最近、夜の予定が連日続き、昼も夜も仕事がある私にとっては非常に厳しい日々が続いているが、そんな中で、今日、私は生まれて初めてモツ鍋という料理を食べた。


 場所は、Q川の近くで、ある会合の後、参加者のひとりN君が、夜桜を見に行きましょう、自分の家の近くのQ川の両岸の桜は見ごろだなどといい、私は正直なところ仕事があるのでその日のうちに帰りたかったし、「まだ桜はたいして咲いてないのではないか。」とそれとなく、やめようよと言ったのだが、流れ上、そういうわけにもいかず、もうひとりM君と合計3人で、まだ寒い川べりを歩いたのだった。


その、私の予想どおりほんのわずかばかりの桜の花が咲いている河岸に、モツ鍋屋はあった。


 夜桜見物の目的を遂げなかったN君とM君は、それなら潔く負けを認めて帰宅すればいいのに、恐らくそれでは何のためにここに来たのかわからないという気持ちになったのだろう、このモツ鍋屋に入る道を選んだのだ。私は本来そこで失礼すればよかったのだが、そのチャンスを逸した。そして両君につき従って、モツ鍋屋の暖簾をくぐる。店内は12時を回っているというのに、たいへん混んでいるのが意外だった。


 N君もM君もここに10回以上来たことがあるとのこと。


「一度、ここに先生をお連れしたかったのですよ!」ふたりが口をそろえて言う。


 私はうれしくて涙が出そうになった。それはあくびをかみ殺していたからでもある。


 さて、モツ鍋とはどういう料理かといえば、浅い金物の鍋に適当な野菜と鶏のモツが入っており、それにだし汁を加えて、火にかける。ただそれだけの料理である。


 鍋の形状を除けばまったく私の予想どおりだった。


 しかし、この店の鶏のモツは、十分味わい尽くした後のガムのようであり、野菜もキャベツの太い茎の部分が中心で、正直言って、あまりにもおいしかった。


 ただし、だし汁には、鶏のうまみと野菜の甘みがよくにじみ出ているところ、鍋が浅いため、汁がすぐなくなってしまい、店の人がポットみたいのから足してくれるのだが、後になればなるほど、だし汁は単なるしょうゆと本ダシが薄まった混合液でしかなくなり、コクというものを失っていき、あまりにもおいしかった。


 その最後の最後の方のだし汁に、麺をぶっこんで食べるのがここの流儀だとM君が言うのだが、その麺は、すごく変わった麺で、ソバでもウドンでもなく、しいていえばカップ麺の“どんべえ”の麺、あるいは給食のスパゲッティーのようであり、あまりにもおいしかった。


 なお、中座してトイレに行ったら、お店の人が小用を足していたが、彼は手を洗わずにトイレを後にしていた。さすがである。


 さて、私はこの店では梅酒一杯だけ飲んだが、残りのふたりは、勝手に酔っ払っており、食べたら会計が必要になるという経済観念も希薄になっているようだったので、結局、私がそこの代金をすべて払った。


 モツ鍋2人前と、若干のつまみ類と、一同が飲んだお酒で、合計11,000円くらいだった。往復のタクシー代を含めて、私は、今日の売上高をすべてうまく使い切ることができたことを悟り、今日の延べ6時間以上に及んだ法律相談を懐かしく振り返るのだった。


 そんな私の幸福そうな顔に気付いてか、N君とM君は、酔っ払いながらも「先生、ごちそうさまでした。いつもいつもすみません。次回は必ず私達がご接待します!」といつもの誠実さを発揮するのだった。


 君たちのおかげでいい店を知ることができた。ありがとう。・・・私は心の底からそう思った。