うちは夫の帰りが遅いので、

普段は息子と二人でご飯を食べることが多いです。

 

食事ができあがるのを待っている間、

息子はテレビ番組や録画しておいたアニメを見ながら待っている。

こんな感じで

 

その延長で、そのまま一緒にテレビを見ながら食べていたのだけど、

それをやめました。

 

 

きっかけは、スマホでたまたまみかけた、お坊さんのお片付けのはなし。

 

意識してそこにしまう(片づける)

 

ただ片付けるのではなく

この引き出しに、まっすぐにしまった

ここに綺麗に揃えて戻した

(ただしまうだけでなく、

この状態に揃える、綺麗にまっすぐ、など細かく決まりがあるんですって)

 

と、意識をそこにむけてするのだそう。

 

 

それを読んで

今まで「ご飯を食べる」ことに意識をむけていなかったなあ。。。と

 

 

食材の味、中身、香りを味わう。

外ではしているのに、家では忘れてた。

 

テレビを見ながらの「ながら食べ」じゃ、

意識はテレビの内容にむいているってことだものね。

 

これじゃ、ただ食べているだけ。

栄養も美味しさも、身体がしっかり感じられない。

 

 

どんなに、身体のために、、と

調味料や食材に気を使ったって、、、ねえ。

私の体に、そして、母として息子の体にごめんなさいだったわ。

 

それに気づいたとき

ふと、従兄弟の家を思い出したの。

 

叔父は今でいうクリエイティブなタイプだったのかな、

 

今ほど写真や画像加工が豊富でない時代から、

家族で仮装して撮った写真に噴き出しや画像処理をして

おもしろい年賀状を毎年送ってきたり、

家のあちこちをDIYで個性的かつ住みやすくしちゃうような人だった。

 

 

そんな、従兄弟の家では、食事中はテレビは禁止。

そのかわりに、ジャズが流れていたの。

(そのために、叔父はリビングにすごいスピーカーをつけてた。。ええ、DIYで)

 

食事のあと、ジャズに耳を傾けながら

ウイスキーを飲んでいる叔父の姿はとても洒落ていて

当時のわたしには、ちょっと不思議なところもある人だったけれど、

「食とともにその空間を味わう」

ということを見せてくれた家だったなと、今になって思う。

 

 

目の前のことを、意識してみるって

そのことに丁寧になるってことでもあるのよね。

 

大切なものを大切に

心地よく、しなやかに

丁寧に生きる

 

 

決してできたお母さんではないもんで。

そして、自分を甘やかすクセもあるもんで。

 

だけど、そうしたいと願ったとき、

それは記憶だったり、情報だったり、誰かの言葉だったり、
メッセージは手を変え品を変えあちこちに転がっていて、

拾えるようにしてくれているんでしょうね。

そして、それはあまりにもさりげなさすぎて

気付かないまま通り過ぎてしまうことのほうが多い。

ずっと意識なんてしてられないしね(笑)

 

だからこそ、フックにひっかかったものは

やってみる価値はあるのだろうと思うのです。

 

 

今日はダイニングではなく、

趣向を変えて別の部屋でランチを。

 

叔父の家のように、ジャズは流れていないけれど

息子とおしゃべりしながら

目の前のご飯をゆっくり味わっています。

 

 

 

余談ですが、きっかけをくれた例のお片付け話。

実は、食事中にメッセージ音が気になって

ついみてしまったスマホからというオチ、、

 

そろそろ気付きなさいよ、、というメッセージだったんだ、と思うことにします。

(もちろん、今はもう見ていませんよ 笑)

 

ダメなところもあってのわたし。
だけど、丁寧に生きるをやっていく、はあきらめない

 

あなたはどう生きる?

 

*********************

 

=開催中の講座・セッション=

 

 

 

モニター募集、先行お知らせなどを

メルマガ(購読無料)でご案内しています