東武伊勢崎線の越谷駅東口の1番バス乗り場に、ひとりの老人がぽつんと立っていた。80歳前後だろうか。小柄で、決して薄汚くはない、身なりのきちんとしたおばあさんで、ちょこんと帽子をかぶっていた。ちょっと猫背で、顔はなんとなく私の母親に似ていた。

 私はその後ろに並び、市立病院行きのバスを待った。

 バスが来た。おばあさんが乗ろうとしなかったので、私は先に乗ったのだが、その私に対し、彼女が、あまり張りのない声で、このバスが市立公園に行くか運転手さんに聞いてほしいと言う。

 運転手に聞いたら、「市立病院ではなく総合公園というバス停ならあるが、そこにはこのバスは行きません。」と言う。私はそれをそのまま、やや大声でおばあさんに伝えた。

 すると「総合公園に行くバスは何時に来ますか。」と、彼女はさらに私に尋ねた。

 バスの時刻表の見方がよくわからないらしい。

 いったんバスを降りて見てあげたら、あと40分くらいしないと「総合公園」を通るバスは来ない。

 そのことを教えてあげたら、おばあさんは「それじゃ仕方ない。市立病院から歩こう。」とひとりごとのように言いながら、このバスに乗りこんだ。そして、私に丁寧に礼をした。

 バスが終点の市立病院に着いた。

 おばあさんは、持っていたバス共通カードを機械に通すことがなかなかできず、またステップを後ろ向きになりながらモタモタとバスを降りた。

 そして、杖をつきながら、大通りをゆっくり歩き出した。

 私はとくに言葉を交わすこともなく、彼女をすぐに追い越し、さいたま地裁越谷支部の方に向かった。やや過ぎて道路の上の標識を見たら、総合公園まで1.2キロメートルとあった。

 そしてふりかえったら、おばあさんがとぼとぼ歩いている姿が見えた。

 どこに何をしにいくのか知らない。しかし、その姿はいかにも善良そうであった。

私はなぜか、“老いの悲しさ”とでもいうべきものが胸に迫るのを感じずにいられなかった。