WRITE ABOUT -27ページ目

WRITE ABOUT

物書きしたい。
誰が見ても見なくてもいい。
モノカキがしたい。
そういうブログ。

僕が「肉」と聞けば、間違いなく焼肉を想像する。

タン、カルビ、ハラミ、ホルモンなんでもござれ!

ビールにまっこり、くぅ!!


しかし、ただ肉を食えればいいというものでもない。

肉を食すときに最も必要なモノ、それは気の合う友人、家族、大切な人(以下、肉友と呼ぼう!)

どうしてだろう。

牛丼は一人で食っても楽しいが、焼肉はそうではない(…と思う。まだやったことはない)


あのジュゥ…と食べる頃合いをはかるあの時、

あの肉の脂がしたたり落ちるあの時、

あの期待によだれがあふれてくるあの時、

肉友との他愛のない会話がなんともここちよい!

美味しければ会話も弾むというもの。

美味しければ肉友情も一層育まれるというもの。


けれど、今でも思い出す悲しい記憶の焼肉がある。

食べ盛りの中学生の頃、オヤジの会社は存続の危機と噂され、

なんとなくだけどその雰囲気は僕に伝わっていた。

高級なイメージのあった月に一度の焼肉の時、

僕はアホみたいに肉を頬張る弟を見ながら、

両親にまだ肉を頼むかと聞かれ、もういいと言った。

本当はまだ食べたかった。

けどそれが家計にどんなに影響するのかわからなかった。

それでも弟には食べさせてやりたかった。

…その後オヤジの勤めていた会社は持ち直し、今に至るのだけど。


月に一度は焼肉。

そんな風に育ったこともあってか、

僕の焼肉の歴史を振り返れば、

ほとんど僕自身の歴史を振り返ったことと同じである。

楽しい焼肉でも悲しい焼肉でも、

美味しい肉は実に公平に美味しかった。


美味しい肉は世界を救う。

少なくとも僕を救う。


まず始めにこのブログの趣旨を説明しよう。

このブログは僕と友人であるカツヤとの連動企画であり、

週に1テーマを決めて、それについてお互いが物書きをするというものである。

誰に読まれたいといった類のものではない。

純粋に何かを書きたいといった欲に基づくものである。

そう、ぼくらは物書きがしたくてしたくてたまらないのだ。


さて、初回のテーマは「文章を書くことについてぼくが考えていること」である。


なぜこんなにも何か文章が書きたいのだろうか。

僕自身まだ明確な答えを持っているわけではない、

書きたいから書きたいのだ、というところが直観としては正しいが、それではあまりに雑だ。


書くこと。


人類にとって書くことは、時代や場所を超えた意思伝達手段であったに違いない。

話すことよりも保存性に富み、絵を描くことよりも直接的に相手に意思を伝えることができる。

そういった必要性から文字、文章は生まれてきた。

そして現代に至るまで、書くことはもはやエンターテインメントとして発達してきた。

三島由紀夫は金閣寺に火をつける青年を描き、ぼくをハラハラさせ、

石田衣良は体を売る青年を描き、ぼくに大人の世界を教えてくれ、

原田マハは映画バカのおじいちゃんを描き、ぼくを号泣させた。


ぼく個人にとって書くことは、

まだ、誰かに伝えたいとか、誰かを楽しませたいといった、そんな大それたものではない。

ただ、自分の頭の中のものを文章として吐き出してみたい、自己表現をしてみたい、

あわよくば、その中で自分の文章に対するこだわりや美意識が育まれていってほしい。

今の僕にとって、書くことはそういった自分に対する期待の側面が大きい。

(もちろんそのゴールには他人に見られる文章を書くということなのだろうが。)


小学生の頃は本当に多くの文章を書いた。

作文、日記、読書感想文。

ただ、そこでどんなにうまく書こうとも、物書きになりたいと思う子は少なかったように思う。

サッカーがうまければ、サッカー選手になりたいと思ったし、

ピアノがうまければ、ピアニストになりたいと思ったのに。

そこには物書きがどこか天性の才能を持っている一部の人が勝手になるものであって、

才能を伸ばしていってなれる職業ではないかのような思いこみがあるのではないかと思う。


この数年、多くの小説を読んだ。

そして多くの作家を知った。

村上春樹はバーを経営しながら、執筆活動を始めた。

辻村深月はOLを辞め、執筆を始めた。

勝手に思い描いていたほど、作家はエリートではなかった。


僕にも書けるのではないか。

僕にも人を喜ばせることができるのではないか。

それが今の僕が物書きしたい理由。