ちょっとマイナーな戦国大名の戦国史編
諏訪一族~成り立ち~はこちら
~隆盛~
『上社と下社の対立』
鎌倉幕府滅亡後、南朝方だった諏訪社でしたが、
下社がいち早く室町幕府に帰順して以来、上社と下社の対立が深まっていました。
文安6年(1449年)
上社と信濃守護である府中小笠原氏を後ろ盾とした下社連合軍との争いが始まりました。
連合軍との争いは上社が勝利するも、上社と下社の関係はさらに悪化することになります。
そして永正15年(1518年)
諏訪惣領家頼満は諏訪家を統一させると宗教的な力と政治的な力を手中に収め、
文安6年(1449年)から続く、
下社との対立を下社大祝である金刺氏を打ち滅ぼし、上社・下社共に統一。領主として諏訪地方を支配することになりました。
『武田家との争いと婚儀』
享禄元年(1528年)や享禄(1531年)には
領土に進行してきた甲斐守護の武田信虎(武田信玄の父)と勢力差があるにもかかわらず(現在の諏訪市と山梨県の戦いの様なイメージ)互角に戦い、敵対関係が続きますが、天文4年(1535年)諏訪頼満と武田信虎の和睦が成立。
その5年後天文9年(1540年)。武田信虎の娘、禰々が諏訪頼満の孫であり諏訪惣領家を継いだ頼重に嫁ぐ事で、両家は姻戚関係となり天文11年(1542年)武田家が突如諏訪へ侵攻してくるまでの間諏訪・武田両家は安定した時期を迎えるのです。
諏訪に現存する高島城ではこのような戦国時代の資料が展示されており、天守閣では諏訪を一望することもできるので諏訪へお立ち寄りの際は高島城へ行ってみてはいかがでしょうか?