今回は「君たちはどう生きるか」の感想と考察です。



注:この記事の大半はネタバレです。そのためまだ未視聴の方は絶対に読まない方がいいです。

見ればわかりますが、特に今回の映画は事前情報なしで見ることが最適解であり、そのため一切のプロモーションが行われなかったのです。


人生で一度しか体験できない「事前情報なしの映画」という、製作陣からの最大の配慮を無駄にするのは非常にもったいない。


できる限り情報0で見るようにしましょう。



また今回の記事を書くにあたって、この映画に対する事前情報、事後情報には一切触れておりません(ポスターすらまともに見てない)。

そのため甚だ見当違いなことを書いているかもしれませんが、あくまでジブリをそこそこ好きな私が映画を観て受けた印象としてお受け取りください。


以上、長々と注意書きでした。

それでは感想と考察に移っていきます。








  観た感想と考察


普段なら映画の感想なんて書かないんだけど、これだけはどうしても書かなければ気が済まない!そんな映画でしたね。


見終わった瞬間思ったのは、


「宮崎駿は本当にこれで最後のつもりで作ってるな。しかもめちゃくちゃ楽しそうに、何かに怒りつつもゲラゲラ笑いながら作ってそうだな。」


でした。



ストーリーの感想じゃないの?!と思うかもしれませんが、なんというかこの映画って宮崎駿の自伝的というか「これが俺の人生だバカヤロー」みたいな印象なんですよ。

だからこそタイトルが「君たちはどう生きるか」なんだと思うんですよね。この辺については考察の方で詳しく書きますが、とにかく、往年のジブリ視聴者にとっては我が儘貫いてやりたい放題やってることがわかる内容になってました。

宮崎駿、絶対こういうシーン、こういう背景、こういう関係性描きたかっただけやろ!と。


だから見てる僕自信ずっとクスクスと笑ってましたし。




でもそこが面白いポイントってことはですね、金ローで年に数回なんとなくジブリ映画を見てる層にはことごとく伝わらないんですよね。笑


現在の評価がどうなってんのかは知りませんが、絶対に二分されてるでしょ。だってわからない人には微塵も意味がわからない映画ですもん。



それはなぜか?おそらく宮崎駿にとって今回のストーリーは二の次だからです。

意味のないシーンが多々ある割に、話が急展開で飛びますからね。


勿論ストーリーにもそこそこ意味や背景等がありますが、前提としてそれはこの映画の主軸じゃないので、ストーリーとして楽しもうとすること自体がナンセンスなんですよ。


絵本を読むのに文章を楽しもうするようなものですね、見方を間違えてます。



あと宮崎駿作品って時代背景とか描写の説明をしないんですよね。

でも「君たちはどう生きるか」では珍しく年代のヒントが序盤から出されてました。まあサイパンの話が出るまでは1941年か1944年かの断定ができなかったですが。


まあ一緒に見た友人は戦後の話とすら思ってた始末……。

召集された兵士や戦闘機工場関連のシーンがあったのになぜ……?


このように時代背景への知識がないと「おはぎが作れる!」「私も砂糖なめさせて」「虎杖の葉だ」「ダットサンで乗りつけてやる」「300円も寄付してやった」「おいしくない」あたりのセリフは、その時代の庶民の暮らしに対する主人公の度を越えた裕福な家庭育ちというギャップの意味まで拾いきれないので、序盤のセリフの面白さには気づけないでしょうし、ケンカや父親の対応辺りのストーリー展開も唐突に感じる原因になるんじゃないでしょうか。


作中のサイパンの話もその1つですね。たった一言ですが、それだけで時間軸を特定できる表現です。


あとはタバコをくすねるシーンも色々考えさせられますね。あれも盗んだことに注目しがちな何気ないシーンですが、妊婦の寝床にタバコがあり、しかも2本しか残ってなかったとあえて明言されましたからね。流石にコンプラ的に描けなかったけど、本当は描きたかったんじゃないかな。

ちなみに子どもによる窃盗は日常茶飯事です。そういう時代です。


でも知らなきゃ聞き逃すでしょうし、何もわからないままですね。






どうすればこの映画を面白く見れるのか? 



時代背景の知識もそうですが、これまで宮崎駿が手掛けた作品をたくさん見ること、そして何回も見ることでしょう。


「君たちはどう生きるか」にはこれまで宮崎駿作品のセルフオマージュらしき要素が山ほど詰め込まれてます。


セルフオマージュと言えば、昨年の映画『スーパーマリオブラザーズ』のようにファンが好きなシーンをリメイクすることが多いですが、「君たちはどう生きるか」では宮崎駿が大好きなシーン、描きたくて仕方なかったシーンがセルフオマージュされてる感が凄いです。



どれくらい多いかというと7割くらいどっかで見たことあるシーンや演出、画角や構図です。笑


多すぎだろ!って思いましたし、おそらく自分でも気づいてないシーンがまだまだあることを考えれば、下手すりゃ9割セルフオマージュ、1割が今描いてみたくなった絵なんじゃないかとすら勘ぐるレベルです。


大伯父様が出てきてからなんて、ほとんどジブリ作品のシーンじゃねーかって見ながら突っ込んでましたからね。

……こんなもんプロモーションできんやろなぁ笑



ストーリーを紡ぐために必要だから描いた絵?そんなもんないない。笑

意味ありげなシーンも描きたかったから描いただけでしょ。だから意味ありげでしかないし。


描きたい絵を入れるために意味が必要だから、そうなるストーリーを強引に作ってシーンとして追加してますよ、たぶん。笑




登場人物もストーリーの装置としてのキャラクターはおらず(ただしシーンとして描きたかったモブはいる笑)、描きたい人間だけを描いたって感じですしね。

モブを一切許容しないからこそ、全てのキャラクターが尖ってるという。



アオサギなんてあれ、見た目からはジコ坊っぽいけど、中身は完全にモリアーティ教授。どこか善人で憎めないんだよなぁ。

真人はアシタカ、インコ大将はカリオストロ伯爵だし、キリコ(若)はドーラを若くした感じっぽい。ひみ様はドーラと出会った後のシータ…というか、もっと監督の性癖に突っ込んだ設定されてて笑った。相変わらず母性のある少女好きすぎやろ。笑



まあなんというか、キャラクターの性質が別作品のキャラクターと類似してても全然構わん!俺にはこういうキャラクターが理想であり、好きなんだよ!別にいいだろ!!っていう意思を感じるんですよねぇ。


みてる方も、でしょうねぇーってなる。



あと後半の世界では『未来少年コナン』『ルパン三世カリオストロの城』『名探偵ホームズ』あたりのキャラクターが持つコミカルさやごった煮も感じられてとても良かった。




このように①描きたいシーン、②描きたいキャラクターの性質を優先してることが見てとれるので、ストーリーは二の次なのではないかと思うわけです。


それでも映画の最初につながるような終盤の展開、クソガキだった主人公が自分の不誠実さや親に構って欲しい弱い心を認めていったり、全ての意思を受けて未来へと進んでいくエンディングであったり、それらにからむ心理描写であったりと、ちゃんと物語として面白かったです。



まあ相変わらずわかりやすい説明はないので(絵や表現、台詞の切れ端、時代背景にヒントがあるから勝手に読み取れのスタンス)、行間が読めないと意味のわからないストーリーに感じるでしょう。


しかしだからこそ物語に中弛みがなくスピーディーに展開されており、久々に引き込まれ続けられました(最近の映画は説明シーンが多すぎて中盤で展開が読めてしまい飽きるのだ)。


……おそらく単に入れたかっただけのシーン、例えば車の手回しエンジンがけ、戦闘機のコックピットの搬入、タバコをふかすジジイ、なんかよくわからんキリコの炎陣、大量の帆船等があるので、物語として全く中弛みしてないのかと言われれば……笑


でもそれが面白いと感じる層には本当に面白いんだよ。

『紅の豚』とか『風たちぬ』とか最高だよなぁ!!



だからこそ見終わった後に「宮崎駿は本当にこれで最後のつもりで作ってるな。しかもめちゃくちゃ楽しそうに、何かに怒りつつもゲラゲラ笑いながら作ってそうだな。」と感じたわけです。あと絶対某プロデューサーに愚痴言われてケンカしてそう(偏見)。






メタすぎる視点から考察 



ちなみにゲラゲラ笑いながら作ってたと思う理由は他にもあって、それは作中の鳥の糞の多さ。

これに原作があるのかは知りませんが(ジブリ作品は大抵原作がある。けど大概原作を踏襲しない)、仮に原作があったとしてもこんなに序盤からあちこちに糞描くか?って思うのです。


鳥の性質上、飛び立つ時に身体を軽くするために糞をすることが多いですが、あれがリアルな表現かと言われれば過剰すぎるのでは?と疑問が残るわけで。特にラスト。


その点からメタ的に考えると、単純に監督自信がこの作品はクソ(まみれ)であることをアピールしたいのかな?…と。

それも内容が、というわけではなくて自分のやりたいことをしまくった結果として「なんともまあ視聴者のことを考えてない、監督としてはクソな作品になってしまったよ(笑)」くらいのニュアンスで。




またセルフオマージュまみれの作品であること、つまり自分の人生における作品を数多く展示した作品となっていることから最初に"自伝的だ"と述べました。


本当に宮崎駿作品の良い場面が散りばめられているからです。


でも「それを継ぎ接ぎにするとこんなにクソみたいな作品になるぞ、でも俺はそれがやりたかったしやりきった、それが俺の人生の成果なんだ」と映画を使って上から説教してるわけですよ。

だからこそタイトルが「君たちはどう生きるか」なんだと思うんですよね。俺はこう生きた、君達はこれからどういきるのか?と。



つまりこの映画は、監督というジジイの自分語りを聞かされた上に説教までされる映画なのではないでしょうか?(暴論)

今までの作品が説教くさくなかったかと言われれば……笑



そりゃあ絶対作るの楽しいですよ。昔の自分語りと説教は年寄り共通の趣味みたいなもんですし。



あとこの映画めちゃくちゃBGM少ないんですよね。

その代わり要所で一音だけピアノが鳴ったりするんですよ。

またそれとは逆に近くを飛んでるのに羽音が聞こえないとか、あえて音を使わない表現も多く、気を抜くと大事なシーンを見逃します。

これらはホラーでよくみられる手法で、どちらも画面に気を引かせるのに有効ですが、ジブリでここまで多用されるのは珍しい感じがしますね。


雰囲気に流されるな!画面の絵をしっかり見ろ!と言わんばかりに使われてます。


んなことしなくても水面の表現、鳥の脚の動き、大量に動き回る動植物、入道雲etc…、綺麗すぎて目が離せねーわ。





  まとめ



改めて感想としては見ての通り、とても面白かったです。何回でも見れる映画ですね。途中のホラー展開も最高だし。


ただこの映画はジブリ作品を通した宮崎駿という人物、その関係者の数々の苦労まで知ることで本当の面白さにつながると思います。

だって本当にやりたい放題やってるんだもの。

誰だよこれを許したの。笑



なのでなんとなく他のジブリ映画と同じ感覚で見てしまうと知り切れトンボなエンドですし、平凡な作品に感じるでしょうね。期待値が高すぎる反動で駄作に感じる人もいるでしょう。


ちなみに友人とは別の知人女性の感想は気持ち悪かったでした。笑

ホラー展開の際の動物達が受け付けなかったみたいです。




……え?ストーリーに対する考察はないのかって?


するだけ無駄って言ってんだろ。



原作があるならそれみればわかるんだろうとは思うけど、僕はこの作品に原作らしい原作は存在してないと考えてます。

たぶん映画の中で「君たちはどう生きるか(昭和12年)」って本があったことから、実際にその本はあるんだと思う。

主人公がそれを読んで涙を流すシーンがあったけど、色んな捉え方のできるシーンだから、もしかしたらその本の内容が後半の主人公の心の在り方のヒントになっているのかもしれないけど。



でもだからこそその原作の中身とは全然違うんじゃないかな。ジブリのいつものパターンのテーマだけもらった完全オリジナルじゃない?(違ったらごめんなさい)


だから描きたい描写とキャラクターが優先されてるって感想になるし、ストーリーはそのためのこじつけだろうから考えるだけ無駄。本筋さえ通ってればOKなのよ。


墓の主?魂を食べるペリカン?赤子は食べない人食いセキセイインコ?星との契約によって存在した地獄、それが崩壊することの意味?


考えるだけ無駄じゃー!!



そういうシーンが描きたかっただけさ。


でも強いて言うなら、たぶん『シュナの旅』あたりの設定に近いものがあるんじゃないかな。


どことなくこの映画を見たときに浮かんできたのが『シュナの旅』の設定。あれも命の循環がテーマの1つとしてあったし、異世界や上位生物?の存在、時間軸のズレあたり近いものを感じる。



でもその辺から考察をするには映画の細部の描写を見る必要があるので、そこまでして考察を書く気はない。

あくまでも映画を見た熱が冷めないうちにこの感想書いてるだけだしね。本来のブログの趣旨ではないし。



でもどうしても言いたくなったんだよ、宮崎駿監督お疲れ様。そして最高のクソ作品をありがとう!って。