人生初の避難生活を経験しましたが…
避難先が一般的な学校の体育館ではなく、知人の2階建ての一軒家だったので、電気、ガス、水道のライフラインが全滅状態が2週間、継続しましたが体育館で避難生活した人たちに比べればプライベートな時間と空間は保つことができたと思います。
津波が浸水していないエリアのスーパーが品数と営業時間を限定で開店し始めた頃、山沿いの避難場所は、携帯電話が不通でしたが、釜石市内へ行くと携帯電話が使えるようになりました。
電話の着信履歴とメールの着信履歴を見てビックリしました。
連絡できる範囲内で知人、親戚へ無事であることを伝えました。
スーパーで買い物中に
ラグビークラブチームのメンバーから電話があり無事であることを伝えました。
ヘッドコーチにもメールしました。
クラブチームのメンバー からは、今、何が欲しいか
と聞かれ、2週間も風呂に入ってないので
風呂に入りたい…ヘッドコーチには、クラブチームに復帰します。
ウインドブレーカーなどの練習着が津波で流され車のトランクにあったスパイク以外、ラグビーグッズが無い

古着でいいので
くださいと伝えました。岩手県内でもガソリンが満タンに入れない時期にわざわざ北上市から釜石市まで迎えに来てくれて避難先でお世話になっている家主さんと母親と俺と4人で花巻の温泉へ行き、一泊しました。
温泉で体を洗う時に
頼んでないのに…
俺の背中をゴシゴシと流してくれて、涙が溢れて来たけど…
髪を洗う時にシャンプーと一緒に溢れ出た涙と鼻水をお湯で流しました。
4年ぶりに復帰したクラブチームの初練習に参加した日の朝。
ヘッドコーチが紙袋一杯にウインドブレーカー、ラグビーパンツ、ジャージなどの練習着を持って来てくれた。
被災後の温泉

被災後の練習着
世界にひとつだけの

のプレゼントでした

ヘッドコーチ以外のクラブチームの仲間にも私服と練習着を頂きました

あらためて…
人の優しさと温もりを
強く感じました

※⑤へ続きます。