数あるブログの中、
当ブログへお読み寄りいただきありがとうございます。
Instagramを含め、フォローやいいねはもちろん、
シェア、コメント、アクセスそのものも
しっかりと届いて、大きな大きな励みにさせていただいております!
ありがとうございます。
精進してまいりますね(*´ `)
さて今日は、
アメブロを久しぶりに(可能な範囲で)定期投稿を再開しているので、
私自身の事についてお話ししようかと…
CLOVER.ホームページ中の、カウンセラー紹介ページでもお話しているのですが
カウンセリング内でも、
このページを読みはしたけど、
実際はもっとこう…どうだったんですか?
と、聞かれることも多くてですね
この内容に含め、少しお話ししようかと…
あまりに重かったら…
いや重いな…(;°-°;)))
なので、引っ張られてしまいそうなら
すっ飛ばしてください^^;
離れて!危険よ~(((>_<)))

ということで、
本題ですが、
ご興味を持ってくださる方は、
紹介ページでつづっている、
幼少期、父のアルコール依存から起因した様々なこと…
と、書いていることについて、
想像を膨らませはするけれど、
いかほどのものだったかのか、聞けるのなら聞きたい…
そう感じてくださっているみたいです
ただ、
くわしく聞けもしないし、
どう聞いたらいいかわからないし、
自分と同じなのか、それともそうでもなかったのか、
質問に困っているようです(;^_^
そらそうですよね(笑)
その答えになるかは分かりませんが…
お伝えするならば、
私は御年50歳になるところですが、
現時点で人生の前半戦は、
とにかく苦しい!が大半を占めていたと思います
前半とは、単純計算で25歳ころまでですが、
25歳をきっかけに、ぱぁ~っと開けたわけではもちろんなく、
そのあたりから、「何か」を、「信じれるかも?」にシフトしたようには思っています

半分の25歳までが、あまりにぐちゃぐちゃだったので、
全部を語ろうとすると、紹介ページのように端折った感じになるのですが、
(それでも、なっっっっがいですよねあのページ(笑))
正直、話続けてしまえばいくらでも長くなってしまうので、
長文を避けるとすると、小分け…です
なので、そうですね
今回は、幼稚園あたりまでなのかな…
言える範囲内で…ですが…
お伝えしている通り、
私の父は、重度のアルコール依存症でした
現在は亡くなっています
知ったのは、30代になってから…
このあたりは、
いずれ、そこまで話がつながるときにまた話しますね
母の言葉を借りて言うところの、
父は
「すべてが初めから、うその塊だった」と…
虚言癖があったらしく、
同級生同士の交際からの結婚であったようなんですが、
自分は会社を持っている…などから始まっていたようです
もちろん、それらの嘘はすぐ明るみに出たようですが、
自分自身の身を立てられるわけではなかったことから、
母方の両親の車の整備会社を継ぐ形で生計を立てる結婚生活をスタートさせたようです
もうすでに、依存症の片鱗は始まっていたことから、
借金癖、アルコール癖、女性癖…
すべては悪化の一途をたどっていたようです
当時を思い出す、私の小さき日の記憶の限りでは、
それでも暗い毎日の繰り返しであったわけではなく、
例えば、当時のビデオ(当時昭和50年代初期の8mmやビデオ撮影 懐かしいですね)では、
もちろん、いざこざした日常をビデオ撮影するはずもなく、
笑っている家族の切り取りがそこにはあることを覚えています
今はもう見ることもかないませんが
ある意味、
とても幸せそうな…
でも、
そんな切り取り外のビデオに収まらない日常は、
お酒に酔いつぶれた父がトイレにこもり、自殺未遂
鍵がかかったままになっているので、緊迫した形相でトイレのドアをこじ開ける図、
なんとか開いたトイレの中が血だらけであったこと…
また違う日、
飛び降りようとする父を親族全員で絵本の「おおきなかぶ」のように引っ張り止める図
そんな父を今度こそ止める!というために集まった親族たちに、目を覚ませ!と怒りをぶつけられ、殴られる父
こうゆうことが頻発するため、
自宅の整備工場の前には、しょっちゅう、救急車やパトカーが集まっていました
揺れる赤いランプ、他人ごとではない自分のうち
サイレンの大きな音、
それらは、ほとんど夜に起こります
それだけに、ビデオに残るような楽しい短時間とのコントラストがあまりに異常とも言えました
今思うと…ですが、これらを、自分の目線として認識している期間が長かったように思います
すべて、自分の目線で認識していた
これを、客観的に、他人ごとのお家として起こっている目線で考えられるようになったのは、
それこそ、現時点での半生後半になり始めたあたりの事です
例えば、
「客観的目線からみた我が家」は、
ご近所で見たときに、
なんだか怖い、
近づきたくない、
関わりたくない、
で、あったでしょうし、
例えば、子供の親目線で考えたときには、
自分の子供とかかわらせたくない かもしれないし、
親が「あんな」お家、
子供が、私とのエピソードを家で話せば、何とも言えないそのご家庭でのコミュニケーションがそこにあったかもしれません
自分の子供は仲がいいけど、
親は起こっている事実を知っている
難しいですよね
というか、そらそうでしょうよね(-_-;)
当時のこどもの私には、自分がそんな好奇の目に晒されている自覚はありませんでしたし、
わからなかった
自分目線で、それは日常で、
下手したら、みんな、どんなお家もそんなもんくらいに認識していたと思います
また、
これは、昭和50年代のころの全般に言える傾向だったと思いますが、
教育は、当時の傾向そのものの、「折檻形」で、
叩く、
玄関の外に出して鍵をかけて、泣き叫んで謝り続けても中に入れない(反省するまで?反省したかは母のジャッジ次第)
外に荷物全てをぶちまける(片づけていない 反省していないなど)
それは、「愛ゆえ」だと、母自身が信じ込んでしまっている時代でした
一番多かったのは、外に出される…だったので、
当時、外で犬を飼っていたので、
寒いし、悲しい、寂しいので、
犬小屋に一緒に入って一緒に寝ていたことが多かったです
犬だけは味方してくれる…
父も母もそのような状態なので、
そんな状況で、
根本的に母の愛を信じておらず、
当時、本当に、この人は本当の母親ではないと思っていました
どこかに本当のお母さんがいると…
残念ながら本当の母親…という答えに毎回たどり着きましたが…
母の愛を強く求める一方で、
母の愛は全く信じていない
怖い
これは、父なり母なり、は違うとしても、
カウンセリングをしていても、この世代までの多くの方がもらってしまった感がありますね
この世代から、折檻形ではない教育方針も出てき始めていたので、
もちろんそうでない方も多々いたのでしょうが、
我が家は残念ながら、今でいう「虐待型」です
無自覚の…
母本人は、母親の強い愛情を持っていると本気で思っていて、
母の言葉を借りると、
「泣きながら叩いていた」のだと…
「本当は怒らなくてもいいと思っているのに、脳が『ここは怒れ!』とサインを出してくるから冷静に怒っている」んだと…
それは、私が人生の後半戦に入った30代、40代でも(母は60代くらいの時ということになりますね)言っていたことなので、
信念になってしまっている部分だったんでしょうね
それに、母が、これらのことを、自己否定してしまえば、もう、アイデンティティがきっと崩れ落ちてしまう…
これが『間違い』であったわけにはいかない面もあるのだと思います
された方はたまったものではありませんでしたが、
母にも母の、自分を成立させるための信念を崩すわけには今でもいかないのだと思います
母を許したい
認めたい
母は母でとても大変で、愛があるのに辛かったんだ…
だんだん、そのようにシフトする季節も通ることにもなるのですが、
初めから土台がおかしかったのに、なんとかそれを見ないようにしていたのだと思います
結果、私自身が、自分の不安定を認めない行為だったのかもしれません
ただ、
そんな父、母、を取り囲む家庭であったため、
私の情緒は、とにかく『おかしかった』と思います
楽しんでいる次の瞬間泣きますし、
見えない黒い闇が包み込んでくるような恐怖を感じていました
急に、どこかにいなくなりたくなり、お友達と遊んでいても、どこかへいってしまったり…
↑言葉でいうと、そこそこ普通のようにも聞こえますかね?(・_・;
うまくは言えませんが、
子供らしい天真爛漫のそれとは違った、闇をまとったそれがある感じです
きゃっきゃしたピンクや黄色い感じではなく、
黒や灰色やどどめ色の中にそれがある感じ
でも、表面から見たら、きっと見落としてしまう…
笑えもするし、
遊びもしますし、
コミュニケーションもとれるのだから…
でも、どこかおかしい…
そんな感じです
うわ…
この時点でかなりの長文ですね(。ŏ﹏ŏ)
今宵はここまでにしておきます
話しておいてなんですが、
これらは、私のダークな部分ではあります
ただね、
なんでこれ、出してるのかというと、
もし、このような事態に晒されている
または、
そこまでひどくはないけれど、そんな気持ちになってしまっている
誰にも助けられない
抜け出せない
そう思っているのであれば、
だいじょうぶだよ!と、伝えたいから!
先に言っておきますが、
かなり凄惨な幼少期や思春期青年期前半であったと思いますが、
今、そこそこ幸せだと思います(˶ᵔ ᵕ ᵔ˶)
たぶんね(笑)
自信ないけど(^_^;)
そりゃね、
億万長者ではありませんし、
あらゆる欲したものすべてを持っている!とも思いません
でも、私が一番、喉から手が飛び出してくるほど欲しかったものは、
穏やかな日常 でした
当時、よく言葉として言っていたのは
『普通の生活』
普通ってなんだ!
って話ですし、
それを言い始めたら深いのでしょうが、
要は、脅かされない日常…ってことだったんだと思います
毎日、
朝、食べれて、
お昼を食べれて、
夜に寝ることができる
病気でもないのに誰かが死にかけてないし、
狙われもしない
毎日誰かを失う不安に泣いていない
絆が壊れることが前提ではない
そんな幸せを、今は手に入れています
私のもとにたどり着いてくれている人たちは、
表現できないような不安に自分を絡めとられている人がとっても多いと思います
私がそうだったから、引き合っているのかもしれませんね
でも、今、私にとって、それらは過去であって、
手を広げてくれている未来の自分に向かってずっと進み続けています
だいじょうぶだよ!
安心してていい!
広げてくれている手は、私の手です
なんて暗いこと話しているようなんですが、
話しているのは、そこから遠いところにたどり着いている今の私です(*´꒳`*)
ある意味、安心しててくださいね~
(暗い内容書いておいてなんなんですがね^^;)
ではまた、続く…ってことで…
だいじょうぶ!
進んだ道はあってるよ!🍀
CLOVER.
________
心を遣いすぎて疲れてしまうあなたへ
何度も傷ついてしまう悩みや
本音が言えない苦しさをかたづけて
「自分を大事にする生き方」、一緒に考えませんか?
CLOVER.(クローバー)は、
自分と向き合い、
人生を立て直したいあなたのための
女性専用カウンセリングルームです
CLOVER.ホームページ
本気で立て直したいあなたを全力でサポートしています
いつでもご連絡くださいね🍀
看板犬 葉月とあなたをお待ちしております