不幸には、こういう意味があるなど

不幸を人質にとったり
幸せを人質にとったりして、何かを買わせたり、お金や土地など財産も、とっていくようですね

しかも、自分の意志で!

やり方の一つに、不安や嫌な事を言い続け、最後に手を差し伸べて、ホッとさせるのも手段の1つです
また、他の文句や駄目さを言って、自分を正しく見せるのも手段の1つです

未亡人や不幸になった人、病気や健康に不安がある人や、すがる人がターゲットになる場合も多いとかで

元来、スピリチュアルや宗教であれ、自分の人生を豊かにするものだと思います
また、宗教家の方も教えや、神性や仏性を極めるために、おこなっていると思います
その中で、人をサトす事が出来るのではと思うのです

だから、信じるのではなく、お金ありきではなく 坪や印鑑や物をを売るのではなく
教えを1つでも、共感してくれたり胸に何かが残る事が、信者を増やすよりも、一番の布教行動だったり

だから、タクハツって凄い事では?と思うのです
嗚呼~檀家や門徒?信者側が発行するポイントカードだったら良いのに(笑)

そして、タチが悪いのが、魔が入った人かもですね
本で読んだだけ、知識を得ただけで ちゃんと口伝されたり秘伝を伝授されたりしてないのに 色々と作法を知らずにやってしまう
九字切り1つをとっても、宗派など100を超えるやり方があります、必ず口伝伝承をされて使われます
宗教家同士は、必ず誰から習ったかなど話すようです

そういう事がなされてないと、逆効果になったり魔が入る事があると言われてます
瞑想もそうです
魔が入ったり、精神科の人が言うには、精神的な病になったり

そのせいで、自分に能力があると勘違いしたり

それと、教祖思想やカルト宗教などの
救世主論や神様に選ばれたってのは、人種差別や選民主義のようで

信じればってのも
初詣の御参りのごとく、欲望や媚びなどと言うような気がしてて

だから大切なのは、自分が特別なら人も一人一人が特別で
尊敬と尊厳 相手を思いやる 良心や本質を大切にする事なんかなぁ~って思ってます

今の時代にしては、信じるって言葉も軽すぎるような気がします

私を含めて現代人は

拝金主義

物質主義

自己主義の為に

愛や愛情に飢えて、
慌ただしい社会、潜在的に暖かい心を求めているようです

時代の節目で、新人類や能力に気づき始めた人が、多いのも事実みたい♪