ちょっとマイナーな戦国大名の世界史編
今回は現在の長野県諏訪市にある
諏訪大社最高位の神官。大祝を中心に
武士団化したといわれている諏訪一族です。
有名な武将としては
諏訪頼重、諏訪勝頼(後の武田勝頼)等が挙げられます
~成り立ち~
現在の諏訪湖周辺を治める諏訪家の成り立ちは
伝承によると、現在諏訪大社に祀られている諏訪明神が
8歳の男児に自分の装束を着せつけた後に
「我に体なし、祝を以て体とす」と告げて
自分の身代わり(神体)として認定した。
この少年はやがて守屋山麓に社壇(後の上社)を構えて
上社大祝を務める神氏(諏訪氏)の始祖となったと言われています。
(所説あり)
『上社大祝家・惣領家の争い』
諏訪社には二社四宮、上社と下社があり
それぞれに大祝(諏訪大明神の依り代)の
役職があるが、南北朝時代に軍事的な緊張が高まり
宗教的な力を持つ上社大祝家と政治的な力を持つ惣領家
に分かれたと言われています。
そして文明15年(1483年)両社の抗争が高まり
ついには上社大祝家の大祝継満が高遠へ追われ
惣領家の諏訪頼満が大祝に就任。惣領家に権力が集中し
諏訪地域を治め、武士団化。戦国大名になっていったと言われています。
今も現存する諏訪大社では軍神である諏訪大明神が祀られており
源頼朝が神馬を奉納していたことや
武田信玄が戦勝祈願や武運長久の祈祷を行い
戦場では諏訪法性兜を身につけ諏訪明神旗を本陣に立てる等
戦国最大の軍事力を誇る武田信玄でさえも諏訪大社への
信仰があった事がうかがえます。
諏訪明神は古くは風・水の守護神で五穀豊穣を祈る神。
現在は生命の根源・生活の源を守る神として祀られています。
諏訪大社に立ち寄る際にはこういった歴史を
思い浮かべながら参拝するとまた違った顔も見られるんじゃないでしょうか
写真は諏訪に現存する高島城正門(天守閣は復元)
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