7月31日、

4クール1回目のキイト+パクリ+カルボ点滴を受けた。

直後のふらつき、発熱はいつもどおり。

しかし熱は上がりっぱなしになって、

翌8月1日の深夜、あまりの苦しさに測ってみたら

39度1分もあった。

そのあとどこまで上がったかはわからない。

吐き気も出てきて、再度熱を測ることができないまま、

うめきながら朝を迎えた。

 

盆が近くなる7月末から、寺では来客が増える。

夫(住職)はお迎え用のお塔婆書きで手いっぱいだ。

わかっちゃいるけど背に腹は代えられないとこまで来てた。

夫に病院まで送ってもらい、発熱外来から内科を受診。

そしたら内科から乳腺外科に連絡がいって、

乳腺外科の主治医先生が診てくれることになった。

“これまでで最もひどい副作用”様の発現、

それがなぜ起こったのか。

病院としては「わからない」が、私自身はわかっている。

31日に抗がん剤を投薬することがわかっていて、

しかし8月に入るまでになんとかしたいことがあって、

それを投薬2日前の29日に、

エライ目に遭いながらやった結果がコレだったのだ。

「盆行事なんて毎年の恒例行事なんだし、十日以上前に

慌ててしなくちゃならないことなんてあるの?」と

言われそうだが、

私が何とかしたかったことは

盆準備とはかかわりのないことで、

だからこそ7月中と8月は違うってことで焦ってしまった。

このあたりの妙な焦り、

関西のお寺の奥様方にはご理解いただけると信じてる

(大まかに言って、関東のお盆は7月、関西のお盆は8月)

 

1日は脱水症状と吐き気緩和のための点滴を受け、

吐き気止めや解熱剤、抗菌剤を処方してもらって帰宅。

そこから丸々3日間寝込み、

4日からなんとか家事をして7日にまた抗がん剤点滴、

そこから再び3日間寝込み、11日から怒涛の盆。

寝込んでいたあいだの家族の食事は毎食、

夫が買ってきてくれたから助かった。

盆の最初のお塔婆渡しの二日間は

友だちがバイトで手伝いに来てくれたから助かった。

 

盆の最後の魂送り行事(お施餓鬼)が終わったのは

16日の早朝。

1日からずっと経口補水液か炭酸水、ジュース、

吐き気が収まってからは

それらに加えてスイカ、梨しか食べる気にならなかったのに

お施餓鬼が終わった途端、

無性にお好み焼きソースが食べたくなった。

お好み焼き本体じゃなく、

ソースそのものの味を体が欲した。

初めてだったね、こんな経験。

 

初めてといえば、1日から10日過ぎまでに

熱に浮かされて見た夢も、初の変な夢だった。

頭の中でずっと、

見たことない漫画がペラペラ、

見たことない実写映画がパラパラ、流れ続けたのである。

夢だとわかったのは、

画像映像だけが脈絡なく容赦なく切り替わっていくからで、

誰かに頭の中を乗っ取られたような

ちょっと恐怖な体験だった。

 

盆のあとは動いたり休んだり。

1時間動いて3時間倒れる……感じで過ごして、

19日にまた抗がん剤点滴を受けた。

疲れが残ってたのか、これがまたひどい副作用を招来、

盆の後片付けに役に立たなかった負い目があって

22日にようやく三度の食事だけはなんとか用意したものの、

本日23日の地蔵盆開始まで

猫の世話以外は何もせず(できず)。

 

8月中に本当の意味で休めるのは、たぶん明日だけ。

明後日には地蔵施餓鬼がある。

そして明々後日は、第1回目のEC療法開始。

 

私の老後はこのまま、

家(寺)事と

抗がん剤副作用との戦いのみに終わりそうで怖いゲッソリ

先月末に1匹、今月の七夕ごろに1匹、

ウチの境内に新顔の野良猫があらわれた。

 

先月末に登場した猫は1歳半から2歳くらい。

この写真は、一昨日(7/21)の捕獲直前に撮影したもの。

初めて姿を見せたときはもう少し小さくてガリガリだった。日が経つにつれ、徐々に、

隠れていたおキンタマが見えるようになり、

貧相で哀れだった顔が貧相さはそのままに険しくなった。

 

「コレをどうしようか……」

私としては、捕獲して手術してもらい、耳の一部を切って町内5匹目のサクラ猫にするのが自分にできる唯一の手立て。

だが、これまでの4匹のサクラ猫は私が勝手にサクラ猫にしただけで、町内の皆々様のご了解を得たわけじゃない。

捕まえてサクラ猫にするたびに、

「こういうのを捕まえてサクラ猫にしました」と、

写真つきで外に掲示していたが、4匹目のとき、

その掲示は破られて境内に捨てられていた。

他人の家の窓に貼られた掲示より、去勢や避妊手術を施されてない猫が(事故や飢えなどで)新陳代謝されつつワラワラいるほうが目障りだと思うのだが、そうでない人もいるようだ。なんにせよ、匿名者の隠れた敵意の発露には違いない。

 

躊躇して手をこまねいているうち、新たな1匹が登場。

写真ではちょっと大きくなっているが、

出現時は、生まれて1ヶ月足らずの赤ちゃん猫だった。

赤ちゃん猫なら捕まえるのも簡単だし、

保護団体等にお願いすれば、1歳以上の猫どもよりは里親が見つかりやすいはず――と考えたが甘かった。

こいつ、赤ちゃんのくせに警戒心が強く、

ネズミみたいにプランターや雑草の陰へ素早く逃げ込む。

しかも体重が軽すぎて、仕掛けた捕獲器のバネ罠が反応しない。どのみち足首と膝に故障を抱えた婆が敵う相手ではなかった。

 

代わりに捕獲器に捕まったのは、先の写真の貧相猫。

翌日(まさに7月のネコの日)、獣医さんのとこに持っていって、去勢手術と脱水症状緩和のための点滴、寄生虫駆除剤滴下をしてもらった。

この数日、右おっぱいに自家製の蕗の葉ペーストパッチを貼って16時間以上30時間以内の範囲でほっておき、パッチを外したら1日以上の空白期間を置く――というのを2回繰り返した。

転移した右腋窩(腋の下)リンパ節も気になってたので、そこには約20時間、ついでに左腋窩と左おっぱいにも10時間弱、1度だけ少量のペーストパッチを貼った。

そうして9週目の受診に臨んだわけだが。

 

結論から言うと、パッチがズレたり浮いたりしないよう、固定シートを使ったのは正解だった。

しかしそのぶん、見えないところで副作用も起きていた。

 

その日、主治医の先生は私の診察で二度驚いてらした。

一度目は良いほうの驚き。

二度目は狼狽ガーンあせるガーンあせるアセアセあせる

 

まず、体調を訊かれ、そこから触診。

確定診断時の私の乳がんは、

「大きながんが胸壁に固定されていて、周りにも小腫瘤あり。腋窩リンパ節に転移し、そのリンパ節は固定されて動かない。さらに、がんが皮膚に露出している」浸潤乳がんの典型であった。

それが今回、小さくなりつつあった癌がさらに小さくなっただけでなく、胸壁固定が外れて動くようになった。乳房やリンパ節の小腫瘤の存在も触診ではわからないくらいになり、リンパ節の腫れがなくなった。そして何より乳首が乳首らしくなってきた(主治医談)。

先生、とても喜んでた。私も嬉しかった。

 

ところが、だ。

「いいねぇ、すごいねぇ」と、先生ニコニコしながら血液検査の結果を見て、顔色が変わり、「え゛……っ」と絶句

白血球の一種であり、細菌や真菌感染から体を守る主要な防御機構を担う好中球実数激減していたのだ

 

<好中球実数>

6月某日…1710

7月某日…1610

7月某日…1030 New!

同じだけ減っていくなら、1500後半または最悪でも1400台くらいに留まるはずが、急降下。

思い当たる原因は、シートパッチしかない。

さすがアルカロイド。白血球までぶっ壊す(左矢印言うてる場合かあせる

 

「どうしますか、今日は処置やめときますか?」

先生、難しい顔になって訊く。

「1000を切ったらやめたほうがいい。でもギリギリ、まだイケるかなって感じもあるんだけど……」

先生、真剣な顔で私の表情をのぞきこむ。

ワタクシ、内心で「先生ごめんよ、先生ごめんよ~っ」と叫んだね。だって、先生は悪くない。先生の治療計画が問題じゃないのだ。

危険性が高いなら1週間空ければいい。しかし、7月も後半になると、夏休みで遠方の檀家さんがたがご家族でお参りにいらっしゃる。盆の下準備も射程に入る。

あれやこれや考えて、「う~ん、体調的には問題ないので、今日やってしまいます」と、つい言ってしまった。

自己都合での決断なので、このあとどうなっても、どこまでも自己責任だ。

 

その日の処置後の状態は、いつもどおり、なんとなく疲れてだるい感じ。

翌日の昼過ぎから頭痛が始まり、目の奥がじんじん痛くなって発汗がひどくなり、夕方には胃の働きが完全に止まった感じがして動けなくなった。

現在はこうしてブログが書けているから回復傾向にあるようだが、ヤバいところにヤバいことを重ねるとこうなるって状態を体感した。

 

次の診察と処置は、様子見のため2週間後になった。

ピロリジジンアルカロイドの、浸潤して皮膚表面に露出している癌に対する作用はかなり大きなものだとわかった。

ただ、正・反の両効果、破壊力が大きすぎる。

 

私は血管壁が丈夫らしく、血が濃いからこの程度で済んだだけである。

まさか真似する人はいないと思うが、皮膚が弱い人はもちろん、特に過去に貧血を指摘されたことがある人、血小板や白血球数が少ない等の血液障害を持っている人には、「真似すると入院や死の危険があるよ」とお伝えして、思いつきで始めたこの実験を終了する。

あとは公費の補助を受けているようなちゃんとした病理研究部門の研究者にお任せだ。

安価に調達できる植物毒を、細心の注意をもって治療薬に変える方法の早期確立を願いたい。