羽田発6時台の飛行機に乗ろうと思うと、前の夜ほとんど睡眠をとれないのは当たり前のことだ。かくして、せめて機中ではたっぷりぐっすり寝ていこうということになる。

 今朝の便は実に子ども連れが多い。が、飛行機の中では不思議と子供の泣き声とか、あまり気にならないものだ。もともと相当の“暗騒音”があるからと思う。

 ところが、今日の、私と通路をはさんだその席に座った若夫婦のお子様はあまりにも造りが特殊ならしく、大物の片鱗だらけの素晴らしいお子様だった。

 泣くわけではない。しかし、飛行機が離陸する前から、ものすごい興奮状況を呈し、「アー」「ギャァ」「ワー」と暗騒音どころかF15戦闘機ばりのジェット音で道中ずっとシャウトしどおしだった。なにか目に見えぬものに向かい懸命にある種 魂の叫びを発しているその小さな姿はいたいけがなく、あまりにもかわいい。しかもその声たるや、世に金切り声とはよくいったもので、まさに合金の機体も切り裂かんばかり、耳をつんざくすさまじさで、同情的な民衆の共感を大いに誘うほどだった。私がこの子のことを“マッハ小僧”と名付けざるを得なかった所以である。まさにそこには超音波の美学とさえ呼ぶべきある種のワールドがあった。

 「僕が親なら殺してますね。」

 同行者のS君が私に耳打ちする。

 「おい。口をつつしみたまえ。たとえ冗談でもそんなことは言っちゃならん。あの子の懸命な自己主張に、謙虚に耳を傾けるのがわれわれ大人の務めというもんだ。」

 それにしてもものすごい声だ。やむことを知らぬかに間断なく続く絶叫。あのエネルギーはいったいどこからくるものか。

 しかし両親はマッハ小僧をしかるでもなく、自分たちの膝の上をただ往復させている。その忍耐力にも脱帽である。が、もしかしたら両親ではなく誘拐犯かもしれないのだった。

 ただ、いずれにせよ少子化の日本では、子供ほど大事にされる存在はない。総理大臣よりも、子供や、子供を連れた若い親が主人公であり、偉いのだ。仮に解散権が行使されたとしても地上1万メートルの空中ではどうにもならない。もっとも機体はほとんど空中分解寸前であったが、私にはなすすべもない。もちろん機中で寝ていくどころの話ではなくなった。なのに、マッハ小僧に微笑みかけながら手を振っている無責任きわまりない客室乗務員までいるではないか。そんなにかわいければ、いっそ特別養子縁組でもしたらどうなのか。

ふと、思った。いったい日本はいつからこんなに寛容な社会になったのか、と。

実にいいことだと思う。

「先生も子供が好きですね。」とS君が返す。

「そうだとも。食べたことはないがね。」

いくら寝不足でもこの程度のブラック・ジョークは返せる市川尚であることを私はS君に知らしめ、と同時に、マッハ小僧がこれからどんな大人に育っていくのか、暴れん坊将軍か、さもなければ将来 目覚まし時計にでもなればいいのではないか…などと、その頼もしい未来に思いをはせた。そして、私は空の旅を心ゆくまで楽しんだのであった。