岡本かの子氏の作品に、『慈悲』という短い文章がある。
いたく感じるところがあったので、抜き書きしてみる。
「本当の慈悲とは、此処に本当のものを与えるに適当な事情を持つ人がある。その時、その人に適当な程ものを与える。それが本当の慈悲であります。」
「愛情ばかりで智慧の判断の伴わない慈悲は往々にしてまた利己主義の慈悲になります。折角、自分は善良な慈悲心でして居るつもりのことが、利己主義の慈悲心になっては残念です。」
そしてトルストイの作品をひとつの例としてあげています。内容は、
<吹雪の中でひとりのヴァイオリン弾きの老爺が立っているのを見て、常日頃、慈悲を心掛けて暮らしているその屋敷の主人が、乞食の老爺を屋敷内に招じ入れ、暖かい食べ物を与え、ストーブをドンドン焚いて老爺の身体を暖めてあげたのです。漸く雪も晴れ道も良くなったので、老爺は主人の家を辞してまた旅を続けようと思ったのですが、主人は強引に彼を引き留めます。可愛そうな音楽師を安楽に暮らさせようと思ったのです。が、ある夜、そのヴァイオリン弾きは無断で屋敷を抜け出し行方知らずとなったのです>
岡本かの子氏は続けて、
「老爺のヴァイオリン弾きには、主人の好意がむしろ迷惑だったのでしょう。主人の慈悲は彼にとってむしろ無くもがなの邪魔だったでしょう。それにもかかわらず、主人は自分が慈悲を行っていることに満足を感じて居たでしょう。自分の『志』を立てることばかり考えて居た主人は、それがために相手が、どんな不自由や迷惑を感じて居るかに気がつかなかったのです。つまり自己満足、利己主義の慈悲とはこういうことなのです」
「要するに本当の慈悲とは、相手の立場や本質を考え、自分の慈善的感情本位でない施行(ほどこし)に於いて本然の達成が遂げられるのです。」
という文章で締めくくっている。
氏の文書を読んで全くその通りと感銘を受けた次第。
以前、私のブログにも書いたことなのですが、15年前の『東日本大震災』に於いては、複数の避難所に<僧侶とカウンセラーは入室お断り>という張り紙が貼られたようです。
それがどういう意味であったのか、今あらためて問い直すことが必要でしょう。
仏教者も慈悲という言葉をよく口に出しますが、その本質をよく理解しないで安易に使用すると却って罪作りになるかもしれません。
この岡本かの子氏の『慈悲』という作品は、短い文章ではありますが、いろいろと考えさせられました。
