今回のブログは、

5月17日㈮に行ってきた

鋸山と金谷の旅について書きたいと思います。

 

 

 

まずはこの光景をご覧あれ。

 

 

 

 

 

 

かつて石切り場だった

「観音洞窟」にて。

 

 

 

すごい規模でしょう!?

詳しくは後ほどご説明するとして、

今回の鋸山登山を時系列でご紹介します。

 

 

 

富津市と鋸南町にまたがる鋸山。

標高は約329m

さほど高い山ではありませんが、

南房総国定公園に指定されており、

登山初心者が安心して楽しめる一方

(ただし、靴や服装などは山に適した装備がお勧め)、

アップダウンの激しい場所もあるため、

上級者の練習登山にももってこいの山です。

力量によって、また観たい場所によって、

いろいろコースが選べるのです。

ちなみに、鋸山という名前は、

山頂部分がギザギザとして

鋸の歯でのようであることからだそう。

日本名山図会の日本80名山、

日本百低山にも選定されています。

 

 

 

鋸山の魅力は色々ありますが、

なんといっても、

相反する二つの顔が楽しめること。

 

 

 

ひとつめは、「産業遺産」としての顔。

鋸山は、江戸時代から昭和60年まで

「房州石(ぼうしゅういし)」を切り出しており、

「石切り場」の現場は

今でも見学することができるのです。

高く切り立った壁や、剥き出しの山肌、

路傍に積まれた切り出された石など、

見どころはたくさん!

 

 

 

ふたつめは、「仏教関連遺跡」としての顔。

鋸山の鋸南町側のエリアは、

日本寺(にほんじ)の境内なのです!

開山神亀2(725)年という古いお寺を参詣しながら、

山中にある数々の名所の見学もできるのです。

 

 

 

ちなみに、鋸山は2021年7月に

文化庁から日本遺産の候補地域として認定されており、

地元では認定に向けて様々な取り組みを続けています。

今年は審査の結果が出るということで、

いいニュースが聞きたいものです。

 

 

 

前置きが長くなりましたが、

いよいよ、鋸山登山に出発です。

 

 

 

 

 

 

JR浜金谷の駅に集合した

ベイサイド仲間のかわちゃんと私。

この直後、金谷の複合観光施設「ザ・フィッシュ」の

星野さんと合流。

星野さんには3年半前に

ベイサイドの取材でお会いしており、

「今度はぜひ鋸山に一緒に登りましょう!」

と言われていたのです。

3年半越しの約束がやっと叶ったというわけ。

 

 

 

 

 

 

星野さん、この方です。

とってもお世話になりました。

ありがとうございました!

 

 

 

今回私たちが歩いたのは、

ちょっとハードめなルート。

金谷の町なかから「車力道(しゃりきみち)」を登り、

石切の跡地を見学。

日本寺エリアで名物・地獄のぞきを楽しみ、

巨大な大仏様を参詣、

石段のあちこちに奉られた「羅漢石像」をお詣りしてから、

ロープウェーで下山する、というコースです。

 

 

 

 

 

 

コースのあちこちにこうした道しるべが。

ここは「分岐点B」。

登山マップは

こちらをダウンロードすると便利。

 

 

 

 

 

 

これが「車力道(しゃりきみち)」

 

 

 

切り出された「房州石」を

麓まで運び降ろした道です。

石を運ぶ人達が「車力」と呼ばれたため

このネーミングなのですが、

驚くことに主に女性がつとめていたのだそうです!

運ぶ石は、1本80kgを3本。

それをネコ車

(工事現場で使われる、手押し式のあの一輪車です)

に乗せて、この石を敷いた急な坂道を、

ブレーキをかけながら下ったそうです。

それも、1日3往復とか。

 

 

 

 

 

 

ブレーキの痕が今も残ります。

働く女性たちの姿が浮かびます。

 

 

 

 

 

 

コースには観光案内板が各所に立ち、

詳しい説明が書かれています。

これは、「車力道跡」について。

車力の仕事だけでなく、

房州石がどうやって切り出され、

どのように運ばれ、船に積載されたかも

書かれています。

 

 

 

一方、こんな光景も。

 

 

 

 

 

 

切り出されたものの、

運ばれずに苔むした「房州石」。

「か、かわいい」

思わずつぶやいてしまった私。

房州石たちの会話が聞こえてきそう。

 

 

 

さて、さらに登っていきますと、

こんな不思議な光景が。

 

 

 

 

 

 

「切り通し」です。

岩壁を切り抜いて道を作ったんですね。

木漏れ日が射して、

なんだかこの世のものではないような美しさ。

 

 

 

採石の作業は、良質な石材を求めながら

地面を切っていきます。

どんどん下を切り進めていくわけです。

すると、職人は岩壁で囲まれた状態になります。

そのため、石材や「ズリ」とよばれた細かなくず石を

搬出する道を作る必要が生じる。

その道を「切り通し」と呼んだのです。

 

 

 

鋸山を歩いていると、

あちこちでこういう光景を目にします。

壁面には、石を切り出した跡が

美しい横縞の模様となっています。

ツルハシの跡なんです。

耳を澄ますと、

カーン、カーンという音が聞こえてくるような。

ちなみに、石を掘るとき、職人たちは、

音の変わり目を頼りにしていたそうですよ。

 

 

 

 

 

 

「切り通し跡」の説明板。

ちなみに上に生えているのはイワタバコ。

石を切り出した後の壁には草や木が生えていて、

植物の逞しさも思い知ります。

 

 

 

さあ、続いては、最初の写真の場所。

 

 

 

 

 

 

「石切り場跡(観音洞窟)」です。

神殿?と思うような、不思議な空間。

そしてすごい規模!

 

 

 

ところで、

石切り場がなぜこのような形で残っているのか。

より良質な石材を求めて、

地層に沿って掘り進んだ結果、

こういう形になったようです。

 

 

 

 

 

 

「観音洞窟」という通称の由来、

壁に掘られた観音様。

 

 

 

 

 

 

採石は、石の元締めごとに

違う場所で行われていました。

ここは「万忠」という元締めの丁場。

「万」という文字が見えます。

 

 

 

石の元締めは、

最盛期には30件ほどもあったそうです。

金谷は石の町として栄えたんですね。

今でも町なかには、

房州石を使った壁などが点在します。

趣きがありますよ。

 

 

 

さて、こちらは

昭和60 年まで採石を続けた最後の石の元締め、

芳家石店(鈴木四郎右衞門家)の石切り場跡、

その名も「岩舞台」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とっても広~い!そして深~い!

スケールが大きすぎて、

どのアングルから摂ったらいいのやら。

 

 

 

 

 

 

「安全㐧一」の文字が刻まれています。

注目すべきは、その上あたり。

くっきり見える横縞が、突然なくなっています。

ツルハシで石を切っていた跡が、

チェーンソーの跡に変わっているんです。

機械化された昭和33 年当時の石切り場が

この高さだったんですね。

 

 

 

 

 

 

ここでも記念撮影。

右手に置かれているのは

当時使われた重機です。

みごとに赤茶色に錆びています。

その昔、たしかにここでたくさんの人が働き、

この重機たちも活躍していたのに、

今は何もかもがしんとしている。

なんとも不思議な光景。

 

 

 

 

 

 

石を吊り下ろした

ワイヤーケーブルの痕跡もありました。

 

 

 

 

 

 

振り返るとこういう景色。

 

 

 

さて、続いて向かうのは

ジブリファンの間で人気のあのスポット。

ですが、その前にこんな場所も。

 

 

 

 

 

 

なんて綺麗な。

すっかり草木に覆われてはいますが

ここも切り通しです。

鋸山には、こんな光景が随所にあります。

 

 

 

さ、そしていよいよ・・・!

 

 

 

 

 

 

「ラピュタの壁」です!!

 

 

 

ここもすごいスケールで、

どこから撮ったらいいのかわからなくなります。

最大垂直面は96m!!

ネーミングはもちろん、

スタジオジブリのアニメ『天空の城ラピュタ』から。

作品のファンはぜひ!

 

 

 

この断崖絶壁から右に視線を移すと、

このような絶景が!

 

 

 

 

 

 

金谷の町、そして東京湾。

金谷の町がいかにコンパクトかわかります。

可愛いなあ。

そして、東京湾の向こうには

うっすらとですが富士山が見えました。

 

 

 

・・・さて。

予想通り長いブログになっています。

朝9時半ごろに金谷の町を出発し、

この時点で12時過ぎ。

このあと私たちはお昼も摂らず、

日本寺エリアへと歩を進めたのですが、

それを書くと大変なボリュームになりますので、

そのパートは、またの機会に♪