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 本当は神道の話を書きたかったのですが、「従軍慰安婦問題」を先に片付けたかったので、遅れました。
 私は、神道はユダヤ教に近く偶像崇拝と思っていません。厳密な意味からしたら、むしろキリスト教の方が偶像崇拝の傾向が色濃いと感じます。
 クリスチャンの中には本当に排他的な人がいて、神道を低級な偶像崇拝と蔑むなど、「超上から目線」でしか他宗教を判断できない輩もいます。
 果ては神道を「悪魔崇拝」とまで断罪し、何を勘違いしたのか「悲愴なる選民意識」(私から言わしたら滑稽なるナルシズム)に浸っている狂スチャンもまれにいますが、まあ相手にしない方が無難でしょう。
 ここで、いったって常識的なクリスチャンの神道評を紹介します。

非常に長いので興味ある方だけ最後まで読んでください。

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かつてイエス・キリストの使徒パウロは、伝道旅行をしてギリシャにやって来ました。そこには祖先伝来の様々な宗教の礼拝所がありました。そのときパウロは、
 「あなたがたのしているのは偶像礼拝だ」
 と言って彼らを責めたてたのではありません。パウロは声高く叫んで言いました。
 「あなたがたが知らずに拝んでいるものを、教えましょう」(使徒一七・二三)
 と。パウロは、ギリシャ人が昔から「知らずに拝んできた」おかたは本当はどなたかについて、語りました。天地を造られた聖書の神様こそが、あなたがたがこれまで知らずに拝んできたおかたなのですよ、と語ったのです。
 きょう私たちは、日本人が昔から知らずに拝んできたものについて、聖書から学んでみたいと思います。聖書は、日本人が知らずに拝んできたおかたについて、私たちに大切なことを教えようとしているのです。
 日本には古来、「神道」と呼ばれる宗教があります。"神の道"と書く「神道」は、仏教が日本に入るよりはるか以前から日本に存在していた、日本人固有の民族宗教です。
 「神道」は「しんどう」ではなく、「しんとう」と読みます。神道は、神社や祭などを通して、昔から日本人の心に連綿と生き続けてきました。
 今日お話ししたいことは、とくに、この神道のルーツは古代イスラエル宗教にある、ということです。神道の起源をずっとさかのぼっていくならば、それは古代のイスラエル人たちが守っていた宗教に行き着くのです。
 その証拠について、いくつかのものをご紹介したいと思います。それによって、私たち日本人が持つべき信仰は本当はどんなものであるかも、わかってくるでしょう。


神道は偶像礼拝か

 神道は、特定の教義よりも様々のしきたりや形式によって伝えられてきた宗教です、しかし、きわめてはっきりした幾つかの特徴を持っています。
 それらの特徴をよく調べてみると、旧約聖書に記された古代イスラエル宗教との間に、明確な類似点を幾つも見いだすことができます。
 日本人の多くは、昔から元旦になると神社にお参りするでしょう。また、祈り事があると神社に参り、結婚式は神道式で行なうことが多いでしょう。赤ちゃんが生まれると、神社参りをします。
 私はクリスチャンになってから、こうした日本古来の神道のしきたりというものは、キリスト教信仰とは何の関係もない、聖書の教えから遠いものだと、ながく思い込んでいました。
 神道は偶像礼拝で、聖書の真の神様の教えとは全く無縁のものだ、ぐらいにしか思っていなかったのです。
 しかし、よく考えてみますと、たとえば仏教では、沢山の仏像がつくられて拝まれました。ヒンズー教でも、たくさんの神々の彫像が作られて、拝まれました。ギリシャでも、たくさんの神々の形をした像が作られました。ところが、日本の神社を見てみると、神々の形をした彫像が一つも見当たらないのです。
 みなさんは、神道の神であるアマテラスオオミカミの偶像が、神社の中に立っている姿を見たことがあるでしょうか。オオクニヌシノカミの偶像を、見たことがあるでしょうか。
 ないでしょう。想像もできないはずです。絵くらいは見たことがあるかも知れませんが、人々が拝む対象としての彫り刻んだ彫像、神々の形をした偶像は、神道の場合は作られなかったのです。
 じつは、神道というものは、厳密な意味では「偶像礼拝」という言葉が当てはまりません。
 神社の本殿の中には、たとえば鏡が置かれています。では、その鏡が神様と考えられているかというと、そうではありません。それは単に、そこが神聖な場所であることを示すためのものに過ぎません。
 神道の信者は、その鏡を拝んでいるのではないのです。そこに降臨し臨在される、目に見えない神様を拝んでいるのです。神様は目に見えないおかた、とされているのです。
 神社の本殿には、そのほか、石や、剣、お札などが置かれています。しかし、それらは偶像ではありません。それらは単に神聖さを示すためのものに過ぎないのです。人々は、そこに降臨して臨在される、目に見えない神様を拝んでいるのです。
 目に見えない神様を拝むという、このような宗教形態は、じつは世界でも珍しいものです。しかし、ただ一つ、それは古代イスラエルの宗教に、よく似通っています。
 古代イスラエルの神殿の内部には、三種の神器――十戒の石の板、アロンの杖、マナの入った壺の三つの神器が置かれました。しかし、それらは決して偶像ではありませんでした。それらは神聖さを示すためのものだったのです。


神社に置かれている鏡や剣などは、偶像ではない。
イスラエルの契約の箱の中にあった十戒の石の板、
アロンの杖、マナの壺などが偶像でなかったのと同じである。

 聖書を読むと、紀元前一〇〇〇年頃にイスラエルの王ダビデは、「主の箱」――契約の箱を、エルサレムに運び入れたと記されています。この契約の箱も、決して偶像ではありませんでした。
 契約の箱は、神聖さを示すためのもので、神がそこに降臨し、臨在をおく場であったのです。
 人々は、契約の箱それ自体を拝んだわけではありません。人々が拝んだのは、そこに降臨して臨在される、目に見えない神様ヤハウェだったのです。
 目に見えない神様を拝むということにおいて、神道と、古代イスラエル宗教とは、たいへんよく似ているのです。そして両方とも、基本的に偶像をつくりません。


十戒の石の板も、契約の箱の中に
入れられていた。これも偶像ではなかった。



石の柱を"ご神体"とする由来

 日本の神社には、しばしば石の柱があります。大きな縦長の石を立てて、その周りにも石をめぐらします。石の柱は"ご神体"と呼ばれています。
 しかし、この"ご神体"というのも、偶像とは異なるのです。それは「依代」といって、神の霊がそこに降臨する、神聖な目標物の意味なのです。人々はそれ自体を拝んでいるのではありません。そこに降臨して臨在する、目に見えない神様を拝んでいるのです。
 日本の初代天皇の神武天皇も、石を積み上げて壇を築き、神を祭ったと言われています。しかしじつは、こうした風習は、今から四千年も前の古代イスラエル人の風習と同じです。
 イスラエル民族の父祖ヤコブは、神を祭るために石の柱を立てました。
 「ヤコブは、神が彼に語られたその場所に柱、すなわち石の柱を立て、その上に注ぎのぶどう酒を注ぎ、またその上に油を注いだ」(創世三五・一四)
 と聖書に記されています。日本でも、神社の神主は、しばしば石の柱を立てて、それに"神酒"を注ぐでしょう。


石を「ご神体」とする風習は、
ヤコブ以来のものである。
(尾張 浜神明社の御腰掛石)

 石の柱を立て、それによって神を礼拝するという礼拝形式も、古代イスラエルのものと全く一緒なのです。これが第一の事柄です。


お神輿のルーツは契約の箱

 日本人が知らずに拝んできたもの――それを私たちに教える第二の事柄は、神社の「お神輿」です。
 神社のお神輿は、じつは古代イスラエルの「契約の箱」をモデルにしたものと言われています。


神輿をかついで街をねり歩くその光景は、
ダビデが契約の箱をエルサレムに
導き入れたときの光景と全く同じである。
(石川県羽咋(はくい)市気多(けた)神社の「おいで祭り」)
神輿をかつぐ者たちの正式な服装は、
このように白の祭司服である。ダビデや
レビ人たちも、白の祭司服を着た。

 神社には、神輿と呼ばれる移動式の小型神殿があります。とくに祭のときなどは、人々は神輿をかついで、「ワッショイ、ワッショイ」と言いながら、街をねり歩くのです。
 じつは、古代イスラエルにも、そのような移動式の小型神殿がありました。「契約の箱」です。
 日本の神輿も、古代イスラエルの契約の箱も、サイズは同じくらいです。
 日本の神輿は二本の棒でかついで運びます。イスラエルの契約の箱も、二本の棒でかついで運びました。
 「レビ族は、モーセが主の言葉に従って命じた通り、神の箱を、にない棒で肩にかついだ」(Ⅰ歴代一五・一五)
 と旧約聖書に記されています。
 契約の箱をかつぐ二本の棒は、日本の神輿と同じように、箱の下についていました。聖書は、二本の棒は箱の「基部に」ついていた、と記しています(出エ二五・一二新改訳)。


イスラエルの契約の箱のにない棒は、上部ではなく、
「基部」すなわち、下についていた(出エ25:12新改訳)。
また箱をかつぐ者たちは、白の祭司服を着用した。

 聖書事典などに載っている契約の箱の図の中には、しばしば二本の棒が箱の上の方についているように描いているものがあります。しかし二本の棒は、本当は箱の下についていたのです。神社の神輿と同じです。
 日本の神輿は、上の部分に「鳳凰」と呼ばれる鳥が、翼を広げているでしょう。鳳凰は想像上の鳥で、天的な、神秘的な鳥なのです。
 イスラエルの契約の箱も、上の部分には、ケルビムと呼ばれる天使が、翼を広げて守るような形になっていました。ケルビムも、天的で神秘的なもので、鳥のように翼をもっている存在です。
 日本の神輿の多くは、要所が金で覆われています。すべて金で覆われているものもあります。イスラエルの契約の箱も、全体が金で覆われていて、光り輝いていました。


鹿島神宮の神輿。やはり白の祭司服。

 旧約聖書を見ると、イスラエルの王ダビデは、契約の箱をエルサレムに運び入れようとするとき、民と共にその前で歌い踊りました。
 「全イスラエルは、歓声をあげ、角笛、ラッパ、シンバルを鳴らし、十弦の琴と竪琴とを響かせて、主の契約の箱を運び上った。
 こうして、主の契約の箱はダビデの町に入った。サウルの娘ミカル(ダビデ王の妻)は、窓から見下ろし、ダビデ王がとびはねて喜び踊っているのを見て、心の中で彼をさげすんだ」(Ⅰ歴代一五・二八~二九)
 と記されています。人々はピーヒャラ、ピーヒャラと神楽を奏でながら、契約の箱を都に運び入れたのです。
 その前では、ダビデをはじめ、歌うたいたちが喜び踊っていました。まわりにいる者たちも、楽器を打ち鳴らし、歌を歌って喜んだのです。
 以前、『ダビデ』というアメリカ映画が上映されました。それは旧約聖書の記すダビデの人生を忠実に描いたもので、私はそれを見に行きました。
 映画の中で、ダビデが契約の箱をエルサレムに運び入れるシーンがありました。私は目を見はりました。それは日本人の私には、まさに、どこかで見たような光景でした。
 映画の中でダビデは、契約の箱の前を歩きながら、日本の「阿波踊り」のような踊りをしていたのです!
 まわりの景色はエルサレムですが、それを日本の風景に置き換えれば、それはまさに日本の御神輿の光景と全く一緒です。日本でも、人々は神楽をかなで、神輿をかつぎながら街を練り歩き、その前で踊るでしょう。
 また京都の祇園神社では、毎年七月の夏祭り(祇園祭)に、"神輿の水中渡渉"の儀式をとり行ないます。これは男たちが神輿をかついだまま、川に入って川を渡るという儀式です。
 みなさん、何か思い出さないでしょうか? そうです。かつて古代イスラエルの人々も、契約の箱をかついでヨルダン川を渡って行ったのです。イスラエル人がヨルダン川を渡ったとき、彼らの先頭を契約の箱――神輿が進んだのです(ヨシ三・一五)。祇園神社の神輿の水中渡渉の儀式は、まさにその絵ではありませんか。
 この前、テレビで興味深いことを知りました。瀬戸内海のある島のことですが、そこでは神輿をかつぐ者として選ばれた者たちは、神輿をかつぐ前に、身を汚さないように、一週間一つの家に泊まりこんで、共同生活をするんだそうです。
 さらには、神輿をかつぐ前日になると、裸で海の水に入って、自分の身のお清めをするそうです。
 みなさん、これは全く、古代イスラエルの習慣と同じなのです。古代イスラエルでも、契約の箱をかつぐ者たちは、かつぐ前に自分の身を清めたからです。
 「祭司達とレビ人たちは、イスラエルの神、主の箱(契約の箱)を運び上るために身を聖別した」(Ⅰ歴代一五・一四)
 と記されています。
 ダビデはまた、契約の箱を運びながら街々をねり歩いたあと、民の一人一人みなに、「パン」や「お菓子」を分け与えました(Ⅰ歴代一六・三)。
 日本の神社の祭でも、神前の供え物を氏子に分け与えるでしょう。パンやお菓子をくれるのです。これは子供心にうれしかったですね。
 お神輿の風習は、世界中で、日本と古代イスラエルにしかありません。神社の神輿と、古代イスラエルの契約の箱にまつわる風習は、このように何もかもがよく似ているのです。


旧約聖書に書いてあることは、神道の風習と全く一緒じゃないか!

 以前、私のある友人が、こんなことを語ってくれました。
 その方はクリスチャンなのですが、その方には神道の熱心な信者さんの友人がいるそうです。神道信者のその友達がある日、クリスチャンの彼のところにやって来ました。その神道の信者さんは、旧約聖書を開いて、こう言ったそうです。
 「なあ、聞いてくれ。君はクリスチャンだろ。聖書を読んでいるんだろ。最近ぼくも旧約聖書を読み始めたんだが、いやー、全く驚いてしまったよ。
 旧約聖書に書いてあることは、神道の風習と全く一緒じゃないか。契約の箱にしても、神殿の構造にしても、祭のしかたにしても、お清め、禊ぎのしかたにしても、まったく神道に伝わる風習と一緒だ。神道のルーツはまさに旧約聖書だよ」。
 そう言って、興奮して、あれこれと話し始めたのです。これを聞いたクリスチャンの友人は、彼に言いました。
 「そうか。その通りだよ。私もそのことなら、以前から思っていたことだ。それがわかったと言うなら、君もどうだろう、聖書の神様を信じるようにしたら! それこそ、本当に君の信じる神道をきわめることになると思うよ」。
 そう言いますと、その神道の信者さんは唖然として、言葉も出ない状態になってしまったそうです。
 じつは、神道のルーツが古代イスラエル宗教にあると考えるのは、クリスチャンの私だけではないのです。
 かつて、藤沢博士という人は、正統派神道の信者だったのですが、神道の「三種の神器」の起源は古代イスラエル宗教にある、と信じていました。
 ユダヤ教を信じるユダヤ人の学者の中にも、神道のルーツが古代イスラエル宗教にある、と考える人々がいます。
 戦前にニューヨークで発行された英語版の『ユダヤ大百科事典』の中には、この考えを持つ学者の説が紹介されています。
 ユダヤ人のラビで、日本の上智大学で教鞭をとったこともあるマーヴィン・トケィヤー氏も、『ユダヤと日本――謎の古代史』(産業能率大学出版部刊)という本を書いていて、神道のルーツが古代イスラエル宗教であるという可能性について、様々な議論をしています。
 また、イスラエルに育ち、後に日本に来て研究活動をしたユダヤ人であるヨセフ・アイデルバーグ氏も、神道のルーツは古代イスラエル宗教にある、と述べています。


真に日本人となるために

 私たちは今こそ、日本人が知らずに拝んできたおかたについて、はっきりと知らなければなりません。
 日本の神道はもともと、古代イスラエル宗教を起源とし、そこから来たに違いありません。もちろん、現在の神道の何もかもが、古代イスラエル宗教と同じだとかいうことではありません。現在の神道には、不純物や異物が含まれています。
 しかし、神道に流れる基本的なものはすべて、もともとは古代イスラエル宗教から来たと、言ってよいように思えます。私たちは、神道内に流れる本流のルーツを、古代イスラエル宗教に見ることができるのです。
 神道は、古代イスラエル宗教の、なごりの一つでしょう。そこには、古代イスラエル宗教のすべてを見ることはできないとしても、多くの重要なものがまだ残されています。
 ですから、神道が完全な、本来のものにまで回復するためには、すべての神道信者が、すなわち日本人が、聖書の神様を信じ、聖書の教えに立ち返る必要があります。
 すべての神道信者は、聖書の教える神様ヤハウェを信じ、その御子イエス・キリストを信じるとき、おのずからその信じる神道は本来のものとなり、完成し、実現成就するでしょう。
 かつて使徒パウロは言いました
 「あなたがたが知らずに拝んでいるものを、教えましょう」
 と。また主イエスも、サマリヤの地をお通りになったときに、言われました。
 「あなたがたは知らないで礼拝しています」(ヨハ四・二二)
 と。聖書は私たちにこう語っているのです。
 "日本人よ。聖書に帰れ。聖書の教える神様に立ち返り、その御子イエス・キリストを救い主として信ぜよ。そのとき、あなたの信じる神道は完成し、日本人は、日本人としてのアイデンティティ(同一性、素性)――日本人が日本人であることを、本当の意味で回復するのだ"
 と。私たちは、聖書に立ち返るとき、本当の意味で日本人になれるのです!
 今日の多くの日本人は、日本人とは何なのかを知りません。たいへん漠然としていて、よくわかっていないのです。「自分たちは何なのか」「何者なのか」を知りません。
 しかし、聖書を知るとき、日本人とは何なのか、日本人の起源はどこにあるのか、日本人はこれからどう生きるべきか、がわかってくるのです。
 聖書を知るとき、日本人のアイデンティティがわかってきます。聖書に立ち返るとき、日本人は本当の意味で日本人になるのです。
 私たちは単に一人の人間としてだけでなく、一人の日本人として、聖書の教える神様を信じなければなりません。聖書の中にこそ、日本人の魂のふるさとがあるのです。


神のご臨在をお迎えせよ

 私は、日本の神道は古代イスラエル宗教から来たとの考えに満たされたとき、感激で夜も眠れませんでした。日本人のヤマト魂をつくったのが神道だとすれば、日本人の本当の親は、イスラエルを造ったと同じ聖書の神様なのです。
 イスラエルのダビデは、国の最も中心であるエルサレムに、契約の箱をお迎えしました。
 契約の箱は、神道式にいえば神の降臨する「依代」であり、神のご臨在をあらわすものです。契約の箱をお迎えするとは、神のご臨在をお迎えすることです。
 契約の箱をお迎えしたとき、ダビデはその前で力の限り喜び、踊りました。しかしそのとき、
 「サウルの娘ミカルは、窓から見下ろし、ダビデ王がとびはねて踊っているのを見て、心の中で彼をさげすんだ」(Ⅰ歴代一五・二九)
 とあります。ダビデの奥さんであるミカルは、ダビデ王の喜びようを見て、心の中で彼をさげすみました。それでⅡサムエル六・二三には、
 「ミカルには死ぬまで子どもがなかった」
 と記されているのです。心の中でダビデをさげすんだ彼女は、一生、祝福されなかったのです。
 しかし、神のご臨在を心から喜んで踊ったダビデは、以後たいへん祝福された人生を送りました。私たちの愛する日本も、ミカルのようではなく、ダビデのように神様のご臨在をお迎えしなければなりません。
 イスラエル人もみな、神をほめ讃えて喜びました。彼らは言ったでしょう。「わたしは主を讃美します」「私はヤハウェを讃美します」と。
 じつは、京都の祇園神社などでは、「祇園祭」のときに神輿をかつぐ人たちが、高らかに「エンヤラヤー」と言います。「エンヤラヤー」のかけ声をもって祇園祭が始まるのです。
 桃太郎も、鬼ガ城に行くときに、みんなで「エンヤラヤー」と歌を歌ったでしょう。
 では、これはどういう意味かといったら、日本語として見たら、何の意味かさっぱりわからないわけです。しかしヘブル語としてこれを解釈すれば、
 「私は主(ヤハウェ)を讃美します」
 の意味になるのです。ヘブル語の、
 「エァニ・アハレル・ヤー」
 
 が若干なまって「エンヤラヤー」になったのだとすれば、これは「私はヤハウェを讃美します」の意味なのです。


祇園祭りは、「エンヤラヤー」のかけ声をもって始まる。
このかけ声は、ヘブル語の「エァニ・アハレル・ヤー」
(私はヤハウェを讃美します)がなまったもの?

 みなさんは、「ハレルヤ」という言葉を知っているでしょう。これは「ハレル」と「ヤー」の二つの言葉から成っていて、「ハレル」は讃美せよ、「ヤー」(ヤハ)は神様のお名前ヤハウェの短縮形です。「ヤハウェを讃美せよ」の意味なのです。
 ハレルは、一人称の主語の場合は、アハレルとなります。エァニは「私は」の意味です。そうすると、"私はヤハウェを讃美します"はヘブル語で、
 「エァニ・アハレル・ヤー」
 といいます。私はかつて、ヘブル語の通訳もしている日本人の友人に、
 「この言葉が、若干なまって、祇園祭のはやし言葉『エンヤラヤー』になったのではないだろうか」
 と言いましたら、そのヘブル語通訳の方は、
 「あり得るかも知れないなぁ」
 とおっしゃっていました。
 それはともかく、私たちは「エンヤラヤー」「エァニ・アハレル・ヤー」「私はヤハウェを讃美します」「私は主を讃美します」と言って、心から喜んで神様のご臨在をお迎えしようではありませんか。そのとき、日本は本当に祝福された民族となるのです。
 日本は今、神様がとくに大きな関心を注いでおられる国なのです。
 地図で見れば、日本はイスラエルからたいへん遠い国ですし、「極東」と呼ばれる地域に存在する小さな国にすぎません。しかし、神様のご関心の中では、日本はとくに大きな比重を占めているのです。
 神様は私たち日本人一人一人を、愛しておられます。そして真の"神の道"に立ち返ることを、強く望んでおられるのです。

                                  久保有政著(レムナント1997年2月号より)

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 上記はあくまでもクリスチャンの神道評なので、全面的な支持はしませんが、いい線いってる気がします。

 あれ、統一教会の「聖塩」って、もしかしたら神道由来?

 それはさて置き、私が重要だと考えるのは、

「じつは、神道というものは、厳密な意味では「偶像礼拝」という言葉が当てはまりません。
 神社の本殿の中には、たとえば鏡が置かれています。では、その鏡が神様と考えられているかというと、そうではありません。それは単に、そこが神聖な場所であることを示すためのものに過ぎません。
 神道の信者は、その鏡を拝んでいるのではないのです。そこに降臨し臨在される、目に見えない神様を拝んでいるのです。神様は目に見えないおかた、とされているのです。」

 に出てくる「鏡」です。これは象徴的な意味があるのではないかと私は思うのです。
神社では、禊をして身を清め、本殿に参拝し、
 鏡に映る自分から「我」を取り除く。
   すなわち


     かがみーが=かみ

 そう「いつも私の中に神様」がいるのです。隣ではないのです。
また、ややこしい教義や権威的教祖を通じなくても神様に出会えるのです。
どこかの教団のように、「いつも私の中に献金FAXやメール」ではないのです。
 すべての人の中に神様がいるとなると「多神教的発想」ですよね。
でも我の信じる神のみが本当の神だという「一神教的発想」(独善主義)は必ず、仮想敵を作り不毛の争いを生むと思います。
 どうですか、神道の奥深さを感じませんか?