すっごく久しぶりの更新。


今、エキサイトで「しりとりエッセイ」というタイトルでブログを書いています。良かったらのぞいてみてください。


こう、読み返してみたら、何だか昔の自分が好きになりました。振られてからだいぶひねくれたと思います。今の自分。


すっかり忘れようと思ってもダメでした。今でもあの子のことが好きです。当時聞いていた曲をかけては感傷にひたります。


好きだ。けど、もう会いにいってはダメなんだろう。それは法則だから。会うは別れの始めなり―といいます。離れていってしまったものを追いかけるのはとても大変だろうし、なにより自分にとって良くないと思うのです。


でも、好きだ。街を歩いていると、つい雑踏のなか、キミを探してしまいます。


僕は元気です。あげた手紙は捨ててくださいね。恥ずかしいから。

冷たすぎる朝に、眩し過ぎる日差し。

熱すぎる目覚めのコーヒーと、生焼けのハムエッグ。


いつだって、朝は虚しく感じるのが何なのか、よく知っているからたちが悪い。

諦めきれない未練のわけも知っている。痛すぎるからね。


誰かがどこかで落としていった悲しみを踏みつけてしまったから。

僕にはもう幸せが訪れないじゃないかって心配して明け方眠る。


コードに繋がれた記憶に願をかけて、夢をみた。

そう信じていたい。そうだったと。

ぬるいぬるい感触に包まれていたいと思う。


また朝がくるまで。冷たい朝がくるまで。

「愛してる。僕はこれから先、君以上の人に出会うことは無い気がするんだ。結婚してくれないか」


どんなクサイ台詞も、映画やドラマの中なら許されるのはなぜだろうか。

現実の恋愛においてもクサイ台詞はしばしば登場し、言えばナルシストだの、映画の見過ぎだの言われて振られる人も少なくない。


そもそも、クサイ台詞なんて無いだろと、僕は言いたい。

好きという感情を相手に伝えるには言葉や態度が一番容易い。

ただ単に「好き。付き合ってくれ」じゃ、言葉を知っている人間としてのレベルが知れる。多くの言葉を得てきたのだから、どう好きなのか、どのくらい好きなのかを表現すれば、もっと相手に伝わると思うからこそ、いわゆる、クサイ台詞が生まれるのだろう。

だから、そういうのは全然クサくはない。クサイと感じる人は、恋をしたことが無いのか、ひねくれモノだとか、愛に飢えた心貧しい人とかその類に違いない。


言葉のオブラードに包んで愛のメッセージを好きなあの人へ伝えてください。

「甘~い」言葉で、時にはクールに。





お年玉は今年が最後だという。

そのなけなしのお年玉を今日使ってしまった。


コート ¥23000


MP3プレイヤーと迷ったすえ、あまり防寒性を期待できない洒落たコートを買ってしまいました。

もう手元には数千円を残し、お年玉は消えました。

何故か少し後悔。そして、虚無感。


改めて気づきました。

僕は、お金があればあるだけ使いきってしまうけど、無ければ無いで生活できることを。


ここ半年はまさに「無い」生活でしたが、特に困りませんでした。


・基本一日一食。

・「奢る」と言う友人には尻尾を振ってついてゆく。

・10円の重みを痛感。


貧乏は貧乏で楽しかった。

正月を迎え、「富豪」になった(一時的に)僕は、瞬く間に散財した。

これが僕なのだ。

金あれば使う、なくても平気。

愚か者とはこのことを言うのだろうと思う。


今年は何が起こってくれるのだろう。



今日は、人が一年を振り返る日。


楽しいこと、辛いこと、嬉しいこと、悲しいこと。


そんなことは毎年の様に訪れ、思い出す頃には「懐かしい」という味付けがなされ、胸に仕舞っておく人もいれば、或いは笑って語る人もいるだろう。


楽しいこと、辛いこと、嬉しいこと、悲しいことの比率は差があるようで、実は無いんじゃないかと思う。

どれも表裏一体だ。そして、いつ訪れるか分からない。

些細な悲しみに、些細な幸せだったり、砂粒みたいに風に吹かれてゆく感情と、嵐のように感じる辛いことや、四季を問わずやってくる春の陽気の気分。


今年が良い年であったとか、悪い年だったとか、そんなものは客観に任せておくべきだ。

あくまで主観は、一年を生きれたことに幸せを感じつつ年を越して欲しい。


平成18年(2006年)、僕は就職するのだろうか。楽しみだ。

家族は田舎へ行った。


僕は残った。


何だか一人暮らししているみたいでワクワクした気分だ。


普段は、狭いマンションの一室に6人も収容されている。4人兄妹、親2人の構成員。


今は一人。音楽をジャンジャンかけて、やりたい放題。


だから、毎年年末は好きだ。

次に会ったのは、一週間後の日曜日でした。それまでメールのやり取りはありません。

なぜなら、わざわざメールで伝えるような事は無かったからです。(この理由は冷めてますね)

しかし、本当は毎日でもメールがしたかったのですが、ネタが無いのに加えて、あの子(Hさん)は、しつこいのは嫌いだと言っていたので控えていました。

今考えると、逃げ腰だなーと思います。好きならばメールしてみれば良いのに。それで反応を見てから、送るのを控えるなりするなり出来たはずです。打算的だった自分に少し後悔。


それで、日曜会いました。家の近くの大学(初めてHさんと会った大学)の文化祭に誘いました。

その日の昼頃、たまたまメールを送り、ついでにとダメもとで誘ってみたのですが、突然の誘いながらも応じてくれました。

憂鬱な午後は一気に晴れやかになりました。あのときの舞い上がりは例えるなら、宝くじで一億当たった感じでしょうか。

とにかく、それは予想外の展開だったので、急いで着替え整髪し、いそいそと会場へ向かいました。

僕は約束の時間より少し早く着き、Hさんは5分ほど遅れてきました。でも、その待っている5分がまた何とも言いがたいのです。待ち遠しいやら、何やらで。


「ゴメン、ゴメン!」と言いつつやって来たHさんに、笑顔をつくろうとするも、緊張のあまりまたポーカーフェイスで「いや、気にしないで」と言う僕。

キャンパスからはすでにバンドの演奏が響き渡り、話題は演奏されている曲当てでした。

どこで何がやっているのか分からないので、パンフレットを貰いましたが、非道い。高校の文化祭じゃないんだから、もっとましな出し物しろよと、そう思いました。Hさんは冷静に「まあ、こんなもんでしょ」とあっさりしたものでした。


あまりにつまらなかったので、僕らはキャンパスを出て、600mほど先のビリヤード場へと行きました。

バッティングもですが、ビリヤードも何故か上手いのです、Hさんは。僕も決してビリヤードは下手ではないのに、比較するとたいしたことなく見えてしまうのです。

一時間ほどビリヤードをし、近くのファミレスで食事をとりました。


食事を終え、外に出るとすごく寒かったです。季節はすでに秋深まっていて、7時にもなると吹く風は身に凍みました。

帰り道は、バイトで初めてHさんに会った時、一緒に帰ったルート。


別れ際、横浜へ行ったとき買えなかった、外国製の洗剤(Hさんは匂いが良いと気に入っていたが、荷物になるので購入を断念した)をプレゼントしました。

この洗剤は近くの雑貨屋にも売っていて、見つけたので買ったのですが、実は間違えて違う洗剤をチョイスしていました。当然匂いも違います。

渡すときに、指摘されなければ気づかなかったでしょう。

でも、「ありがとう。わざわざスマンね~」といって笑顔で貰ってくれたので、終わりよければ全てよしです。


でも、やっぱりミスはミス。よりによって好きな子へプレゼントするものを間違えようとは・・・。英語が読めればミスはしなかったのに。




この日、電車で5駅先にある結構大きな公園へ、来週コスモスを見に行こうと約束しました。行って見たら、まあ予想だにしない展開が・・・・。それは次の未練タラタラで書きたいと思います。



池袋は新文芸座にて『マルチュク青春通り』『マラソン』の韓国映画二本立てをみてきた。


韓国の人気俳優クォン・サンウ主演の『マルチュク青春通り』は熱い青春映画。真面目な主人公が学校や恋を通して成長していく姿を、軍事政権下の学校の批判を込めて描いている。


主演がクォン・サンウとだけあって、観客にオバサン達が多かった。すごく。

マナーが悪いオバサン二人組みが、不幸にも僕の二つ隣に座っていた。上映中に喋るし、マナーの悪さが目に付いた。

なにより、ムカっときたのが、主人公が「韓国の学校、クソ喰らえ!」と言う、この映画のクライマックスともいえるシーンで、「笑っていた」事。アハハハって笑っていた。笑うシーンじゃないだろ。それは良いとしても、声出すんじゃない。

オバちゃん達には腹が立ったが、映画自体は面白かった。クォン・サンウの顔が従兄に似ていて親近感を持った。


『マラソン』の主演はチョ・スンウ。『ラブストーリー』の主役も演じた。

実話を元に作られた映画で、自閉症の子供をとり上げた作品。

走ることが大好きな主人公は自閉症ながらも、母とともにマラソンの練習に励み、大きな大会を目指すまでを様々な人物を交えて描く。


感動の作品には違いないと思うけれど、ストーリーが少しお座成り。今となっては有り触れた「感動モノ」という感じがした。でも、チョ・スンウの自閉症の役は素晴らしい演技だった。『ラブストーリー』の時とはまったく違う顔を見せてくれた。(少し、草なぎ剛に似ている気がする)


あらためて、韓国映画のすごさを実感した二本立てだった。


でも、21歳の誕生日に一人で青春映画って・・・、まだ青春は終わっていない気がした。

さよなら20歳。


また始まってしまったこの日記。失恋の過程を書き綴る未練タラタラな日記です。

恋が素敵なモノであるという反面、悲しみや苦しみがあると、そう痛いくらい分かった半年でした。

前回は告白して、「ともだちから」と言われ舞い上がったところで終わっていますので、今回はそこから話して行きたいと思います。

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「友達から」と言われ(メールで)、返事が来て嬉しい反面、複雑な気持ちでした。

なにしろ、お互いどこかぎこちない感じになってしまったからです。


告白により、前とは意味が違った付き合いになったことは確かで、それがマイナスに働いたといえばそうではない。

言わなければもっと苦しんだでしょうし、後悔もしたはずだからです。タイミングが悪かったということはあるかもしれませんが・・・。


とにかく近々遊びに行こうと約束し、その二週間後、横浜へ行きました。


最初会ったときに、なんて声掛ければいいか悩んみましたが、普通に「おう」と言いました(言ってしまった)。

告白した後で初めて会うわけですから、そのことについて多少話し合うべきだったんでしょうが、結局、その日は話せず仕舞いだったのです。


でも、デート自体はいい感じでした。今までの中で一番の出来だと思ってます。

ウインドウショッピングしたり、ジェットコースターに乗ったり、お化け屋敷入ったりと「THE・デート」と呼べるような模範的なデートでした。話も弾みましたし。

今思い返しても、ホントに夢のような一日でした。


ただ、ぎこちなさはそれ以後もついて回るのです。告白したときに、恋人としてみて欲しいと僕は言ったわけですから、見方が変わればそうなるものなのかもしれません。


僕は、あの子に会う度に自分が少しずつ変わって行くのが分かりました。

それはメンタルな部分での事ですが、強くなる弱くなるということでもなく、キャパシティーが広がるような感じでしょうか。世界が広がる感じという表現でも合っていると思います。



横浜。恋の楽しいところだけの思い出が詰まった街。今は悲しい、楽しかったということが。


クリスマス断られようとは、このとき思ってもみませんでした。

静かに更けて行った25日クリスマス。






世間のクリスマス騒ぎに、さる私的事情から少しイラっときている24日真夜中。


さる事情とは好きな子にクリスマスを断られたという悲劇です。

悲劇とは回避できないから悲劇なのだそうです。

僕に回避することは出来なかった。そう思っております。


クリスマス。イエス・キリストの生誕を祝う、キリスト教の行事。

ユダヤ教からすれば、とんでもない行事。イスラム教からすれば、愚かな行事。

クリスマス。


ただ僕は好きな人とあのクリスマスムードを、あのイルミネーションを楽しみたかったのです。

すごくキレイだったでしょう。

逆に、男とそのイルミネーションの光を見たら、悲しくて一気に、「負」の光線となるでしょう。


なんか未練タラタラですね。

未練タラタラ?未練タラタラ恋日記?(笑)って実はあれ、恥ずかしい上に、涙なしでは書けません。

でもまた書いてみようかなーと、まあ、超プライベートなことですが書いていこうと、思います。


昔書いた未練タラタラ恋日記もまた載せときます・・・。

あの子がこのブログ見てたらどうしよう。