こちらの続きです。
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日曜日の夕方、妹が帰るので母が空港まで送って行き、その間はまた私1人で付き添いながら『水滸伝』の続きを読んでましたが、
「ちょっとトイレ行ってくるね」と数分離れて戻ってくると、
それまで安定していた酸素の数値と脈拍が急に下がりだし、
それから10分くらいで、あっという間にすーっと亡くなりました。
母方の祖父母たちもでしたが、
なぜか、ずっと誰かが付き添ってたのに、ほんのちょっと席を外した隙に亡くなってて、
死ぬ瞬間を見せたくないのかなと言ってましたが、
父も、母がいる時に旅立つのは嫌だったのでしょうか。
直前までは安定していたのに、
もしかしたら、妹が来て、家族が揃うのを待っていたのかもしれません。
ちょうど父が亡くなる1ヶ月ほど前のことですが。
娘が私の裁縫道具をひっくり返してしまい、ちゃんと片付けたつもりだったのに、針が1本残ってて、息子が踏んで怪我してしまったんです
その時に、『私が踏んだら良かったのに』と思って。
その時に急に思い出したんですが、
私が小学生くらいの頃に、父が寄生虫にあたり入院したことがありました
私と妹がお見舞いに行くと、げっそりした父がベッドに横たわり、
「のたうち回るくらい痛かったから、お前たちじゃなくて良かった」と言ったんです。
当時は何も思いませんでしたが、
息子の針踏みで、その時の父の言葉が、親の子供への愛情ということを急に感じました。
妹は、いま簡単に五島に帰ってこられない状況で、それでもなんとか父に会おうと帰って来ようとするも、前日は天候不良で飛行機が着陸できず、五島上空まできたもののそのまま元の空港にとんぼ返りになってしまったり、、、
それが、日曜日には天候回復して、日帰りで数時間でも父に会いに来ることが出来ました。
そのタイミングを、きちんと待っていたのかもしれません。
あと、実は翌日は両親の結婚記念日でして、
結婚記念日が命日にならないようにしたかったのか、
父らしいタイミングだったような気がします。
そういえば、子供の頃、父から
「お父さんが、仕事の用事で〇〇(母の実家)に訪問したら出てきたのがお母さんで、ひとめぼれした」
と聞いており、
(実際、父の葬儀で久しぶりにあった親戚のおじさんから、「惚れたから間を取り持ってほしいと何度も頼まれた(笑)」と聞きました)
父は母のことが好きだと感じていました。
母ですか?母は、「なんで結婚したの?」と聞くと、「ボランティア」と毎回答えて、家族みんなで笑うところまでがデフォでした
なので、結婚記念日が命日にならないようにしたのかも。
そう考えると、日曜日の夕方に旅立つべく、旅立ったのかもしれません。
ちなみに、私と妹は似ているところも多いですが似ていないとこももちろん多く、
高校入学と同時に家を出た私と違い、高校まで家にいた妹は、父への激しい反抗期もありましたし、
劇場型の妹は、空港で大泣きしながら父に怒りをぶつけたこともあります。
その妹と比べると、私は冷静で淡々としているので
妹と比べると、ですよ
私が一人でいる時を選んで旅立ったのも、父から私への最後の甘えだと受け止めました。
続きます
読んでくれてありがとう♪