「分業」という名の信頼:孤立したスターを生まないために~
アドラー心理学が目指すゴールは「共同体感覚(ソーシャル・インタレスト)」、つまり他者を仲間と見なし、そこに自分の居場所があると感じることです。
他者は何かしら自分と繋がっている。そして、自分も何かしら他者に貢献している。
これはまさにサッカーです。
サッカーという11人で戦うスポーツにおいて、この感覚は単なる精神論ではありません。原理原則そのものです。
「機能」の差はあっても「価値」に差はない
サッカーでは、華やかにゴールを決めるフォワード(FW)が注目されがちです。しかし、サッカーがチームスポーツである以上、フォワード(FW)もミッドフィルダー(MF)もディフェンダー(DF)もゴールキーパー(GK)も、アドラーの視点に立てば、すべて完全に対等です。
役割(機能)の違いを認める
ゴールを決める人間が偉くて、守る人間が偉くないのではありません。単に役割(機能)が異なるだけです。
実際にプロのサッカーを見たり、自分でサッカーをしたりすれば分かることですが、仲間がいないとサッカーをすることはできません。
ドリブルでボールを運んでくれる人もいれば、パスでボールを運ぶ人もいる。囮(おとり)の動きをして仲間を助ける人もいれば、敵にボールを奪われないようにブロックする人もいる。
そしてもちろんシュートを決める人もいれば、敵のシュートを防ぐ人もいる。
サッカーというゲームの本質は、時間内に相手よりも多くのゴールを奪うことです。そのためにどの選手も、それぞれの役割があり、やるべき仕事が違ってくるわけです。
みんながみんな、ボールを持ったらドリブルしてシュートを狙っていてはサッカーにはなりませんよね。
いわば一人ひとりが独立しているのではなく、チーム全体で一人の人間のように働いてこそ成り立つわけです。
ある人は心臓、ある人は胃、ある人は肌、ある人は足、ある人は手といったような感じです。人が生きていくためには、どれも必要な器官ですよね。それと同じことです。
横の関係を築く
スター選手が控え選手を「下」に見るような「縦の関係」があるチームは、土壇場のピンチで必ず崩れます。なぜなら、そこには「協力」ではなく「支配と依存」しかないからです。
心臓が大腸を下に見ているのと同じです。どちらも欠ければ人は生きることはできません。お互いを認め合い、協力しなければいけません。
サッカーにおける役割の専門化は、チームをバラバラにする「分断」ではありません。
ボールを繋いでゴールを奪う。 相手にゴールを割らせない。
要するに、勝利という共通の目的を達成するために必要な仕組みなわけです。
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