21世紀になっても戦争はなくならなかった。

人間が生きていく中で闘争がなくならないことからして当然のことです。

人間の進歩

理性の支配

そのようなものが人間の闘争心には何ら影響しないことはウクライナとロシアの間の戦争を見てもわかることです。

失われた生命は決して回帰しません。

かけがいのない生命って本当のことです。

世界に繰り返出現する王でも皇帝でも指導者でも独裁者でもいつももっともらしくほざくわけです。

残念ながら。

どんなに楽しく生きてゆこうとしても、その姿を憎んだり妬んだり、害意を持って立ち塞がる。

そんなことはあるのです。

自分を守るもの

勉強でも社会的な地位でも資本でも、そして自らの牙でも自衛する用意をしなければ自分の身が危ない。

もしも日本が戦争に巻き込まれるとしたら。

都市部へのミサイルの雨が降り注ぐことから始まります。

日本周辺に3カ国は核攻撃できるのです。

ウクライナ戦争でもはっきりしています。

むしろ日本に害意を持つ存在が都市部を攻撃しない戦略を考えるならよほどのへっぽこです。

第二次世界大戦の日本

都市部への空襲

船舶航路への機雷投下

潜水艦による通商破壊。

昭和20年8月の終戦は日本の物流や経済や産業が動かないくらいの打撃を受けていたことが関係しています。

瀬戸内海でさえ船の往来が困難なほど機雷投下されていました。

アメリカによるとこれは

飢餓作戦

このあとにオリンノック作戦とダウンフォール作戦という1946年3月くらいに発動予定の日本への上陸作戦が計画されていました。

犠牲者と弔う。

大切なことです。

その時にはご冥福をお祈りしますという他はありません。

でもお祈りは、原爆の光に焼かれた方々の苦痛を、なかったことにはできません。

苦しみながら命を摘まれた人の無念を贖うことはできません。

ここにひとつ 気づきます。

お祈りと絶望は

同じところにあるのではないかと


ヒロシマ 消えたかぞくのあしあと

より。

この子どもも猫さんも回帰できない。

そんな魂がまだまだー


お祈りでは何も救えない

お祈りが明日を開くきっかけになるなら

行動なり考えにつながるなら

何十倍も価値があるでしょうね。