今回は特にネタが無いので、1994年4月1日に廃止・会社解散となった野上電気鉄道を撮影した時の模様を取り上げたいと思います。

野上電気鉄道は、かつて和歌山県海南市の日方駅から和歌山県海草郡野上町(現在の紀美野町)の登山口駅まで結ぶ鉄道路線で、1916年2月4日に開業しました。

1993年8月に友人らと行った青春18きっぷ旅の途中で、野上電気鉄道の記録をしようと、和歌山駅から4つ目の駅「海南駅」へ向かいました。
和歌山駅を出発する前は南海貴志川線1201形に乗ってました
和歌山駅からJR紀勢本線で海南駅へ
海南駅近くにある連絡口駅から野上電気鉄道の終点「登山口駅」へ

ちなみに左側のバスは野上電気鉄道バスで、鉄道廃止と同時に会社解散、代替バスである大十バスに車両ごと引き継がれ、登山口駅跡は大十バスの車庫になりました。
デ10形は元々、1951年に製造された富山地方鉄道5010形で、1975年に野上電気鉄道が譲り受けました。

登山口駅から日方駅へ
モハ23は、1910年から1911年に製造された阪急1形26の車体を改造し、中古の床下機器・台車と組み合わせて1957年に登場しました。
廃止後は、尼崎センタープール近くにある、阪神電鉄 運輸部教習所で保存されています。

フィルムカメラの時代は、最低限の写真しか撮影出来なかったので、あまり撮れませんでしたが、野上電気鉄道の趣ある雰囲気は、記憶に深く刻まれました。

1993年当時の野上電気鉄道は、危機的な経営状態だった事もあり、駅構内に撮影禁止の貼り紙が貼られ、駅員さんらの態度が横柄な感じでした。大手私鉄の協力を得るなど会社存続の道は残されていたにも関わらず、打開策を立てなかった会社に憤りを感じていた社員さんの気持ちを当時はまだ汲み取る事が出来なかったですね。

我々は貼り紙に全く気付かず、普通に撮影してましたが、咎められる事はありませんでした。こうして記録出来て良かったと思います。

今回も最後までご覧下さり、ありがとうございました。