僕の世界はこの地下室だ。
幼い頃は祖父と過ごした地下室。
祖父が亡くなった今は僕一人の世界。
それでも、祖父がいて妹が産まれる
までは父がよく訪ねてくれた。
僕が地下室にいる理由。
それは、先祖から遺伝されるある病
のせいだ。
あまりにも特殊なその病は、
世間にほとんど知られることもなく
僕らの一族にのみ遺伝されていった。
祖父はその病の研究をずっとこの
地下室で続けていた。
僕も、それを引き継いで研究を
続けている。
病の名は通称「ヴァンパイア症候群」
症状は、本来体内で生成されるべき
血液がうまく作られないのだ。
血液を直接輸血するしかないこの病は
昔、まだ輸血技術がなかった頃から
あり、その当時は直接口から飲んだり
していたこともあり、発生元と言われて
いるドイツのヴァンパイア伝説の基に
なったとも言われている。
事実、血液のやり取りの際に
ごくまれに感染し、相手も
ヴァンパイア症候群になってしまう
こともあったそうだ。
ヴァンパイアが苦手とされるものに
ついても諸説はあるが
紫外線アレルギー、金属アレルギー
ニンニクアレルギー…などが
考えられる。
それに、心臓に杭を打たれて
いきている人間などいない。
現在、この病は赤十字団体の幹部に
身内が多い関係か、無償で一日に必要な
血液が提供されるシステムが確立されて
おり、僕も祖父も生きるのにさほど
苦労はなかった。
太陽を浴びられないのと、少し短命
なのを除いては…。
妹は、普通に産まれてきた。
僕より10歳下の妹が産まれて
地下室の僕は家族から忘れられて
いった。
祖父の代から仕えてくれていた
お手伝いさん以外、地下室には
誰も来なくなった。
…どのくらい時が流れただろう。
お手伝いさんが僕に言った。
「私も随分と歳をとりました。
あと何年お坊っちゃまのお世話が
出来るか…」
僕は、18歳になっていた。
変化は、突然訪れた。
その日のわが家は、少し賑やかだった。
妹の友達が数人、わが家に遊びに
来ていると…新しい本を持ってきた
お手伝いさんが教えてくれた。
僕は、その本をほとんど隙間のない
本棚に無理やり押し込んだ。
背後で扉の開く音がした。
「どうしたの?他に何か?」
お手伝いさんが戻ってきたと思い
僕はふりかえった。
そこには、可愛らしい少女が
立っていた。
「きみ、どうしてここに…」
僕が声をかけると少女は人差し指を
自分の唇にそっとあてて
「しーっ。いま、かくれんぼしているの」
と小さな声で言った。
僕の世界への侵入者は、閉じられた扉
に耳をあて外の様子を伺っていた。
バタバタという足音が、時々地下室の
前を行ったり来たりしていた。
その間、少女はじっとしていた。
暫くすると、外の世界に静寂が訪れた。
「もう、大丈夫。」
少女は、そういうと僕の方へ
歩いてきた。
僕は、突然の訪問者に戸惑い、本棚の
前から動けずにいた。
少女は、僕を品定めするように
上から下に視線を移した。
好奇心旺盛そうな大きく黒い瞳が
僕の瞳を見つめる。
「あなたは、王子さま?」
少女が、そう聞いた時。
「さくらー!」
「さくらちゃーん!」
妹と母の大きな声が聞こえた。
「行ったほうがいいよ…」
僕が言うと
「また、ここに来てもいい?」
少女が、言ったので僕は首を横に振って
「僕のことは、見なかったことにした
ほうがいいよ。僕は、ここの王子さま
じゃなくて、幽霊なんだ…」
と言った。
少女はふーん。と言って地下室から
出ていった。
それからまた、数年の月日が流れた。
お手伝いさんは、年齢的に
僕の世話は無理になり居なくなった。
地下室に新たに来るようになったのは
あの時の少女、「さくら」だった。
16歳になったさくらは、相変わらず
好奇心旺盛な大きな瞳をしていたが
あの頃のような光がどこか失われていた。
父が、新しいお手伝いさんだと紹介して
くれた。
他の使用人が、噂しているのを盗み聞くと
彼女の父親の事業が失敗し、多額の借金
を背負ってしまったため彼女が奉公に
出ることになったらしい。
さくらは、無口だった。
恐らく父から、話をするなと
言われているのだろう。
毎日黙々と身の回りの世話をして
いるだけだった。
そんな日々なのに、僕は
さくらといる時間がとても
居心地が良くなっていた。
僕は、長く触れなかった地下室の
扉を開けた。
「何を言ってるんだ…。お前、自分の
言ってる事がわかっているのか?」
父の言葉は、予想がついた。
僕が、さくらとの結婚を望んだのだから
当然だ。
「お前は、普通じゃないんだ。
結婚したって子供は作れない。
それに…」
「今だってさくらは、僕と同じ生活を
しています。僕の事を理解してくれる
彼女と生きたいと思うのは当然の事
だと思いますけどね。」
父は、それ以上何も言わなかった。
地下室に戻った僕は、さくらに
結婚の事を告げた。
するとさくらは、ずっと閉ざしていた
口を開いた。
「冗談は止めてください。
私は、この家に奉公に来ている
身分です。」
「僕の事、嫌いですか?」
僕が聞くとさくらは耳まで真っ赤に
なって答えた。
「ずっと…好きでした。
初めて会った時から。」
僕は、笑って答えた。
「僕は、あの時からずっと幽霊です。
幽霊の花嫁に身分は必要ありません。
僕の事が好きなら、僕の妻になって
ください。」
さくらは、はいと小さく答えた。
少し強引だったと今になっては
思うが、僕らの生活は特に変わりは
なかった。
さくらは身の回りの世話に加えて
僕の研究を手伝う事が増えたくらいで
あとはいままでどおりだった。
祖父の研究と僕の研究で、新たに
わかったことは、
女より男の方が感染して産まれてくる
確立が高いことと、やはり、代を
重ねたことにより病が徐々に軽く
なってきていることだ。
「つまり、子孫への影響は少なく
なっていくということ?」
さくらが聞いたので
僕は
「そういうことになるかな?」
と答えた。
すると、さくらは
「子供が欲しい…」
と言った。
さくらがどうしてそんなことを
言い出したのか最初は謎だったが
どうやら、妹が結婚し子供を
連れて里帰りしたのが原因らしい。
僕は、地下室から出ることはないが
彼女は僕の世話のために外に出る。
その時、妹とその子供に会ったのだろう。
僕としては、さくらが感染するリスク、
子供への感染リスクを考えると
とても受け入れられない考えだった。
だが、そんなとき祖父の若い頃の
日記が神のイタズラのように本棚の
裏から見つかった。
読んでみると祖父も僕と同じように
悩んでいたようだった。
祖母は、そんな祖父に覚悟はしていると
告げた。
祖母は、祖父との間に僕の父を産んで
亡くなった。祖父は、父が感染して
いないかずっと心配していたが、
感染が認められないと解ると父を
祖父の姉夫妻に預け、自分は
地下室に閉じ籠ることにした。
僕は、さくらに祖父の日記を見せた。
さくらは、
「私も覚悟は出来ています。」
と言った。
一年後、さくらは女の子を産んだ。
だが…さくらはヴァンパイア症候群に
感染した。
感染した身体では、娘にミルクは
あげられない。
さくらは、産まれたばかりの娘を
僕の妹夫妻に養女として育てて
欲しいと頼んだ。
妹夫妻は、暫く考えさせてくれと
言ったが数日後、僕たちの娘を
引き取りに地下室に表れた。
さくらの気持ちを考えると僕の心も
引き裂かれそうだった。
しかし、これが僕たちの娘にとって
一番の幸せの道なのだ。
「私は、あなたが居てくれれば
それだけでいいのです。」
さくらは、そういってその日を境に
子供の話をしなくなった。
僕らは、更なる研究のために
赤十字が用意した施設に移り住むことに
した。
二人とも感染してしまっては、
これまでのようにはいかないからだ。
施設には、同じ病の一族も数人いる。
それに、月に一度面会が許されて
いるから僕たちの娘にも会える。
病気のおじさん、おばさん。
娘は僕らをそう呼んだ。
来る度に僕らにお土産を持ってきて
くれた。
育てた花だったり、
僕らの似顔絵だったり
感染していない娘がすくすくと
育っていくのが嬉しく、
妹夫妻に大きな感謝をした。
そして、娘は…
施設の僕らの研究の助手を
していた男性と結婚することに
なった。
何年も施設に通っていたため
自然と仲良くなったと言っていた。
そして、僕らに結婚の報告に
来たとき…
「いままで見守ってくれてありがとう
お父さん、お母さん。」
と言った。
妹夫妻が、彼女が成人した時に
全てを話してくれたと娘は言った。
「あかりー。あかりー!」
階下から、母の声が聞こえた。
あかりは、読み進めていた祖父の自伝を
閉じ、姿見に自分を写した。
「いいぞ、社会人一年生。」
と呟き、階段をかけ降りた。