日本を擁護するための英文をせっせと書いて機会があればネットに流している。まさかこの年になって自分が、ない頭をひねって日本の言い分をしかも英語で世界に向けて発信することになろうとは、若いころは夢にも思わなかった。英語の方は一応中高大とやったし、大学では確か6単位くらい取ったと思う。それでも読む、書く、聞く、話す、すべてほとんどできなかった。あらゆるネットのツールを利用して、暗中模索、四苦八苦してなんとか纏まった文章を書けるようになったのが、つい6,7年くらい前。動機は、このネット時代の情報戦の渦中にあって、日本がまったくその局面に対応できていないことに気付き、驚き、呆れ、そして焦りに焦ったから。周辺国の宣伝工作にいいように翻弄されていることがわかったからだ。一庶民の自分が、まるで総理大臣のように日本のことを心配しなければならない状況って..と思いつつも「日本の危機」に我を忘れた。そして、本当に必要なものは知識であれ技術であれ、なんだって手に入るものだ、ということもわかったね。
しかしながら、このところの、「日本完全無実論」もどうかと思う。最近になって出てきた新しい事実、たとえば慰安婦の生き残りのおばあさんたちの言い分は、朝鮮人の政治的な国民性や性分、虚言壁などを考えると”すべて”信じるわけにはいかないが、でもあの戦争が酷い戦争だったことはたしかで、最近の保守勢力が言っているような「南京も慰安婦強制も731もまったくなかった」というのは、ちょっと言い過ぎだろう。戦後すぐに出てきたいわゆる「日本軍の悪事」を、何もかも敵の陰謀で片付けられるのだろうか。
「南京」は、戦争直後、蒋介石でさえひとことも言及していないという言い分もあるが、東京裁判ではすでに中国人からの訴えがあることはあった。実際に中国やアメリカの策略や陰謀はあったのかもしれないが、それがあったからと言って、相手の言い分のすべてが嘘とは限らない、ということだろう。
理由はわからないが、日本人はここ2,30年くらいの間にすごく変わった。謙虚で穏やかで大人しく消極的になった。街に出れば、商店の売り子やウエイトレス、ウエイターは少し過剰に感じるほど皆優しく、愛想が良く親切で、こんな国は他にはないだろうと思うくらいである。これをもってして、こんなに善良で大人しい日本人が世界が言うような残虐非道なことをするはずがない、と今の日本人は考える。チャンネル桜の討論会で、お手伝いさん目的に移民を受け入れることに反対する論者が、「日本には奴隷のように人を使う習慣が歴史的にもないから、他国人を女中代りに使うことなど国民性としてできない」と言っていたが、奴隷のように使わないまでも、戦前から日本にだって、女中さんや奉公人や、婆やとか姉やのような存在があたりまえのようにいて、生活のプライベートな部分の労働を補っていた。うちの母の実家にもこういう人たちがいて、その思い出話をよく聞いたものだ。
今の日本や日本人だけを見て、すべての時代を推し量ろうとすると、判断を誤る。保守の人たちがこの方面に極端化しようとしているのをみると、やはり危なっかしいなと思う。
しかしこの傾向は日本にのみ見られるものでもない。朝鮮人たちも、今の自国の近代化、民主化と経済的な繁栄を当たり前の事のように思い、つい最近まで全体主義の軍国主義国家であり、世界の最貧国のひとつだったことや、それ以前の日本統治前の、無知蒙昧の迷信と極貧のどん底や圧政に苦渋した大衆の悲惨な状況を忘れている。日本人は今よりも猛々しく権威主義的、覇権的で、朝鮮人は今よりもずっと未開で国家としての独立さえままならず、中国やロシアの脅威の下、なるべくして併合の歴史が作られた。時代がそれを合法として許したのである。
歴史は尊重されなければならないが、今の時代の価値観で過去を判断したり断罪したりは、絶対にやっちゃいけないこと。