いつも旭くんに付きそって 新しい魅力の発見につとめる 馬渕ディレクター
哀愁をねらって
アキラ君の持っている哀調をねらいたいというのはデビュー以来、私が考えていた
ことなのです。ミキサー・ルームからキュー(合図)を出しながらいつも彼の孤独なタイプ
を歌にしたいと思っていました。 スクリーンでそれを表現したのは「絶唱」だと思います。
もちろん、哀調ばかりをネラっていてはいけないのですが・・・。
島倉千代子さんの「からたち日記」は私の担当したものですが、この時も歌謡曲ファンに
思う存分涙を流してもらおうという企画当初からのねらいが成功したようです。
こういうと私たちが、いかにもファンを馬鹿にしているように思われますが、決してそう
ではありません。 人間誰でも、歌の雰囲気に自分が置かれることがあるからです。
明るい歌、甘い歌、歌の内容にはいろいろありますが、アキラ君の場合、ほとんどの
タイプの歌をごく自然に歌いこなしています。
甘い歌といえば「十字路」、この曲は今までのアキラ調をガラリと変えたものです。
゛馬渕さん、今度はボクらしくない歌を、やってみませんか・・・゛
というアキラ君の気持ちの中には、つねに新しいものへの挑戦があったようです。
アキラ節の誕生
彼はスクリーンの上でも新しいものを自分なりに工夫し、それを演技面にとり入れて
いるように、歌手としての努力を忘れたことがありません。 しかし、こうした彼にも
突き当った壁をどうしても突き破ることのできない時があります。
デビューしてから約一年目、順調な歩みをみせた彼にも一つの転換期がやって来ました。
暗中模索という言葉がありますが、当時私たちの気持ちは、アキラ君をどの方向へ
向けるべきか
ずいぶん悩んでいたのです。甘さ、明るさ、哀愁、それともマイトガイのストレート・
パンチで、これからも歌い続けるか、とに角、彼の個性にどう味つけしていいものか、
すっかり迷ってしまいました。
ファンは缶詰め料理よりも新鮮な料理を求めているのですから・・・。
ちょうど、そのころ映画ではアキラ君のシリーズものを企画中でした。作品の内容は、
日本各地を背景にしたアクション・シリーズということで、私はそれならこの映画と
平行して、全国の民謡めぐりをやったら、素晴らしいヒットをカッとばしてくれるに
ちがいないと思いました。
渡りに船とはこのことで、その年(昭和34年)の秋にアキラ君の゛渡り鳥シリーズ゛の
第一作「ギターを持った渡り鳥」が公開されたのでした。この映画では同名の主題歌を
歌っていますがこれと同時に吹込んだ「ダンチョネ節」「ズンドコ節」は、若い人たちの
中で大いに愛唱されました。こうしてアキラ節が、新しくスタートした訳です。
気取りのない魅力
昭和35年に吹込んだアキラ君のヒット曲の中から、ベスト・5を順に上げると、
「ズンドコ節」「ダンチョネ節」「ノーチヨサン節」「ツーレロ節」「さすらい」
といった順序になります。
ところで、ふつうならベテラン歌手でも一ヶ月も吹込まないと上がってしまい、
顔がこわばってしまうものですが、アキラ君の場合、不利な条件が重なって
いるのにもかかわらず、マイクを通して聞く声に少しも狂いがないのですから
ビックリします。 本番前に新しい譜面を渡され、スタジオのピアノの前で
5分か10分レッスンして、本番スタート、それでいてリズムに乗り、声に力も
あるのですから、私たち専門家が驚くのも無理はないでしょう。
新しい魅力でスタートする61年のアキラ君に、
われわれはさらに大きな期待をかけているのです。