたって、カインは地の産物を持ってきて、主に供え物とした。
4 アベルもまた、その群れのういごと肥えたものとを持ってきた。主はアベルとその供え物とを顧みられた。
5 しかしカインとその供え物とは顧みられなかったので、カインは大いに憤って、顔を伏せた。
6 そこで主はカインに言われた、「なぜあなたは憤るのですか、なぜ顔を伏せるのですか。
7 正しい事をしているのでしたら、顔をあげたらよいでしょう。もし正しい事をしていないのでしたら、罪が門口に待ち伏せています。それはあなたを慕い求めますが、あなたはそれを治めなければなりません」。
8 カインは弟アベルに言った、「さあ、野原へ行こう」。彼らが野にいたとき、カインは弟アベルに立ちかかって、これを殺した。
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ツッコミどころ
①「人はその妻エバを知った。」 ということはそれ以前「知らなかった」と解釈できる。
この「知る」とは性交の意味であることは明らかであることから、アダムとイブが禁断の果実(善悪の実)を食べたことは性交の意味ではないと推理される。
もし、アダムとイブが「エデンの園」で性交を行っていたのなら、わざわざこの第四章で「知った」と表現することはない、何故なら、もう「知っていた」からだ。
「善悪知る実」を食べたことは、統一原理の堕落論によれば、人類始祖が時ならぬ時にセックスしたと
解釈してるがどうも色々矛盾がある。。
人間が猿から進化する過程で、自意識に目覚め、「自他分離」を経験したことを失楽園の物語が象徴してる説を強く私は支持する。
↘ ↘
「出口なし」というサルトルの作品で「地獄とは他人のことだ」というセリフがあるが、それと一緒に考えると自意識つまり他者を通して自己を意識することが「楽園追放」だと納得できる。
② 「アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。」
いきなり牧畜と農業かよーwwwwwwww
アダムとエバは神に土を耕させられたとあるから、カインは農夫二代目だがアベルは牧畜一代目だ。
農夫や羊飼いっていきなりできるのか?そもそも、野生の羊が家畜化されるまで何代も交配しないといけないだろう。牧畜や農業の歴史は高々一万年くらいだと言われている。一方、狩猟採集生活を人類は何十万年と続けてきた。
したがって、進化心理学によると未だに人間の心は狩猟採集生活時代のままであり、
現代文明に適応できていないとされる。
「原罪」とは大規模農業を始めたことだという説もある。
因みに、カインとアベルの物語は実際にカインアベルなどのような人物は存在せず。
農耕民族 VS 遊牧民族を寓話化したものだ。