丑の時参り | 愚漢さんの独り言

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思いつくままに

 私の母方の祖父は、関東大震災で焼け跡を歩いている最中に、釘を踏み抜いて怪我をした。昔の人だから少々の怪我なら医者にも行かず放っておくことが多いのだが、そのうち傷からばい菌が入ったらしく激しく足が痛み出した。慌てて医者に行ったときは既に手遅れで、腐り始めた足は切断と言うことになった。それ以降祖父は松葉杖の生活になる。

 あるとき、祖父はなんの願掛けをしたか知らないが、近くの氏神神社にお百度参りを始めた。毎日せっせと通い、いよいよ最後の満願成就の日、いつものように境内の入り口から本堂に向かって歩き始めると、参道のど真ん中に大きな牛が横たわって道を塞いでいる。さて困ったと祖父は思ったが、さりとてこのまま引き返すわけにもいかない。不自由な足ではあったが、勇を鼓して思い切って跨いで後ろを振り返ると、先ほどまで横たわっていた牛の姿が何処にも見えなかったという。

 この話は、母方の祖母が母親に話したものを私が聞いたのだが、結論めいたことを言えば、<何ごとかを成そうとすれば必ず妨げるものが出てくる。それに怯むことなく初志を貫徹すれば物事は必ず成就する>という些か教訓めいた話として私は受け取っていた。

 ところが前回に引き続き『呪いと日本人』(小松和彦著)からの引用だが、<丑の時参り>の項で、「(前略)こうした作法によって人に見られることなく七日間、丑の時参りを行い、七日目の満願の夜、お参りを済ませて帰る途中に、丑の時だからであろう、黒い大きな牛が行く手に寝そべっている。それを恐れることなく乗り越えて帰ると、みごと呪いが成就するというわけである」と書かれてあった。呪いの文字を敢えて呪いと変えたのは、まさに<丑の時参り>が呪詛法であるからだ。これは江戸時代の庶民のあいだで広く行われたようで、呪い人形に五寸釘を打ち込む例の<あれ>である。

 まさか祖父が呪いを掛けに神社に出向いたとは思えないが、江戸時代に庶民の間に広まっていたと言うことは、その後も民間伝承として明治、大正と受け継がれていったものであろう。

 特に、牛が行く手を阻んだ、などという場面は祖母の語りと全く同じである。本来の意味は、呪いの成就であるのかもしれないが、

時を経るとともに換骨奪胎されて、むしろ人生訓として脚色されているようだ。いいとこ取りの派生的な伝承であるのかもしれない。勿論、そんな経緯などは露とも知らぬ祖母であったわけだから、こういう話が自然と受け入れられる下地が既に大正時代にはあったということだろう。

 私は30代の頃、折口信夫の民俗学に傾倒して随分と勉学したつもりだったが、こうやって目の前で素朴な繋がりを発見できると些か心躍るものがある。

 人生死ぬまで勉強、はどうやら本当のことのようだ。