ネット記事で福山雅治の人気が最近落ちていること、また、それが結婚ではなく、老化によるものだと書かれていた。

そりゃ、美醜を問われる芸能界、10代のつやっつやの子、20代、30代の盛りの時期、それらと比較したら、変わっていくのは仕方ない。

美魔女という言葉が流行ったり、年齢は若けりゃ若いほどいいと思っているのが日本人。

全ての国において、若い方が有利な面は多いけど、海外はもうちょっとおおらかにみているというか、その年にしか出せない味を大事にしている印象がある。

人の価値は若さにしかないなら、若いうちにさっさと死んでしまった方がいい。

盛りと言われる時期、或いはそのちょっと手前くらいで死ぬのが一番いいと思う。

 

でも、本当にそうだろうか?

美しさの定義は難しい。肌、髪、肉体、どれを取ったって若い方が確かに美しい。

しかし、成熟した美しさは除外されていいのだろうか?と思う。

 

年をとればとるほどに顔に人生が現れてくる。

それは、メイクや、整形では隠し切れない。

 

余談だが、数年前、ちょっと好きだった高校の頃の先生と会う機会があった。

在学中に退職し、今は別の仕事をしているという元先生に合って愕然とした。

女子校だったこともあり、その時20代後半に入りかけたところにあった男性の先生はモッテモテだった。ダントツで人気が高かった。

どこか軽薄なというか、薄っぺらいところはあったが、その辺りは若さがカバーし、さわやかな印象があった。関西出身で、割と細身で、若干気弱で、好感の持てる人物だった。

Harutoはこの先生が結構気に入っていたので、この教科においてダントツの1位だった。

久々に会うことになり、わくわくしていたが、会って愕然とした。本当に愕然という表現がぴったりだと思う。老けたな…。

年を取ると顔は人生の過ごし方を語りだす。どんな経験を積んだか、どれだけ努力してきたか、現在どういう状態にあるのか。

その先生は、そのまま年を取った。軽薄で薄っぺらいまんま年だけを重ねたといった印象だった。同じ年の人を知っているが、その人と元先生を比較しても、明らかに、劣る。

 

年を取るのは難しい。

美魔女は、お金はもちろんのこと、時間と精神的な余裕がなければ難しいと思う。

そして、時に「40代なのに、息子と歩いていて彼女と間違えられた」「40代後半なのに20代に間違われる○○」、それって素敵?洋服、メイク、髪型、無理してない?

 

若くありたい、年は取りたくない。でも、生きている以上年を取らざるを得ない。それが嫌なら、死ぬ以外に方法なんてない。人が死ぬという理同様、老いるということもまた避けようのない理なのだ。

昨日より今日、確実に年を取っている。1週間前の自分は確実に今日の自分より若い。

そして、時間は不可逆だ。

それならば、それ相応の美しさを手に入れてはどうだろうか?その時にしかない瞬間、瞬間の美しさを大切にすればいいのではないか?そう思うのだ。

別に、10代だの、20代だのに固執する必要などない。

そう思う。これは若干自分に対して言い含めている感は否めないが、そう思う。

 

洋服、メイク、髪型、そして、装飾品。年相応にしていかなければいけないなぁと思う。

そして、今日より若かったいつかを悔いるよりも、今しかない美しさを大切にしなければと思う。明日は今日より老いている。それを受け入れて、今を大切にしなければ、きっともっと年を取った時、後悔することになる。

でも、その時はその時の美しさを持っているから、それを存分に引き出していく努力をしなければいけない。

 

自分への戒めも込めて、思ったことをまとめてみた。

本当、年を取るのは難しい…。