大阪出張はたいだい新幹線だが、最近は経費節減のため、夜行バスを使うことも多い。

 ところが今回は飛行機を利用した。

 というのも、急に金回りがよくなったからではない。宿泊とのセットになった格安のプランが、今回の出張目的にてらして非常に使い勝手がよかったからだ。

 昼頃伊丹空港に到着し、私は、お金がないので、経営再建中のJALのICポイントを使って食事しようと思い立ち、空港内をさまよった。

 しかしなかなか「ここだ」と訴えかけてくるような店は少ない。

 結局、いちばん広くてほどほどに空席もある「W」というレストランに入ることにした。

 Wは、何屋だかわからないほど、メニューが豊富で、寿司、天ぷらといった和食から、とんかつ、フライの類、サンドウィッチ、コーヒー、紅茶まで、まさに何でもありのファミリー食堂といった感じ。ショウ・ウィンドーには所狭しといろんなメニューの、例の蝋細工の見本が並んでいる。

 しかし、その中でいちばん目を引いたのはやっぱり寿司。「Wにぎり」というにぎりずしのセットだ。

 私は断言する。この世で仕事の次に好きなものは寿司だ。めぐチャンでもゆきチャンでもない。

 その「Wにぎり」というのはなんと3,700円もするのだが、蝋細工はほどよく色がくすみ、かつ、おおぶりで、まぐろもエビもウニも貝類も、いかにもまがいものらしい“イミテーション臭”を発散し、どうだ、うまそうだろう、食えるものなら食ってみろ…とばかりに自己顕示欲をふりまいているのだった。

 私は知っていた。見本の蝋細工を置いている鮨屋は決まって超高級店であるということを。期待できそうだ。

 ICポイントの残高はまだ5,000円くらいあったはず。早く使ってしまわねば・・・。

 私は、決然、この「Wにぎり」を注文することにし、広い店内に入った。

 「タバコはお吸いになりますか。」

 「吸いません。」

 「ではこちらへどうぞ」…と、禁煙コーナーに導かれる。

 私と同年代のウエイトレスに「Wにぎりを。」と言ったら「アイスコーヒーですか。」と聞き返されたのは、寄る年波のせいで私の滑舌がいかに悪くなったかの証に過ぎず、目くじらを立てるのはバチあたりだ。しかしそれにしても「Wにぎり」が「アイスコーヒー」に聞こえるようになった以上、引退の日は近い。

 ウエイトレスは、まず、醤油が入った小皿を運んできた。醤油ツギはない。

 身なりが悪いのに3,700円もの「Wにぎり」を注文した私を、きっとよほどの浪費家とにらみ、醤油を無駄遣いされかねない…と警戒したのにちがいない。テーブルに醤油の香りが立ちこめる。

 しかし、長くも短くもない待ち時間の末に、「Wにぎり」1人前は、さながら運命の糸に導かれるかのように運ばれてきたのだった。

 屋根瓦のような分厚い瀬戸物の皿の上に中トロ、海老、カンパチ、イカ、ウニ、トリ貝、穴子など役者どもがにぎにぎしく並ぶ。さぁ、旅芸人のお出ましだ!

 ところがあにはからんや、旅芸人どころか、そのいずれもが、実に品よく握られていて、大きさといい、形といい、いつか先輩の弁護士に連れて行ってもらった銀座の高級すし店の寿司を思い出させる居住まい。

 蝋細工と全然ちがうじゃないか。

看板に偽りあり! 私の不満は爆発寸前だった。

 しかしとにかく食べてみよう。

 まず、海老のオドリと思しき一貫を口に運ぶ。

 それがどうだ。実にうまい。そこはかとない甘さとともにある種の苦みがある。しかもネタはさっきまで生きていたかのような鮮度の良さ。実際、さっきがいつかを別にすれば、このエビは生きていたのだ。

 私はたまげた。

 そのほかのネタもなかなか。軍艦巻きの海苔に若干格落ち感があったが、どうしてどうして中トロも白身も貝も水準以上の、とてもファミレスの寿司とは思えないような味わいだった。また、なんと表現するのかしらないが、握りっぷりというか、口に運んだときの食感というか舌触りというか、“ほおばりごたえ”は一流寿司店のそれと比べても何ら遜色のないものだった。口の中でシャリがほどよく崩れていく。

 よほど腕のいいすし職人を雇っているのにちがいない。

 私の怒りはいつしか畏敬の念に変っていた。

 これなら3,700円分のICを消費してもまったく悔いはない。

 それどころか、私はこれからも伊丹空港に来るごとにここの寿司を食べたい、いや、この寿司を食べるため、ただそれだけのために伊丹空港に来たい・・・。そんな気持ちにさえなった。日本航空よ永遠なれ!

 思うに、料理の写真ほど、プロとアマで差が出る被写体はなく、プロの撮った料理の写真というのは、チェーン店の牛丼でさえ満腔の涎を誘う。

 しかし、あの蝋細工の見本には食欲を誘う要素はほとんどない。ただ、こんなです…というだけのものが多い。おそらく間違って食べられないよう、わざとほどほどに似せるに止めているのだろう。

 ただ、「Wにぎり」の場合、だいぶ見本でワリを食っているのではないかと思う。この見本を見て3,700円もの「Wにぎり」を注文した、もしかしたら私は第一号の客かもしれないのだった。

 いずれにせよ、何であれ、本物を見てからでないと正しい判断はできないということなのだ。

 私は思わぬ拾い物をした気持ちになり、非常な満足感をもって伊丹空港を後にした。

 このブログをご覧のみなさまにも、「W」の「Wにぎり」は自信をもってお勧めしたい。