妻momoです。

膵臓癌になり、一番辛かったのは腹水でした。夫の場合、腫瘍による痛みはありませんでした。

 

夫は、膵臓癌が発覚し、ジェムザールを始めて2ヶ月後、QOLを大切にしたいと抗ガン剤の中止を決心しました。その後、1年間は副作用もなく、漢方と氣、生活習慣の改善、食事の工夫などで、QOLの高い生活ができました。

 

その後、お腹の不快感を感じだしてから7ヶ月後、KM-CARTで腹水を抜きました。2度目に抜いた時、処置をしてくれた医師からTS-1が腹水に効果がある場合があると聞き、もう一度抗ガン剤にチャレンジすることにしました。

体力が落ちてきていたからか、副作用が強く出て起き上がるのも辛くなり、一週間で中止を決意しました。しかし、1ヶ月間、腹水はたまりませんでした。

再び腹水がたまり始め、2度、KM-CARTで処置をしてもらいました。痛みならば麻薬系の痛み止めが効果的だそうですが、腹水を止める手だては見つからずどうしたものかと悩むばかりでした。処置をしてくれた医師から、体力が落ち、体重も減っているのに、規定量のTS-1は体の負担が大きいと言われ、量を減らして処方してもらってはとアドバイスをもらいました。

 

地元の主治医に話をするも、エビデンスがないということでいい顔はされませんでした。無理にお願いして処方してもらいましたが、適量がみつからず、かえって体力が落ちていくようでした。夫は、数日で服用の中止を決意しました。

 

その後は、CARTと尖刺で対処してもらいました。お腹の張りをゆるめたくて麻薬系の薬も試したのですが、全く合わず、意識が朦朧としたりせん妄がおきたりしてしまいました。夫の体には強すぎる薬だったようです。

後日違う薬を試しましょうとなったのですが、体力が戻りませんでした。

 

 

闘病中の皆さんの明日が希望の日になりますようにと祈っています。

 

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妻momoです。

夫が亡くなってから4ヶ月半、いまだに信じられない気もちと、言いようのない寂しさでいっぱいです。

 

夫の2年半に及ぶ闘病期間のうち、1年半は、順調に過ぎていきました。自分でも「本当に癌患者かなあ」と言うぐらい、食欲もあり、色つやも良く、体力も回復していました。お医者さんの診察でも悪くはなっていませんでした。お医者さんが「これまでの患者さんで経験したことがない」と言うぐらいの体調だったのです。力仕事もスポーツも出来ました。

 

振り返ると、亡くなるちょうど一年前から少しずつ調子の悪いところが出てきたように思います。いろいろ心配事があったり、風邪を引いて寝込んだりしたこともきっかけになったのかもしれません。お腹の調子がすっきりしないことが一番でした。ウルソを止めることで良くなったり、努めて軽い運動をするようにしたりしていましたが、調子の良い日はあっても、気分のすぐれない日が増えてきました。

 

そのころ、夫からアンモニアのようなつんとする匂いがする時期がありました。たしか、発病した頃にもあったような気がします。そして、夫が、「この頃、筋肉が落ちてきている。力が出ない。」と言うようになりました。食べてはいても、徐々に栄養が吸収されない状態になっていたのではないかと思うのです。

 

それでも動けることに感謝して、出来ることをどんどんしていました。畑仕事も、家の諸々の用事も、寺社巡りも温泉旅行も、友人との語らいも。

春ごろからは腹水がたまり始めしんどくなっていきました。「無理しないでね」と言うと、「やりたいから。動かなかったら出来なくなる。」とよく言っていました。今思うと、やり遂げることで自分自身を確かめ、生きる希望を繋いでいたのかなと。一日一日を大切に生きていました。

 

先日から、昨秋夫が植えたいちごが、赤く熟れだしました。「春になっていちごが実ったら、孫が喜んでいちごを摘むだろうなあ。」と言いながら植えたものです。いちごを摘む孫の姿を見ることを楽しみにしていました。でも、今、夫はお空の上にいます。

お空の上から見守って下さいね。もうすぐ孫が来ますからね。

 

闘病中の皆さんの明日が希望の日になりますようにと祈っています。

 

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妻momoです。

 

夫が亡くなってから1ヶ月が過ぎました。

とても早いような遅いような不思議な時間を過ごしています。

本当にいなくなってしまったんだろうか。ひょっこり帰ってくるような気もするのです。

「ごめん、ごめん。」なんて言いながらね。

でも、寂しさはたとえようもなく、楽しかったことを思い出しても涙。辛かったことを思い出しても涙です。夢なら覚めて欲しい。

 

ブログでつながった皆さんから温かいコメントをいただきありがとうございました。

たくさんの方に応援していただいていたのに、こんなに早くいってしまうなんて。

夫の頑張りは、皆さんの希望に繋がっていたんだなあと思い、祭壇の夫に話しかけました。

ブログのアップを逡巡していたのですが、私自身がとても救われた気がしています。

なかなかコメントの返事が書けませんが、お許し下さい。感謝の気持ちでいっぱいです。

 

後悔も迷いも無いわけではありません。でも、精一杯頑張ったことも確かです。その時々に、良いと思う方法を選んできたつもりです。でも、望んだ結果は付いてこなかった。

手術も放射線も適用にならず、2年6ヶ月のうち抗ガン剤をしたのはジェムザールを3ヶ月と、TS-1を一週間と3日。TS-1は夫には合わなくて、副作用で体力がさらに落ちたような気がします。治療のメインは、漢方と「氣」と食事を含む生活改善でした。主治医は「こんなに生きられたのは奇跡的」と言われますが、私は、もっともっと生きられると思っていました。だから、本当に悔しい。

お腹の不快感が強まってきた頃、さだじぃ先生が、「すいぞう癌は抑えられているけれど、他のところに形を変えてでているのかもしれない」と、つぶやかれたことがありました。

何となく分かる気がするのです。

 

夫が、「弱音吐きたいな」と言ったことがありました。「叫びたいよ」と言ったこともありました。

「うん、うん。」と言いながら、私は、充分に受け止めてあげていたんだろうか。どうしたらよかったんだろう。もっともっとと頑張らせてしまったのかもしれない。

 

夫は今どこにいるのかな?光に包まれているのかな?心穏やかにしているのかな?

毎日の祈りに、夫の心の平安を祈るようになりました。

 

一人で暮らすことと二人で暮らすことには、大きな違いがあります。30年前には8人で暮らしていたこの家は、一人暮らしには広すぎます。すべての面で頼りにしていた夫はもういません。

長女は、毎日電話をしてくれます。長男は休みの日に家族で来て一緒に食事をしてくれます。そして、なにやかやと家の用事をしてくれます。次女は、ラインで孫の写真や動画を送ってくれます。

みんな私のことを心配してくれています。とてもありがたいのだけれど、やっぱり寂しいな。

悲しいな。日に何度も、「お父さん」と、呼んでみます。

 

心にぽっかり空いた穴は、なかなか埋まりそうにありません。おそらく埋まることはないのでしょう。折り合いをつけて付き合っていかなくてはならないのでしょう。

 

明日は娘夫婦が帰ってきます。孫の「まま食い」のお祝いをします。来週は息子達と長女も帰ってきてくれます。久しぶりに賑やかになります。夫も喜んでくれるかな。孫達の笑い声が聞こえるかな。きっと、どこかで見ていると思うのです。

 

皆さんの治療がうまくいくことを毎日祈っています。