
15年目にして心開いてくれた!
ご無沙汰しています。
八ヶ岳のもうっすら雪が積もっています。
さて、鎌倉から大変な苦労をして連れてきたしっぽ。
(しっぽは、長いこと人間に嫌われ虐待を受け続けてきた猫で、地域ボランティアにさえ山に捨てようと言われた子です。)
八ヶ岳に来てからも相変わらず威嚇が酷く、猫にしか心を開かない状況が続いてきました。
鎌倉では猫にも嫌われ孤独でしたが、八ヶ岳に来てからは、同室の猫たちと友達になり、やっと仲間を得ることができました。
出会ってから15年ほどなので、すでに20歳超えの超高齢さん。
ご飯をあげる時以外、少しでも近づこうとすると、興奮して呼吸が苦しくなってしまい、心臓か神経の病気を疑いつつも、呼吸困難になるのが怖くて、病院にも連れて行けずにここまできていました。
この子は一生触ることできないのかな、亡くなる前に一度だけでも撫でてあげたいな。とずっと思ってきました。
そのしっぽが、数ヶ月前から、他の子をブラッシングしている時に、じっと見るようになり、るんるんを撫でていると、隣のベッドに寝るようになりました。
もしかしたら、ブラッシングしてもらいたいのかな、と恐々ブラシを当ててみると、ビクッとしながらもそのままブラシをさせてくれたのです!
もう私の方が大興奮!
泣きそうになりながら、ブラシをしました。
初めてのブラッシング、硬くなった毛の束もほぐすことができました。
ぐるぐる声を鳴らして気持ちよさそうなしっぽ。
ブラシを置いて、手で撫でることもできました。
初めて触るしっぽの毛並み、大きかった体は随分と痩せています。
心を開いてくれたのではなく、もう抵抗する力が無いのかも知れませんが、それでも15年目にしてようやく、認めてくれたのかな思うと、ぐっとくるものがあります。
まだ外猫だった時には、ご飯欲しさに飛びかかってきて倒されたり、何度もお皿を手から叩き落とされたり。
捕獲する時にも捕獲機を2台壊されて、専門の方に2晩張り込みをして捕獲してもらい、ケージの中のトイレ掃除やご飯の器の交換は毎回血だらけになりながらやりました。
どれだけ辛い目に遭えばこんな風になるのだろうと、しっぽに叩かれるたびに思ってきました。
しっぽかわいいね、しっぽ頑張ってるね、しっぽ完食してえらいね、しっぽ辛い時には必ず伝えてね、と言い続け、いつかきっと、しっぽが心を許してくれる日が来ると信じてきました。
15年、長かった!
本当に長かったです。
お口や心臓や心配なところを、
病院で診てもらえるかが、次の目標です。
同室の他の3匹の子達にも感謝です。
〜❤︎ 〜❤︎ 〜❤︎ 〜❤︎ 〜❤︎ 〜❤︎〜
長くご支援くださっている、Oさん
(今はみかんちゃんのママさん)から、
医療費のご支援を頂きました。
大切に使わせていただきます。
ありがとございました。🙇🏻♀️
猫の便秘にモビコール
ご無沙汰しています。
今日は、猫の便秘に悩んでいる飼い主さんに、情報提供です。
※あくまでも、我が家のニャンコの経験談です。
白血病、エイズキャリアのキキ君。
巨大結腸症が重症で、毎月(ひどい時は半月)摘便をしてもらっていました。
自力ではほぼ出せない状況で、溜め込んだ便でお腹がパンパンになり、苦しくなって食べられなくなり摘便。
療養食は全く食べず、シロップやサプリメントなど色々試しましたが効果無しでした。
モビコールの存在は知っていましたが、便を柔らかくする作用は同じだからと、別のお薬を処方されていたので、試してはいませんでした。
が、まだ若いキキが頻繁に摘便するのはストレスがかかるので、モビコールを試してみたいと先生に伝えて取り寄せてもらいました。
1/4包を15mlの水に溶いて、朝夕スープなどに混ぜて飲ませます。
味は悪く無いようで、よく飲んでくれます。
これがものすごく効いて、握り拳2個分の便が出ました!
それ以降、2ヶ月摘便に行っていません。
全部出ているわけでは無いのですが、肛門近くでカチカチの便が詰まってしまうことが無くなったようです。
私もキキも通院のストレスが無くなり、モビコールを一箱(100包)注文しました。
キキが食べないと心配で自分も食べなくなってしまうブンタン。
キキ兄ちゃんが具合悪くなることが無くなって、良かった良かった!
便秘に苦しむ猫ちゃんの飼い主さん、是非モビコールを試してみて下さい!
ちなみに、うちの病院では1包100円でした。
くるみ亡くなりました。
ご無沙汰しています。
今日はとても残念なご報告です。
2011年、東日本大震災直後に保護したくるみちゃんが、昨夜亡くなりました。
推定年齢22,3歳。
腎不全と椎間板ヘルニア、口の痛みと闘いながら、本当に頑張ってくれていました。
保護した時のブログ↓
若い子達の中ではゆっくり休めないので、同じく腎不全のチビちゃんと私の部屋で過ごしていました。
歩くのもヨタヨタなのに、チビが甘えると一生懸命舐めてあげる優しい子でした。
夜は左にくるみ、右にチビを腕枕して寝る毎日。
残り少ない日々を大事に過ごしてきました。
出会った瞬間に「くるみちゃん」と名前が浮かんだこと、自分からキャリーバッグに入って保護されたこと、徘徊が酷く脳の病気ではないかと夫と心配したこと、耳の血腫や肛門腺破裂を繰り返したこと、地味に色々ありました。
鎌倉の子がまたひとりいなくなりたくさんの思い出も一緒に去ってしまったような大きな寂しさが襲ってきます。
実はくるみちゃんが亡くなる前、そろそろかなと仕事を隣でしていました。
夕方、実家の父から電話があり、少し嫌な話をしていて、電話を切ってくるみを見たら呼吸が止まっていました。
最期を嫌な電話の声の中で迎えさせてしまったこと、そばにいたのに看取れなかったことでパニックになり、夫を呼んで泣きながらくるみの名前を呼ぶと、「足が動いてるよ」と夫が。
泣いてくるみの名前を呼ぶ私に、「お母さん、僕聞いてるよ」と言ってくれているようでした。
最後まで不思議で優しいくるみちゃんでした。
また会える日まで、しばらくお別れね。
みんなと一緒に待っていてね。



















