私が「受容」と言う言葉を知ったのは、かれこれ40年も前のことだろうか。

 その頃、NHKのラジオ番組で、『子ども電話相談室』というのがあったが、同時に『おとなの電話相談室』というのもあって、私は時間があるときは、いつのその番組を聴いていた。恋愛や夫婦間の問題、また親子の問題など相談内容はさまざまなのだが、そのなかで相談に応じる精神科の先生が、よく「受容」という言葉を使うのに気づいた。文字通り「受け入れる」ということのようだが、その時は、その重みをなかなか実感としては理解できていなかった。

 私の30代は、恐らく日本では、ロジャーズの全盛時代であったようだ。心の病を抱える自分としては、心理学には興味があったので、当時は、ロジャーズのカウンセリングを学んだ。エンカウンターグループにも2泊3日でよく参加したものだ。

 ご存じのように、ロジャーズの3原則というのは「共感的理解」「無条件の肯定的関心」「自己一致」であり、これをベースにして(実はこのどれもが結構重い話なのだが)、相手の立場に立った傾聴を実現する、というのがロジャースのカウンセリングの特徴になる。そしてこの学びの中でもよく「受容」という言葉を耳にした。

 先にも書いたが、「受容」とは「受け入れる」ということ。こう書くとなんだか簡単なような気がするが(受け入れればいいんでしょ的)、自分の経験から言うと、実際はなかなかそう上手くは行かない。 

 まずは「自己受容」という話になるのだろうが、これは、「今のあるがままの自分をそっくりそのまま受け入れる」、ということになる。もう少し丁寧に言うと「良いところも悪いところも含めて、ありのままの自分を否定せずに認める態度」とも言える。ロジャースの三原則で言うと「無条件の肯定的関心」ということになろうか。

 ところが、人間というものは困ったもので、自分は正しいと思っているし、自分は善人だと思っている。そうであるからこそ、この厳しい現実を、人間としてやっていられる訳なのだが、この「あるがまま」ということに視点を移すと、これが少し面倒くさくなる。これをマインドフルネス的に心の奥を見つめていくという文脈で実践すると、だんだんと自分の腹黒さ、汚さ、いわゆる悪の部分が見えてくる。本当はこのことに気づくことだけでも大変な作業なのに(実際、気づかない人の方が多いのだが)、気づいてこれを受け入れろ、というわけだから、ますます大変な作業となる。人間、誰だって自分の悪をなかなか認めたくないのが本音だ。でもそれを受け入れていかないと、「受容」ということにはならない。

 ところで、私が人に「自己受容」のお話しするときには、よく<蝦蟇(がま)の油>の話を例えとして使っている、が、最近の若い人には少しも伝わらない。なに、それ?っていう感じ。それがとても残念なのだが…まあ、仕方ない。

 ということで、知らない人のために一応書いてみる。

 江戸時代の大道芸を頭に描いてほしい(が、描くこと自体無理なのかも)。一介の浪人者が刀を抜いて己の腕に切り傷をつける。勿論血が出るのだが、その傷口にこの<蝦蟇の油>を塗布するとたちまち血が止まるという話。その時の口上が、筑波山麓でしか捕獲できない「四六のガマ」と呼ばれるガマガエルから油を搾り取るのだという。常日頃、この「四六のガマ」は己の容貌は美形だと信じているのだが、これを周囲に鏡を張った箱に入れるてみると、あらららら、己の醜悪さにびっくり仰天、タラタラと脂汗を流すのだ。この汗を集めて、一定期間のあいだ煮つめてできたのがこの<蝦蟇の油>なのだ、というのが口上の主旨となる。

 これを人間に例えると、常日頃、自分は善人だと思っていたものの、ある日、心の鏡に映し出された自らの醜悪さに気づいて、びっくりもし恥じ入りもし、そして体中に脂汗が吹き出ると言うことになる。己の醜悪さを認めるということは決して生やさしいものではない。心に痛みを伴うものだ。だからその葛藤が脂汗となる。でもその脂汗は、己の醜悪さに気づいたという証なのだから、あとは受け入れるという作業を通して、自ずと傷口が癒やされることになるのですよ、と話すことにしている。

 よく質問で、「それは自己肯定感のことか」とか「自分を好きになると言うことか」と訊かれるが、私としては、その土台になるのが、「どんな自分でもまず受け入れる」という「自己受容」です、と言っている。これがベースです、と。

 もう少し詳しく言うと、「自己受容」は自分の無意識の世界まで立ち入らないと本来の「自己受容」にはならないのだ。

 もともと無意識の世界は、自分の意志では覗けない。さらには都合の悪いことは、自分でも知らぬうちに、自らを抑圧している事が多々あるので、更に覗けない。

 実は、抑圧する方が楽なのかもしれない。なぜって己の醜悪さを見なくていいから。でも抑圧するためのエネルギーには莫大な量を費やす。無意識だから本人はそのことに気づいていないが、実際は抑圧するだけで疲れている。だから抑えつけるためのエネルギーを解放し、人生、生きる方にエネルギーを振り向けた方が、どれほど有効活用ができるのではないか、と私は思うのだが…。

 試しに禅であれ、ヨガであれ、マインドフルネスであれ、実践することで無意識との通路の風通しは良くなる。抑圧の壁が取れるのだ。勿論その他にもさまざまな修練の方法はあるのだけど。

 こうして「自己受容」が深まると、温泉の効能書きではないが、見えてくるものがある。

・自分軸ができる。

・ストレス耐性が高まる

・レジリエンス(回復力)が高まる

・他者比較による不安が減る

・自らのうちに<内定な安全基地>が形成される

などなど。

 何を言っているのか分からない人もいるだろうが、要はものがよく見えるようになり心も落ち着くと言うことだ。

 言い方を変えると「健全な自我の確立」と言っても良い。

 但し、以上お話して、補足として最後に私は必ず付け加える言葉がある。

「受け入れることができないもの(こと)は、なにも無理に受け入れようとする必要はありません。但し受け入れることができないという自分には気づいておいてください」ということをお話して締めくくっています。