<パリオリンピック(五輪):柔道>◇28日(日本時間29日)◇男子66キロ級決勝◇シャンドマルス・アリーナ

兄の意地だ。21年東京五輪金メダルの阿部一二三(26=パーク24)が、日本柔道8人目となる五輪2連覇を達成した。決勝でビリアン・リマ(ブラジル)に一本勝ちした。

スタンドで見守った妹、詩の目には涙があふれた。

兄も涙をこらえるように、ぐっと奥歯をかみしめた。

「いやもう最高の思いです。この3年東京終わってから苦しい思い、しんどい思いばかりだった。妹が負けてしまって、僕自身もすごくくやしい一日だった」とした。

初戦の2回戦を前に、女子52キロ級の妹詩(24=パーク24)が敗退する波乱に見舞われたが、決勝でブラジル選手を破った。史上初「きょうだい2連覇」こそ逃したが、自身が目指してきた前人未到の4連覇の折り返し地点には到達した。

初戦の約40分前に、詩が敗退。号泣が会場に響き渡る悲痛で難しい大会となった。兄妹で国際大会に出始めてからも経験のない事態となったが、兄は勝ち続ける。まだ対面はしていないといい、勝ち切って、ねぎらうつもりだ。初戦からベンツェ・ポングラツ(ハンガリー)、ヌラリ・エモマリ(タジキスタン)、デニス・ビエル(モルドバ)という難敵を連破。準決勝では、あわやポイントを取られそうになる場面もあったが、延長戦の末、大外刈りで技ありを奪って勝ち切った。

チーム阿部にとっては想定外があったものの、初の柔道4連覇を目指す男には通過点でしかない。世界選手権は、詩とともに昨年2連覇(ともに4度目)。死線をくぐり抜けてきたライバル丸山城志郎との直接対決を5連勝とし、このパリ代表に内定していた。通算4度目の世界選手権Vも、山下泰裕らの日本男子最多優勝記録に並んでいた。

伝説になった20年12月。東京五輪代表の座を懸けて日本初のワンマッチで丸山と座を争った。「令和の巌流島決戦」と注目された24分間を制した阿部は、自国で57年ぶり開催の五輪で金メダル。東京五輪以降どころか19年8月の世界選手権を最後に負けがない。全て白星でパリを迎えている。

慢心もない。最後の実戦となった3月のグランドスラム(GS)アンタルヤ大会で完勝しても「結果に満足はしていないし、喜びもそこまでない。やっぱり、パリで金メダルを取らないと。(東京五輪から負けなしに)こんなにいいことはないと思うけど、パリで最後の最後に崩れたら絶対ダメだと思うんで、気を抜かず。パリで勝たないと、やってきたこと全ての意味もなくなる。やっぱり五輪が全てだと思ってるんで」。死角はない。

「もっと日本柔道を引っ張っていければ。日本柔道と言えば阿部一二三、と言われるような存在になっていきたい」。妹の分まで。ともに19年を最後に無敗を続けてきただけに、一切の油断は排除されていた。重圧にもなり得る逆境だったが、兄は、頼もしかった。

◆阿部一二三(あべ・ひふみ)1997年(平9)8月9日、神戸市生まれ。「一歩ずつ」の願いで命名された。6歳で柔道を始め、神戸生田中2年時に初の日本一。兵庫・神港学園高2年時の14年、史上最年少の17歳2カ月で講道館杯を制した。同年の南京ユース五輪金メダル。21年東京五輪金メダル。世界選手権は17〜18年、22〜23年と2連覇2度。右組み。得意技は背負い投げ。尊敬する人は野村忠宏。好物は焼き肉。家族は両親、兄、妹。167センチ、66キロ。血液型O。