ローマ教皇の講演

 岐阜新聞6月15日朝刊に この記事が掲載されていました。ご覧になった方も多いと思いますが転載させていただきます。

 岐阜新聞社さま ありがとうございます。

 いただき物のミニバラの写真もアップいたします。

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 ここからは、私の所感です。

 聖書の中でもよく知られている「山上の垂訓」のなかに「幸福なるかな、平和ならしむる者。その人は神の子と稱へ(となえ)られん。」(マタイによる福音書 5章9節)とあります。

 ローマ教皇がG7の会議に出席するのは初めてとのこと。心にはこの聖書の言葉があったことと思います。

 この講演の一節に「人の命を奪う選択を機械に委ねるべきではない」と強調 とあります。

 私が目にしたAI関係の本に「AIは誤答を恥じることが出来ない」と端的に述べた一節がありました。

 湾岸戦争の時にジェット戦闘機で爆撃の役割を担ったパイロットが「まるでコンピュータゲームをしているようだった」と述べていた記事が関連して思い出されました。

 ボタン一つで、数え切れないほどの人を殺傷し、平和な生活が営まれていた都市を跡形もなく廃墟にした兵士は、ピストルやナイフで相手を一人倒したときほどの良心の痛みも感じることがないのではないか・・・という恐ろしさをその記事を読んだときに感じました。

 平和な生活を送っている人たち 長年文化豊かな日常生活を温かくはぐくんできた建物・自然環境 ・・・それを破壊する命令を出す権利が いったい 人には あるのでしょうか。

 沖縄の珊瑚の海を埋め立てて軍事基地を建設するよりも、G7の会議を その美しい海を眺めながら開催する地にして、平和への思いを高める静かな叡智の湧き出でる場として活用するほうが、はるかに素晴らしいのに・・・と思わずにはいられません。

 今日も、出来るだけ 良い日となりますように!

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