お母さんの闘病中
兄はものすごく献身的だった。

仕事が終わればほぼ毎日
病院に寄り、
面会時間ギリギリまで、
お母さんの背中をさすった。

消灯時間まで面会を許されると、
消灯時間まで病院にいた。

食欲のないお母さんが、
病院食を兄に食べさせていた。
半ば強引に。
「私は人に尽くさな気が済まへん」
と、
頑固に食べるよう言ったらしい。

ある時兄は、
「僕はお母さんのことは、
頭の中で3割くらいしか
考えてないから。」
と、なんだか冷たいことを言った。

でもそれは、3割位に
留めておかないと、
自分が保てなかったから、
と、後で教えてくれた。

お母さんの治療が遅々として
進まない中、
兄は「がん  母   死」で
検索をかけて、
ネットで調べまくったらしい。
拠り所が欲しかったんだろうな。

そのなかで、
この質問と回答を見つけた、
と、教えてくれた。

質問者さんの投稿、
ベストアンサー、
ベストアンサーに対する
コメントに救われたという。

マザコンで何が悪い。

そう言っていた。

これには私と妹も救われた。

梅雨から夏にかけて、
体調を崩しやすい時。

兄もお腹を下したりして、
随分疲れていた。

家の中もひっくり
返ってたって言う。

休日返上で仕事を調整しては、
手術の説明への立ち会い、
ホスピス見学への同行、
ホスピスへのお見舞い
(家から1時間)を
してくれた。

だから、お母さんの看病に
対しては悔いがないと言う。

ただ、お母さんが
奈良県の室生寺に行きたがって
いたのに実現できなかったのを
悔いている。

私の体調が悪くて、
日程を決められずに、
ズルズル伸ばしてしまった。


お父さんがお母さんとの
初デートで、歌ったという、
琵琶湖周航の歌。

葬儀の時もかけた曲。

時々スーパーでこの曲が
鳴っているらしく、
聞くと涙腺が崩壊しそうで
ヤバい。と今も言う。

お母さんが旅立つ前の
数時間。
伯母と2人でお母さんの
苦しむ姿を見た兄。

やっぱりまだその時間は
整理がつかないようだ。

我が家に来ては、
葬儀で飾ったお母さんの写真を
見て行く兄。

マザコンでいいよ。お兄ちゃん。
ゆっくりでいいよ。お兄ちゃん。

みんな、それぞれが
立ち直れる日がくるから。

お母さんは、私たちの
肉体のなかで
生きているのだから。