統一原理を否定する二世は多い、しかしキリスト教や聖書の権威も否定する二世は希少だ。多くの元シックや離教した二世もキリスト教や聖書には一目置いてるケースが多い。しかし、聖書を盲目的に信じてしまうと、また福音系カルトや陰謀論に嵌ってしまう恐れがあるので注意が必要だ。
七男のサンクに行った二世や元家庭連合メンバーも今や福音系カルト&陰謀論信者の様相を呈している。
今回紹介するのは二世の新約聖書批評だ。
引用開始
『イエス・キリストって実在したのかな?』 これは私もほんとに悩んだところなんですよね。 私は、奇跡も起こさず蘇生もしなかった『人間イエス』がいたのだと思っていたのですが最近は新しい考え方が出てきました
復活する救世主たち
- 処女懐胎(神によって)
- 神の子
- 赤子の頃に殺されそうになるが救われる
- 貧乏な家族に育てられる
- 羊飼いになる
- 大衆から愛され、王として称えられる
- エリートの策略によって殺される
- 墓から死体が消える
- 死から蘇る
- そして友人の前に現れ福音を伝える
- 昇天し、天から世界を治める
イエス様でしょうか?いえ違います。イエス様がいたとされる当時、ローマで信じられていたローマ建国の神、ロミュラスです(詳しくは1世紀のローマの歴史家プルタークの「対比列伝」参照)。
当時流行ってた、神の息子が死んで復活して救世主になるテーマは、ローマのロミュラスだけではありませんでした。エジプトのオシリス、ギリシャのアドニス、ザルモキシスなどがあります。いちばん古いのは紀元前4000年のシュメールにおけるイナナ(イシュタル)があって、それを他の宗教がアレンジしつつ取り入れて(Syncretism)広まっていたのです。ユダヤ教が「死んで復活する救世主」を取り入れたのは他の宗教と比べてかなり後になってからでした。
当時のユダヤがローマの影響下にあったのはよく知られていると思いますが、隣のエジプトにも多くのユダヤ人が住んでいて、ユダヤとエジプトを往来していましたし、新約聖書をギリシャ語で書いた人々はギリシャ語のテキストとしてヘレディタスを読むのですが、そこにはザルモキシスの物語が書いてあるんですよ。つまり「死んで蘇る救世主」であるロミュラス、オシリス、ザルモキシスの事はユダヤ人には一般常識だったんですよね。新約聖書を書いた人々もほぼ確実に知っていたはずです。旧約聖書にさえ復活する救世主の記述ありますね。
このようにヘレニズムの流れから大局的に見ると、ユダヤ教が「心で蘇る救世主」という宗教的モチーフをユダヤ教的に導入してキリスト教を作り出したのは当時の流行として必然だったとも言えます。
新約聖書の読み方
新約聖書ってだいたい書簡と福音に分けられるんですが、聖書に載ってる順番は福音書が先で、その後に書簡が来てます。
実際に書かれた時代は載っている順番と逆で、書簡が先に書かれて、その後にユダヤ戦争が起こり空白期間ができ、その後に福音書が書かれました。それで、書簡と福音書ではイエス像が全然違うんですよ。書簡の書かれた当時は幻覚によってイエスに会う神秘宗教的な信仰なんですよね。
書簡を読んでみると、イエスが誰から生まれたとか、使徒連れて説教したとか、人々に奇跡を行ったとか、 全然書いてないですよね? 神を崇めよ、イエスの犠牲を崇めよ、悔改めよっていう抽象的な話なんですよ。
西暦45~60年頃に書かれたローマ人への手紙 第1章 (パウロ七書簡の一つ)
キリスト・イエスの僕(しもべ)、神の福音のために選び別たれ、召されて使徒となったパウロから-
この福音は、神が、預言者たちにより、聖書の中で、あらかじめ約束されたものであって、
御子(みこ)に関するものである。御子は、肉によればダビデの子孫から生れ、
聖なる霊によれば、死人からの復活により、御力(みちから)をもって神の御子と定められた。これがわたしたちの主イエス・キリストである。
西暦66年から74年にユダヤ戦争が起こり、ローマに神殿が破壊されます。この時期はキリスト教がどうだったのか記録がなくて空白期間です。
西暦70~80年頃に最初の福音書であるマルコの福音書が書かれましたが、驚くことにイエス像は、誰と何をしてこんなことが、あんなことがあって、とリアリティ溢れる記述に変わっています。
さて、イエスはガリラヤの海べを歩いて行かれ、シモンとシモンの兄弟アンデレとが、海で網を打っているのをごらんになった。彼らは漁師であった。
イエスは彼らに言われた、「わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」。
すると、彼らはすぐに網を捨てて、イエスに従った。
ユダヤ戦争の間に何が起こったのか?それがエウヘメリズムまたはエウヘメリゼーションと呼ばれる、「神話上の人物をあたかも実在したかのようにストーリーを作る」という現象なんです。もちろんユダヤ教だけでなく多くの宗教で行われています。有名所ではギリシャ神話に出てくる神々の後付設定で人間だったお話を作った紀元前三世紀のエウへメロスです。
つまり、周辺国家からパクってきた『死んで蘇る救世主』に啓示で出会う神秘宗教だったキリスト教が、リアリティを確保するためにエウヘメリズムで人になったというものです。
ユダヤ教の変化
信仰されている方で「ユダヤ教が他の宗教から影響を受けるはずがない、神の導いた宗教だったのだから」と思われる方もいるでしょう。しかし他の宗教から人気な要素を取り入れるのはよくある事でした。
例えばユダヤ教にはもともと死んでから行く「天国と地獄」という概念がありませんでした。神とサタンの対立もなかったのです。悪は神の命令によって天使が行うと信仰されていました。
紀元前539年にペルシャ帝国がユダヤを占領します。神はユダヤが世界を治めると約束したのに、ペルシャに侵略されるの納得いかないですよね。隣の芝生は青いように、隣の神さまはすごいと思ったんですよ。そこでユダヤ教はペルシャの信仰するゾロアスター教から「天国と地獄」や「神と悪の対立」という宗教的要素を取り込みます。
従来の「悪は神の罰」という説明だと、無慈悲な神さまになりますよね?神と悪魔(サタン)とが戦っているなら、神さまはいつも善でいられるわけです。死んだら魂は地上に残り続けるという概念よりも、善に生きれば死後に楽園で過ごせる、悪人は地獄で苦しむというゾロアスター教の方が、公平感があるのてウケが良いと思われたのでしょう。
今ではユダヤ教の核心として機能してますね。キリスト教が出来る何百年も前にユダヤ教にSyncretismが起きたという実例ですね。
このような宗教的、歴史的な背景を踏まえながら聖書を読まなければ、コンテクストの無い現代人にとってさっぱり意味わからないのは当たり前です。逆にこの辺を押さえておくとなかなか面白い読み物になりますよね。
そして、イエスキリストも他の「死んで蘇る救世主」と比べることによって、当時のユダヤ人がどんな救いを求めていたかがよく分かると思います。
引用終わり
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本当に説得力のある話です。実際イエスのモデルになった人物はいたと私は思います。
勿論、処女から生まれたり、死んでから蘇ったなどの「非生物」ではない生身の人間としてのイエスです。
ただ、彼はローマに反抗した当時よくいたテロも辞さない熱心なユダヤ教徒に過ぎない。
それが後の初期キリスト教徒によって脚色され、ヘレニズム社会、ローマ社会に受け入れやすい人物像に変更されたと見るのが正しいでしょう。
例えば仏教を例にすると、釈迦の教えと日本に見られる大乗仏教なんてあまりにも乖離している。釈迦は葬式は必要ないと言ってるし、極楽浄土なんて説いてない。
しかし、仏教が伝わるにつれて道教などのその土地その土地の古来からある思想に影響され変容して最初とは似ても似つかないものになってる。
同じくキリスト教もイエスの直弟子と言われてるペテロが信仰した教えとは全く別物になってると見るべきだろう。
熱心な仏教徒でも釈迦が摩耶夫人の右わきから生まれた直後「天上天下唯我独尊」と唱えたなんて逸話を事実として
認めないだろう。
ところがクリスチャンのなかには新約聖書に書かれてるイエスをそのまま事実や史実として信じる人がいるのだよ。
反ワクチン派を非科学的だと批判する人でもイエスは聖書に書かれている通りだと信じれる心理構造もまた研究課題になるかな。