ヤッホ~!帆足由美です。

 

 

 

 

今回は、先週観てまいりました

歌舞伎座夜の部の感想を。

 

 

 

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『壽 初春大歌舞伎』 夜の部

 

 

 

今年の初春大歌舞伎の演目は、

華やかさよりも重厚さが目立ちます。

おめでたい雰囲気よりも、

お芝居そのものを楽しむ感じ。

夜の部の一幕目は、その最たるもの。

 

 

 

北條修司 作・演出

一、井伊大老

 

 

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井伊直弼     幸四郎
仙英禅師     歌六
長野主膳     染五郎
水無部六臣    愛之助
老女雲の井    吉弥
宇津木六之丞  錦吾
中泉右京     高麗蔵
昌子の方     雀右衛門
お静の方     玉三郎

 

 

 

北條秀司の名作です。

昭和二十八(1953)年に

新国劇に書き下ろした芝居に

加筆、改訂して歌舞伎化。

昭和三十一(1956)年、当代幸四郎の父、

八世松本幸四郎の井伊直弼で初演。

八世幸四郎は

初代白鸚襲名の際にも演じた当たり役です。

当代幸四郎さんは

来年お正月に二代目白鸚を襲名しますので、

幸四郎としての最後の年に

お父さまの当たり役を演じているというわけです。

 

 

 

江戸末期を舞台に

大老井伊直弼を主人公に据えたこのお芝居は、

「安政の大獄」以降の安政六(1859)年の冬から

翌年の「桜田門外の変」までを描いています。

 

 

 

安政六年の初冬。

開国を断行した大老井伊直弼は、

世間の批判を一身に浴びています。

尊皇攘夷派から

いつ命を狙われるかもしれない夫の身を、

正室昌子の方はひどく案じています。

しかも、千駄ヶ谷の下屋敷では

直弼の側室お静の方が産んだ鶴姫が危篤状態。

さらに不安は募るのです。

そんな折り飛び込んできたのが、

直弼の乗った駕籠が襲撃されたという知らせ。

直弼に怪我はなく、一同安堵するのでした。

 

所変わって、桜田門の濠端。

直弼の前に狙撃犯が引き出されますが、

なんとそれは、直弼の幼友達の水無部六臣。

尊皇派の六臣は、直弼の政策を厳しく批判します。

それに対して直弼は、

帝はアメリカとの戦争を望んでいないこと、

尊皇攘夷の裏側には

様々な策略があることを明かします。

自分の不明を恥じた六臣は、

安政の大獄で断罪された若者たちを救ってほしい

という遺書を残し、自害します。

その姿に、若者たちの命を

軽く扱ったわが身を悔やむ直弼でしたが、

側近の長野主膳は、今まで通り

心を鬼にして政策にあたるべきと進言します。

と、そこに届く鶴姫逝去の報せ。

幼い娘の死を嘆く直弼・・・。

 

翌年三月二日。

千駄ヶ谷の下屋敷に

直弼の彦根時代の恩師である仙英禅師が訪れ、

昨年亡くなった鶴姫の菩提を弔っています。

お静の方と昔話に花を咲かせるうち、

七日前に直弼が詠んだという

和歌が書かれた屏風に気付く仙英。

直弼の身に剣難の兆しが顕れている、

とお静の方に告げ、

それを聞いたお静の方は涙を流します。

と、そこに直弼来訪の報せ。

お静の方が嬉しげに迎えに立つ隙に、

仙英はその場を静かに立ち去るのでした。

 

座敷にやってきた直弼は、仙英が

「一期一会」と書き記した古傘を受け取ります。

そして、お静の方にその文字の意味、

「人の命はその日限り」ということを語ります。

そして、美しく咲いた庭の桃の花、

華やかに飾られた雛人形を愛でながら、

お静の方と酒を酌み交わしますが、

なんと珍しいことに雪が舞い始めます。

桃の節句に降る雪を眺めながら、

誰よりも愛しいお静と話すのは、

懐かしい彦根時代の思い出。

そして、周りから鬼畜と噂される我が身の悲しさ。

しかし、お静の方はこう応えるのです。

「正しいことをしながらも、

世に埋もれたままの人もいるのです」

なるほど、自分は捨て石のように死ねばいい。

直弼はようやく得心し、あらためて、

お静の方との深い愛を実感するのでした。

 

 

 

 

 

史実を基にした人間ドラマです。

勅許を得ず独断で日米修好通商条約を結び、

尊王攘夷派を厳しく弾圧した井伊直弼は、

学生時代に受けた歴史の授業では

あまり人間的魅力を感じなかったのですが、

この芝居を観ると、

全く違う井伊直弼が見えてきます。

 

 

 

彦根藩主の十四男として生まれた男が

たまたま藩主となり、

幕府の大老にまで上り詰めたとき、

日本は開国か攘夷かで揺れに揺れていた。

運命のまま生き、勤めを全うしようとした男の苦悩が、

情緒たっぷりの情景の中で繊細に描かれます。

目を奪われるのは、後半の下屋敷での場面。

奥座敷が開くとパッと目に飛び込む雛壇。

なんと鮮やかで華やかな!

庭の桃の木の枝が揺れたかと思うと、

はらはらと雪が舞うのも印象的です。

それを背景に、長年苦労を共にした

直弼とお静の方が語り合うのです。

もっと年をとって、パートナーと一緒に観たら、

さらに味わいが増すの芝居かも。

 

 

 

幸四郎さんの直弼は初めて拝見しましたが、

さすがでした!

しみじみと深い味わいで、

よかった!としか書きようがない。

玉三郎さんは42年ぶりのお静の方。

ときに嫉妬すら露わにする

旦那様一筋の可愛らしい女性を、

それは、素敵に健気に演じていました。

幸四郎さんと寄り添いお酒を酌み交わす姿は、

本物の夫婦のような。

とっても素敵なコンビネーションでした!

 

 

 

水無部六臣は愛之助さん、

声を押し殺しながら直弼を批判する

そのセリフ回し、熱演でした。

昌子の方は雀右衛門さん、

おひいさまが良くお似合い。

仙英禅師の歌六さん、

文鎮のようなしっかりとした演技。

 

 

 

ベテラン勢がしっかりとみせてくれる

端正で味わい深い台詞劇。

今年はさらにしっかりと歌舞伎を観よう、

そんなことを改めて思う、今年最初の一幕でした。

 

 

 

 

 

夜の部二幕目は、

五世中村富十郎七回忌追善狂言。

上下段での舞踊です。

 

 

 

二、上 越後獅子 

 

 

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角兵衛獅子  鷹之資

 

 

 

 

ここは江戸の日本橋。

獅子頭をかぶり腹には太鼓、

たっつけ袴という出で立ちの

越後獅子の角兵衛が現れます。

故郷から遠く離れた江戸の町で、

踊りや軽業を見せて稼いでいる角兵衛。

獅子頭をかぶりしばし踊ってみせると、

こんどは浜歌にあわせて踊り、

最後は布を波に見立てた布さらしを

たくみに披露するのでした。

 

 

 

 

文化八(1811)年に初演された長唄舞踊。

七変化舞踊『遅桜手爾葉七字

(おそざくらてにはのななもじ)』のなかの一つ。

五世中村富十郎が得意とした演目で、

今回は、息子さんの鷹之資さんが踊っています。

お父様の踊りは何度も拝見しましたが、

踊りはまったく門外漢の私にも

その素晴らしさは一目瞭然。

キレがよく、粋で華やかで鮮やかで、

観るものをたちまちその世界に連れていってくれる、

そんな踊り手でした。

私に日本舞踊の豊かさ、面白さを

教えてくれたのが、富十郎さんだったのです。

鷹之資さんは現在十七歳。

たった一人で踊る歌舞伎座新年の舞台は

大変なプレッシャーだろうと思いきや、

堂々たる踊りっぷりに驚かされました。

しなやかでキレのいい動きは

お父様を彷彿とさせます。

決して大きくない体なのに、

長い二本のさらしを美しく操ります。

おみごと!と感動しました。

天国のお父様もどれ程喜んでいらっしゃることか。

今後がとても楽しみです!

 

 

 

 

二、下 傾城

    

 

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傾城  玉三郎

 

 

 

ここは吉原仲之町。

吉原一の美貌を誇る傾城が

花魁道中とともに妖艶な姿を見せます。

 

傾城は、廓のとある座敷にやって来ると、

最近姿をみせない愛しい男への

切ない気持ちを踊っていきます。

男への手紙、痴話喧嘩、仲直りは春。

華麗な手踊りは夏。

月尽くしの唄では秋の夜長の様子を踊り、

最後に雪降る冬の吉原と、

四季のうつろいと

郭の男女の切ない恋模様を踊っていくのでした。

 

 

 

 

ただただ美しい、夢のような一幕です!

音楽、衣装、舞台、

すべてがうっとりとする美しさなのです。

何よりも、玉さまが!!!

 

 

 

この長唄舞踊『傾城』は、

文政十一(1828)年に

江戸中村座で初演された七変化舞踊

『拙筆力七以呂波(にじりがきななついろは)』のひとつ。

その作品を、玉三郎さんは平成二十三(2011)年、

新しい構成・演出で日生劇場で演じました。

歌舞伎座での上演は今回が初めて。

私も初めて観る舞踊でしたが、

圧倒的な美しさに、感動しました。

 

 

 

・・・美しい、としか書けていませんが(^_^;)

観るべき一幕です!

 

 

 

 

 

三、秀山十種の内 松浦の太鼓

 

 

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松浦鎮信   染五郎
大高源吾   愛之助
お縫      壱太郎
宝井其角   左團次

 

 

 

 

元禄15年12月13日、雪の降る両国橋。

俳諧師の宝井其角は、

弟子で赤穂浪士の大高源吾に偶然出会います。

昨年、主人浅野内匠頭が江戸城内で

刃傷事件を起こしたためお家は断絶。

浪人となった源吾はすす竹売りに身をやつしています。

挨拶もそこそこに立ち去ろうとする源吾に

上の句を詠む其角。

「年の瀬や水の流れと人の身は」

しばし考えた後、源吾は付句をします。

「明日待たるるその宝船」

雪降りしきるなか、立ち去る源吾・・・

 

翌日、松浦邸の座敷では、

大名松浦鎮信が其角を招き

家臣たちとともに句会を催しています。

そこに、腰元のお縫が茶を運んできますが、

その姿を見た途端、鎮信は嫌悪感を露にします。

実は、お縫は源吾の妹。

其角の推薦で松浦邸に奉公に上がっていたのですが、

鎮信は、赤穂浪士が未だ仇討ちをしないことに

ひどく腹を立てていました。

しかも、赤穂藩家老の大石内蔵助は、

かつて兵学者の山鹿素行の元でともに学んだ間柄。

余計に不甲斐なく感じるのです。

赤穂浪士の身内のお縫を召し抱えていることは

家の面目をつぶすことになるという鎮信の話を聞き、

其角はお縫とともにその場を去ろうとしますが、

去り際に話したのが、前日の源吾の付句のこと。

「明日待たるるその宝船」

その意味をしばし思案する鎮信。

とそこへ、隣の吉良邸から

山鹿流の陣太鼓が鳴り響きます。

赤穂浪士の討入を悟った鎮信は、

源吾の付句も討入を暗示したものと気付き、

喜び勇んで助太刀の支度を始めます。

 

松浦邸の玄関先。

家臣たちの制止も顧みず、

馬にまたがり吉良邸に馳せ参じようとする鎮信。

そこに現れたのが、火事装束に身を固めた源吾です。

仇の吉良の首を見事討ち取り、

本懐を遂げたことを報告をします。

そして、あらかじめ携えていた

辞世の句を取り出します。

「山をぬく力も折れて松の雪」

鎮信はその心構えに胸打たれ、

赤穂浪士たちの忠義心を褒め称えるのでした。

 

 

 

 

初代中村吉右衛門が選定した播磨屋のお家芸

「秀山十種」の一つ。

忠臣蔵外伝物の名作です。

赤穂浪士の吉良邸討入の前日から当日を描いています。

全編通じて俳諧が鍵となり、趣が深い作品です。

ちなみに「秀山」というのは吉右衛門の俳号です。

 

 

 

序幕は雪の両国橋の景色が、さながら錦絵のよう。

シンプルな舞台ですが、心奪われます。

そこで交わされる句が物語の展開の鍵となります。

 

 

 

続く松浦邸での場面は、

本心をあけすけに表す松浦侯の姿が面白い。

けっこう笑わされます。

未だ仇討をせぬ赤穂浪士を本気で怒り、

いざ討ち入りと知れば喜びに輝く。

そして、家来に止められるのも聞かず、

馬にまたがり「いやだ、助太刀に行く~!」

まるで子供です。

しかし、当時の人々の赤穂浪士にかける思いを

この人物一人に集約しているようでもあり、

とても魅力的な人物に映ります。

 

 

 

松浦侯以外の人物も、それぞれに魅力的。

其角は俳人らしい風流さ、人柄の温かさがにじみます。

源吾は、前半はみすぼらしいすす竹売り、

後半は勇ましい討入姿。

ガラリと姿が変わるところで、

赤穂浪士の覚悟の深さを感じさせます。

 

 

 

染五郎さんの松浦鎮信は超キュート。

こういう役柄、とてもお似合いです!

左團次さんの其角は、やっぱり上手いなあ。

説得力がある。

愛之助さんの源吾も、カッコよくて素敵でした。

 

 

 

忠臣蔵を描きながらも、かなりコミカル。

そして最後は、

晴れ晴れとした気持ちになるお芝居なのです。

歌舞伎を観たことのない人にも

わかりやすい作品ですよ。

 

『壽 初春大歌舞伎』

1月26日(木)千穐楽。

 

 

 

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今回の幕間。

 

 

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浅草田甫 草津亭の「楓」♪

1296円(税込み)

あさりご飯、美味でした。