村史でつなぐ過去と未来――。2011年3月12日に長野県栄村を最大震度6強の揺れが襲った県北部地震から12日で10年。住宅694棟が損壊して村民の8割が避難生活を強いられ、3人が災害関連死するなど大きな被害を受けた。村はこの地震を含めた歴史や暮らしを後世に残そうと、5年がかりで村史を編さんしており、年内の村民配布を目指す。編さんメンバーは「地震で傷付いたが、復興を遂げた。未来への礎にしてもらえたら」と願う。

 栄村は1956年、旧堺村と旧水内村が合併して誕生した。人口約1700人。豪雪地帯として知られる。

 地震当時は村教育長だった宮川幹雄村長が「村制60周年に向けて村史を」と編さんを目指していたが、地震の混乱で立ち消えになっていた。全国から10億円を超える義援金が寄せられるなど支援もあって復興が進み、かつての日常を取り戻しつつあった17年、ようやく村役場に「村史編さん室」を設置した。

 編さん主任を務める郷土史研究家の樋口和雄さん(70)は「旧2村の村史はあったが、合併後の村史はまだない。歴史研究は日々進展し、変化している。地震の復興の歩みや、新たな史実を伝えるものとして必要だった」と意義を強調する。

 「歴史編」「自然編」の計2冊で全800ページを予定。手に取って読んでもらえるようビジュアル重視のフルカラーにする。執筆者は各分野から選んだ32人。栄村を舞台に平安から戦国時代までの武家を描いた「市河文書」(国指定重要文化財)や村内の遺跡などの最新の研究成果を紹介する。村民からは、往時の暮らしぶりが生き生きとよみがえる古文書を3万点以上提供してもらい、役立てた。

 地震を担当したのは、被災当時に村総務課の防災担当として最前線で指揮を執った保坂順一さん(64)だ。

 自身も被災しながらも村民のために昼夜を問わず働く消防団員が「仕事に行けないから解雇通告を受けた」「余震の恐れがあるのに家にい続けるお年寄りを避難所に連れていこうとしたが『ここで死ぬから構わんでくれ』と言われた」と憂える姿が今も忘れられない。「家に薬を取りに帰りたい」など住民から要望が相次ぐ中、「道路は通行止めで帰宅は難しい。何もしてあげられない」などと悩み、精神を病んだ村職員の姿もよみがえる。

 村職員も被災したが、村民のためにほぼ徹夜で働き続けた。毛布は避難所に優先的に届けたため、保坂さんはスキーウエアを着て役場の床で眠ったことなど、さまざまなことを思い出しながら執筆に励んだ。「村史には被災状況や復興に向けてのことだけでなく、当時の切なかった思いや、多くの人から支援してもらった感謝の気持ちなど、村民の心の機微を映し出すものに仕上げたい」と地震の章には10ページを割いた。

 樋口さんは「『あの時は大変だったな、でもあの時があるから今の俺たちがあるんだな』と思ってもらえたらうれしい。先祖が残した文化遺産や人と人のつながりの深さ、金では買えないものがこの村にはある。受け継いでもらえるものを作らなきゃな」。「3・12」の記録を残す編集作業は大詰めを迎える。