しかし、一座に多額の借金があったため
芳江は波川家に嫁ぐしかなかった
元々ふくよかだったため、妊娠に
気づくのは遅かった
両親に相談し、祝言のその日まで
親戚の家で花嫁修業という名目で
過ごし出産をした
しかし、その子供を育てるわけには
いかないと子供を連れてさ迷っていた
ところ、あの弁才天にたどり着き
子供をたくさんの着物でくるんで捨てた
明仁は、初めてあいらにあった時
芳江の面影を彼女の中に見たのだった
(ふくよかな芳江に似てるか確認する
ために顔を片手で挟んだ)
その後、さつきからあいらの生い立ちを聞き
確信を持ってこのパーティーに
あいらを連れていくと決めた
「あいらのことをあんたが
気に入ってくれて貰ってくれたら
あたしは反対派が勝とうが賛成派が
勝とうが関係なく安心できるんだけどね」
あいらを借りたいと頼んだとき
さつきにそう言われた
さつきは明仁の真意も心も見抜いていた
そして願ったのだ
自分の一座から関係ない所で
幸せになって欲しいと
「ご主人の説得をお願いできますか?
貴方の娘さんの為に…」
明仁の言葉に芳江は黙って深く頷いた
「ありがとうございます」
明仁は芳江に礼を言うとパーティー会場へ
戻ろうとあいらを促した
入れ違いで源次が水を持ってきた
その後ろを源次の前妻の子である
当史(とうじ)がついてきた
あいらはその光景からしばらく目が
離せなかった
(あの人が私のお母さん)
明仁に対してあいらの心に
複雑なものが生まれた
前を歩く明仁の歩みが突然止まる
あいらは慣れないヒールで前に
つんのめりそうになって明仁の背に
寄りかかった
「ああ、すまない…今、ホテルの
出口に向かっていた男性を
どこかで見たような気がしたもので」
明仁がよろけたあいらを支えるように
言ったが目はホテルの出口の方を
向いていた
「…どうやら気のせいだ。
パーティー会場に戻ろう。
父にあいらのその姿を見せてやらないと」
翌朝、明仁とあいらは
賛成派のシネマ帝国の社長である
山上一郎(やまがみいちろう)が
亡くなったことを新聞の訃報欄で知った
死因は心臓発作、死亡推定時刻は
パーティーの開始時間から終了期間の間
死体が見つかったのはホテルの
パーティー会場と同じフロアの
一番小さい宴会場
明仁が日輪銀行の次男坊であり
警視庁に勤めている佐藤茂道(さとう
しげみち)から聞き出した情報だった
「賛成派の方が亡くなったってことは
反対派が有利になるってことですよね?」
あいらが不安げに聞く
「いや、逆だ。茂道くんの話では
容疑者はあのパーティーのメンバーで
ある可能性が高くなるからだ
反対派が賛成派の人間を消しにかかった
という事にもならないとも限らない」
「でも、心臓発作なら…」
「確かに山上さんは心臓が悪かったようだ
しかし、悪かったからこそ薬を肌身離さず
持っていたというし、発作を起こすような
状況になる相手は…関係者にいない筈
だが、警察が介入したら日本の経済を
担ってるからこそ悪い噂は不味いんだ」
だから、茂道は簡単に明仁に情報を
開示したのだ
自分の父親は関係ないと示すために
その日のうちに明仁とあいらも
他の参加者同様に事情聴取を受けるため
警視庁へ呼ばれた
パーティーの間の行動、居場所
不振な人物は居なかったか
細かく聞かれた
最後、警察官は
「山上充(やまがみみつる)さんを
見ませんでしたか?」
と聞いてきた
明仁はその言葉にあの時見かけた人物
のことを思い出したが頭を振って
「いいえ…」
と答えた
山上充は山上一郎の一人息子で
5年程前に父親と衝突し勘当されて
行方がわからなくなっていた
その充をパーティー会場で見たと
言ったものがいたのだ
警察としては充が容疑者と考えている
と茂道が教えてくれたがそれは
反対派の面々には伝わらない事だった
事件のお陰で疑われたくないと
反対派は賛成派になり劇場完成時に
さつきの芝居小屋の多くの者が
そちらで雇われる事が決まった
あいらは役目を終えたので芝居小屋に
戻ることになったというか
戻りたいとあいら自身が明仁に願った
「そうか…」
明仁はあいらにそれだけ言って
一通の手紙を渡した
「芳江さんからだ、あいらに渡して
欲しいと頼まれていたのだがどうしようか
迷っていた…いや、きっとあいらの気持ちは
決まっているだろうから渡すつもりは
なかったんだが」
あいらはその手紙を受けとると
すぐに封を開けて読んだ
そこには、とにかく会って2人で会って
話がしたいと書いてあった
あいらも心の奥ではいつかそうできたら
とは思う
しかし、今は出来ない自分はさつきの
娘であることが誇りだから
あいらはその手紙に火をつけて
暖炉に放り込んだ
手紙はあっという間に灰になった
「それがお前の答えか…」
明仁の問いに
「はい、本当の母のことも、明仁さんの
ことも…あたしは…まだ、許せません」
「わかった、さつきさんの所まで
車で送ろう」
明仁は志なに車を用意するよう声を
かけた
志なは頷くとあいらを連れて
荷物をまとめに部屋へ向かった
車が芝居小屋に着くと
木箱にたくさんの物を積めた男が
出迎えた
車から降りたあいらは頭に手拭いを
巻いた髭面のその男に近寄ると
「ミツさん、ただいま」
と言った
ミツと呼ばれたその男は木箱を片手で
持つと空いた方の手であいらの頭を
撫でて
「おかえり…」
と言うと芝居小屋の中へ入った
「あいら、今の人は?」
明仁が聞くと
「小道具とかやってるミツさんです」
「ミツ?氏は?名は?」
「さあ?知りません、ここにいる人は
みんな愛称というか何が出来るかと
何と呼んで欲しいかだけ言って
さつきさんがいいと言えばそれで
ここに居られるから」
明仁はあいらの言葉にふむと唸った
「その…ミツさんはいつからここに
居るんだ?」
「4年?5年前だったかなぁ。あたしも
小さかったからあんまり覚えてなくて
それが何か?」
「いや、とりあえずさつきさんの
所に行こう…」
「はぁ…」
さつきはいつものように奥座敷で
台本を読んでいた
「さつきさん、ただいま戻りました」
あいらが、さつきの前に正座する
明仁もそれに習い横に並んで
正座した
それを見たさつきは少し残念そうな
顔で明仁を見ると
「おかえり、あいら」
とだけ言った
「さつきさん、この芝居小屋で
働く人たちの素性は確認しているんですか」
さつきの視線にもめげず明仁は聞いた
「素性?うちみたいな芝居小屋には
そんなもの必要かい?そいつが持ってる
能力や才能ややる気やそういうものが
あって、それがこの芝居小屋に見合うなら
うちに居て貰うだけさ…
まあ、新しい劇場で雇われるとなったら
そんな奴らの中にも素性を明かしたく
なくて辞めちまうだろうけどね」
「例えば…ミツさんとか?」
明仁が突然その名を出したのを
さつきもあいらも不思議に思った
「これはあくまで私の想像ですが…」
明仁はある仮説をさつきとあいらに話した
数時間後、この奥座敷にはさつき、あいら、
明仁とミツの4人が膝を付き合わせていた
「貴方は、山上充さんですね?」
明仁の問いにミツは観念したように
頭の手拭いとつけ髭を外した
「さすがに剃っちまった髭は
すぐには生えませんから…」
「さすが、ミツだ。いい腕をしてる」
さつきがミツの作ったつけ髭を褒める
「ありがとうございます。いや、
すみません。父の事ですよね。
あれは、確かに俺が殺したと言っても
間違いありません」
パーティー当日、ミツこと充は
衣装のスーツを借り、髭を剃り
身綺麗にして会場に出掛けた
さつきからそういうパーティーが
あると聞いていたからだった
父親が反対派か賛成派なんて
わからなかったが新しい劇場でも
この仕事がしたいと頼みに行ったのだ
父の一郎はパーティー会場の入口に
見えた息子の姿を確認すると
ホテルの支配人を呼び出し
同じフロアの一番小さい宴会場を
貸して貰えるように頼んだ
使い終わったら扉を開けておくからと言って
支配人は一郎の言葉に何も言わず
宴会場の扉を開けた
一郎は充の腕を掴みそのまま扉の開いている
宴会場へ入ると扉を閉めた
一郎と充は結局口論になった
興奮した一郎は発作を起こしその場で
うずくまってしまった
充は心臓の薬を探したが見つからなかった
一郎が苦しそうな声で
「上着のポケット…パーティー会場」
と言った
パーティー会場の椅子に上着を
かけたままで薬はその上着のポケットに
あるという事だと充はパーティー会場へ
戻ろうと宴会場をでた
その時、扉を閉めた
ロビーに出た充はパーティー会場に
向かった、向かうつもりだった
ロビーで呆然としているあいらを
見つけるまでは…
その時のあいらは別に充を見つけた
訳ではなかった、本当の母親の出現に
ショックを受け視線も定まらないまま
立ち尽くしていただけだった
しかし、充はあいらと目があったと
思ったのだ
「あいらに見られたと思って
怖くなってそのまま逃げてしまったん
です」
そのまま芝居小屋に戻ってきて
翌朝、仲間が読んでいた新聞から
父の一郎があのまま亡くなった事を
知ったが、ここでは自分の素性を
知るものはいない
劇場が完成する前に居なくなっても
素性が明らかになっては困る人間の
一人として扱われるだけだ
「いろいろ整理をつけたら自首する
つもりでした…でも、バレちゃったら
仕方ないですね、さつきさん、
これだけ世話になったのに仇で返す
みたいなことしちまって申し訳ない」
充は額を畳に擦りつけるように
土下座をした
「どんなに憎くても…親を見捨てちゃあ
いけないよ。ミツ」
さつきの言葉はどんな人情ものの芝居より
心に響くものだった