弟
夕方私の携帯が鳴った。
病院からだった。
まだお客さんが入っていて、調理中だったがすぐに従業員に準備中の札をかけさせ、お客さんが帰ると取るものもとりあえず車を飛ばした。
私の実家は東京都の青梅市にある。そこにある総合病院に運び込まれたのだ。
もともと弟は5年前に腎臓を患い2日に一回透析を受けていた。
透析中に突然大動脈瘤が破裂したらしい。
圏央道を降りると病院までは10分ぐらいだった。
ICUに案内されて、面倒くさい消毒などを済ませ、挨拶もそこそこにベッドに向かった。
弟は割りと元気そうで、起き上がって話をし始めたのでかえって私たちが心配したほどだった。
弟は今いるところを引き払うのでそれを頼むと私に言った。
そんなことは心配しないでいいから治す事だけ考えろ。
兄貴の威厳をもって言った。
「わりいな。」
少し自嘲気味に弟は言った。
ICUの医師と看護婦が状態の説明に来た。
カテーテルは終わったんですか?
何も知らない私が尋ねると、
いえ、カテーテルはしてません。破裂した後にくっついてしまったんで、カテーテルの必要はありません。
じゃあ、手術ですか?
手術もしません。たぶん2.3日で一般病棟に移れると思います。
看護師と医師が口を揃えて言った。
しかし私は弟の方から死臭が漂っているのを感じていた。
後で聞いた話だがおんなじことを妻も感じたらしい。
弟がアイスコーヒーを飲みたいと言った。
看護師に聞いてみるとお水ならいいですよ。
と言うのでいったん外に出てミネラルウォーターを買った。
ICUに戻って水を飲ませると、
「うまい。」
と嬉しそうに飲み干した。
このとき私は末期の水を取らせているような気がした。
今でもこのシーンがまざまざと浮かび上がってくる。
医師に詰めていたほうが良いかどうか聞いてみると、その必要はないと言うことだった。
一応医師の言葉を信じて、猫ちゃんのこともあるのでいったんは栃木に帰ることにした。
帰りの高速の車の中で私は妻にこう言った。
たぶん今晩が山だと思う。明日は店休むことになるぞ。
その日の深夜危篤の電話が入った。
やっぱり。
いやな予感は当たっていた。
私たちが病院についた時はもう弟は冷たくなっていた。
子供達は連れてきたが静とおばあちゃんは猫のこともあるので家に残してきた。
不思議と涙が出なかった。
通夜、葬儀とめたたましく時は過ぎた。
弔問客の相手をし、喪主としての挨拶も済ませ、納棺のときも出棺のときも涙は出なかった。
病院への怒りはあった。
12時ころ急に暴れだして、立ち上がってしまったんです。
そんな馬鹿な話があるか。お前らが薬か何か打ち間違えたんだろう。
私は思わずそう言った。
思えば病院から弟を霊柩車に乗せるときも、面識のない看護師が泣いていた。
人の死には慣れているはずなのに。
今日葬儀以後始めて独りになりました。
今、ようやく涙が出始めました。葬儀の日にシロちゃんが毒殺され、それでも泣かなかった私が。
今頃になって悔しさがふつふつと湧き上がってきてます。
抑えようのない嗚咽でこんばんは家に戻れそうもありません。
病院側に言いました。
「私は医療ミスで裁判にしてお金がほしいわけではない。そんなことをしても故人は帰ってくるわけではないから。
ミスも責めるわけではない。人間だもの。やっちゃいけないミスでも、起きてしまうことはある。ただその後、きちんと謝ってほしい。
線香の1本でもいいから上げに来てやって下さい。そして弟に謝罪してやってください。」
それは誠心誠意他意もなく言ったつもりだった。
心ある人なら線香ぐらい上げに来るだろうと思っていた。
しかし病院からはまだ何の連絡もない。